地鳴り
この谷に引っ越して来てから20年以上経つが
この谷では時々 地鳴りがする
どこから聞こえるのかわからないが ゴゴーという大きな音が聞こえる
聞こえて来る方向もよくわからず 又 昔から住んでいる人も居ないので聞くこともできぬままだ
今も地鳴りがしている
不思議な事に本当にどこから音がしているのか まったくわからないのだ
谷のまわりの丘に反響しているせいか あちこちから音が聞こえる
本当におかしな谷だ
地震の前触れという訳でもなく ただ音がするだけなのだ
そのせいか音がしなくなると すっかり地鳴りの事は忘れてしまう
近くに旧日本軍の弾薬庫跡がある
そこは丘にいくつもの横穴が掘ってあるので いまだに手付かずのままだ
下手に宅地造成をしようとすると 横穴を埋めなければならない
丘のほとんどに横穴が走っているので造成費用もバカにならないだろう
その横穴が弾薬庫として使われていたのですが
当時のアメリカ軍の爆撃の音を 丘が覚えていて
時々それを発しているのかも知れない
こんな事を書いていたら 地鳴りはおさまったようです
これで明日には地鳴りの事は忘れてしまうんだろうな
まったく おかしな谷だ
幼い日の記憶
子供の頃のドブには 何も覆うものは無かった
市役所沿いの大きな下水にも覆いは無かった
大きなドブに落ちたら大変な事になるので注意していたが、小さなドブは気をつけていなかったのか
よく落ちた
今でも あのドブ独特の臭いは忘れない
半年に1回くらい 町内会でドブさらいがあったのだが、小さな子供は対象外だったので参加した事は無かった
ドブさらいと言っても シャベルでドブの底に積もった土をほじくり返してドブの横に置くだけ
数日経てばその泥も乾いて風に舞って またドブに逆戻り
そのうちにドブに木製の板の覆いがつくようになった
子供達はその木の板の上をドカドカと音をたてて走り回った
その後 道路の脇には必ずと言ってよい程 側溝ができ コンクリのふたが置かれた
その後はしょっちゅう道路をほじくり返す工事があって下水管が埋めこまれ、大雨でも道路が冠水しなくなった
安全で便利になったのだと思うが、今の子供達は 自分の使った水がどのようなルートでどこに流れてゆくのかわからなくなっただろう
すこし田舎に行くと 台所から道路の下水まで地面を簡単に浅く掘っただけのものも多かった
その地面の窪みに 昨日のみそ汁の具や うどんなどが流れきらずに残っていた
道路わきの側溝も測量をして作っていた訳では無かったらしく いつも水が貯まっている場所があった
そこに蚊が卵を産み ボウフラが大量に発生する
そして日本脳炎が流行るという事になるらしく、夏になると市役所の職員が機械で側溝の中に殺虫剤を吹き込んでいた
こんな事を書いていたら 昔の夏の匂いを思い出した
懐かしいが 戻りたくは無い
そろそろ
そろそろ塾も春期講習なのですが
私に春期講習のコマは無い
塾長に言わせれば 無料で働いてもらっているのに毎日通勤させては申し訳ないからだと
だから春期講習の間は暇になった
どうせ家に居ても暇だから 自習室に待機していようと思う
でも先日 「解の公式」の導き方を忘れていて自分でもガッカリした
まだ中二の数学は早いのかな
塾には参考書だけはたくさんあるから この春期講習の暇な間に中二の数学の総復習だ!
自分で蒔いた種は・・・
ネタがあったら書こうと思っていたら この1週間 ネタありませんでした
普通に生活をしていると ネタなんてそんなに無いのが無職の50男なんです
ところで 子供の頃によく 「自分で蒔いた種は自分で刈り取れ!」と言われたのを思い出しました
まあ 意味は 自分でやった事の責任は自分でとれ という事なんでしょうが
種 とか 刈り取り って農村がイメージされます
これが漁村だったら 「自分で釣った魚は自分でさばけ!」とか
林業の村だったら 「自分で切った木は自分で山からおろせ!」 なんて言うのでしょうか
私のカレー
寒い時の独り者にはカレーが楽でありがたい
何食分などという事は考えずに 一番大きな鍋にいっぱい作る
あとは腹が減った時に温めて食べるだけ
この寒い季節には 楽でありがたい
しかし いつでも食べられるという気持ちがあると 何故か腹が減らなくなってしまう
今日もまだ飯食っていません
無いと思うから欲しくなるのかな?
あると思えば欲しくなくなる?
飯だけじゃなく お金もそうなのかな?
無いと思うから欲しくなる
あると思えば欲しくなくなる
最近の営業方法に思う
最近の営業方法って電話とかダイレクトメールが多いです
特に この地区の電話番号を片っ端からかけています という奴は迷惑だ
独り者の男のところに「○○化粧品」とか 要らないよ
TOYOTAにしても 知らない営業マンの名前の入ったダイレクトメールがいきなり送られてくる
昔は売りたい車があったら それに乗って客の所に行き 試乗させてその気にさせたもんだ
今はお気楽に冷暖房の効いたオフィスで封筒詰めして終わりか
ずいぶん営業マンって楽になったんですね
それで売れればいいけれど 俺は買わないよ
1軒1軒足で稼ごうとする営業の方が 俺は好きだ
でも 今それをやっているのは詐欺商法の奴らだけ
インターホンを押して年寄りが出たら高額の商品を売りつけ 若いものが出たら「○○新聞です」と嘘ぶいて逃げる
1度 我が家にもそんな若い営業マンが来た
インターホンに出た母は断ったのだが そいつは勝手に門を開けて他人の土地に入り込み どこどこは修理が必要と言ってきたので俺が出ていったら 顔を見るなり逃げて行った
なにも逃げる事は無いだろう
いくらやましい所がある営業だからと言って 逃げるという事は自分の非合法営業を認めた事になる
自分は詐欺商法の営業マンですという自覚があるなら 最後まで嘘を突き通せ と言いたい
そこまで腹のすわった奴すら居なくなったんだね
というか そんな奴らも一応 会社員って名乗れるんだよね
銀行のローンも そんな奴らの方が通りやすいなんて 変だ
PCは2台必要か?
サブのPCがお亡くなりになった
しばらく前からOSが立ち上がったり 立ち上がらなかったりしてはいたのだが
ウンともスンともいわなくなった
OSの入れ替えをしようと思ったのだが、CD-ROMすら読み込んでくれない
3時間ほどあれこれいじってみたが 諦めた
中のマザーボードやらに希少金属が含まれているらしいので、回収業者にあげようと思う
さて 今までずっと2台のPCがあったのですが
古いPCをサブとして使い サブが壊れるとメインPCをサブにして 新しいPCを迎えていた訳です
でも 今回お亡くなりになったPCは3ヶ月以上も電源を入れていなかった事に気がついた
もう2台もPCは必要無いのかも知れない
オンラインゲームもやらなくなったし、ゲーム以外では そんなにハードな使い方はしない
しばらくはPC1台でやってみて それもお亡くなりになったら塾のPCを借りればいいかな?
でも性格的にスペアは持っていたいほうだし
PC1台でゆくべきか 2台にしておくべきか
うーん 悩ましい
え?まだ2月なんですが
今日の横浜は暖かい
2月って 一年で最も寒い月のはず
なのに 今おいらはTシャツで靴下もはいていません
当然 暖房もしていないのですが室温は20度あります
せっかく寒さにも慣れてきたというのに ・・
別にこの暖かさを地球温暖化に結びつけるつもりは無い
長い地球の気候の変動の中には こんな2月もあるのだろう
お風呂沸きました
俺が子供の頃には、子供にも仕事があった
というか 家での役割分担です
俺は風呂炊きの役割だった
学校から帰ってしばらく遊んでいると暗くなる
その暗くなる前に 井戸からバケツで水を汲み 木製の風呂桶に満たす
今のようにガスで沸かすなんて便利なものは まだ無い時代
当然 薪で湯を沸かす
木製の風呂桶に付いている 鉄製の炊き口に新聞紙を丸めて置いて
その上に細めの枝を乗せる
そして新聞紙にマッチの火をつける
細い枝に火がついたら 細めの薪をその上に載せる
こうして段々と太い薪に移行して行き 最後は太い薪にして本格的に湯を沸かし始める
この間 ほとんど火の前から動けないのだが 自分に与えられた役割なので仕方がない
時々 風呂桶の水をかき回して温度を確かめる
慣れてくると 水の量と その日の温度から何分くらいで湯が沸くのか大体わかるので 最初の30分くらいは火の番だけだ
湯が沸く頃には日が暮れて 外は真っ暗になっている
昔は薪で湯を沸かす家が多かったから 風呂場にもドアが付いていた
水を運び入れたり 薪を焚いている時の換気の為にも必要なドアだった
そんな事を塾生に話しても それってどこの国のお話し?という具合だ
生まれた時から スイッチぽんでお湯が沸く世代だから仕方が無いのかな
でも 俺たちはそんな経験があるから キャンプなんて練習しなくても普通に焚き火をつくれる
今の子供はいきなり太い薪に100円ライターの火を近づけて火をつけようとする
まあ 火のつけかたを知らなくても生きてゆける時代になったという事なのでしょうね
大人になってタバコも吸わなければ 一生 火をつけるという事をしないで過ごせる世代なのかも知れない
コンロはIH 蚊取り線香は電気式 これではマッチの出番が無い
バブルを知らないんだ
バブルが弾けてから何年経ったか覚えていないのですが、今の塾生は知らないのはあたりまえ
昨日 自習室で待機していたら 中学生の女子がやって来て
「先生ってバブルの時は生きてたの?」と聞くのだ
この言葉自体おかしいのだが、内容だけ汲み取って 「バブルを経験したの?」と解釈して答えた
「バブルの前の高度経済成長期もずっと知っているよ」
ここまで言って考えてしまった
よくよく考えると 終戦後10年経たない日本を俺は知っているんですよね
東京の韓国人大暴動こそ見てはいないが 戦後の焼け野原から立ち直る日本という国の動きをリアルに見てきたわけです
でも昔の話を今の子供に理解させるのは難しい
そこで「バブルへGO タイムマシンはドラム式」のDVDを貸してあげたのです
数日後にDVDを返しに来た塾生に「バブルってどんな感じだったか理解できた?」と聞くと
「わかったような わからないような・・・」だそうである
あの熱気は当時そこにいた人にしかわからないんですね
今度 他の塾生にバブルの時の事 を聞かれたら どう説明してあげよう?