● 死生観について ①
大阪の易者 武部泰莞です、こんにちは。
以前、お客さんから「先生の死生観について教えてください」と言われたことがあります。
改めてそういうことをまとめたこともありませんでしたから、コンパクトに説明することが出来ませんでした。
そのときから、何とはなしに考えるようになったというか、まとめてみる気になったので、少し書いてみようかな?と。
タイトルに①とありますが、いくつまで続くのか、また続きがあるのか、一切分かりません。
ただただ思い付いたことを書いてみます。
◯ 前世について
前世については、何となくあるのかなぁ?という印象があります。
その辺のしょーもない霊能者だか何だかが言うお伽噺など信じませんし、そんなお遊びに付き合う気はありません。
「前世はヨーロッパの小国のお姫様だったのよ」とかね……どんだけ姫さん多いねんと突っ込みを禁じ得ませんが、まぁお伽噺のことは置いときましょう。
(侍女とか女官ってのも多いですね)
僕のこの、前世へのイメージは、あまり使いたくない言葉ですが、「業」というものを感じるからです。
僕自身も例外ではありませんが、どうしてこうも生年月日に書かれている通りの苦しみを人は感じるのだろうか、と考えると、これしかないのかな?と考えるようになりました。
前世を立ち位置にして、今世のテーマがあり、来世への業を作っていくように感じます。
◯ 神仏や宗教、信仰のこと
「何か特定の宗教を持つことは、非合理的である」と考えるのが、現代の理性的な常識人の態度であるかのように言われる人もいるようですが、これは僕の態度とは異なります。
そりゃ、カルトが目立っているせいでそう考えてしまうのは仕方のないことかもしれませんが、そもそもカルトは悪目立ちするものですから、そこから神仏や宗教を考えるのは些かナンセンスです。
それが合理的な態度であるとは、僕は到底思えません。
また、例えば、アインシュタインのように「人格のようなものを伴う神は存在しない」と考えるのも、一見合理的に見えますが、究極的に言ってしまうと不可知ですからね、あくまでも個人の一意見であると考えるのが妥当でしょう。
僕個人の考えとしては……神仏の存在非存在云々は不可知ではありますが、神仏の存在を信じ、畏敬の念を持っている方が尊いものです。
そういった先人の態度は非常に美しいものであると感じますし、そういった態度に批判的な者の態度は非常に傲慢で愚かなもののように感じます。
自分の上にいと高き存在を信じ、頭を下げられる人の方が好きです。
もうね、最後は好き嫌いで判断するしかありません 笑
ですから、例えばその辺の人間が「私は悟っている」なんていうのは傲慢でしかありません。
そういう人多いですよね、しかも割と銭ゲバさんで……欲望でわけ分からんようになってはるのかな?と思います。
神仏や宗教、信仰というのは、静謐なものであると思います。
他にも先祖供養のことや、神社やお寺へのお参りについて等、書きたいことはたくさんあるのですが、長くなりすぎるので、これはまたの機会に。
運命学実践家・易者 武部泰莞
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