【Twitterより】潜在意識教という邪教について | 運命学の研究

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大阪(新大阪、石切等)でプロの易者として活動している武部泰莞のブログです。
運命学について書いています。
(アメンバー限定記事は、生徒さんと卒業生のみに公開しています)

ここ数カ月の間に、非常に違和感を覚えることがありました。

というのは、この邪教が蔓延してしまって僕の気づかないうちに身近な人まで改宗してしまったことが大きいかもしれません。


<その1>
邪教=人心を惑わす教え。
占い師やセラピスト、カウンセラーといった専門家から一般人まで、この潜在意識教とでもいうべき邪教が蔓延している。
これに従えば全て大丈夫、潜在意識は何でも知っている、潜在意識はいつも正しい等という妄想を抱く者に私は哀れみをも感じる。

最初にもう書いてしまっておきますね。

◆潜在意識は何でも知っている
  → 間違い

◆潜在意識は自分が経験してきたことであれば忘れ去っていたことでも記憶している
  → 正解

◆潜在意識はいつも正しい
  → 間違い

◆潜在意識はトラウマ等で解消しなければいけないものがあるなら、
  その解決策を知っているかもしれない
  → 正解



しかし、ホントに何でこんな当たり前のことを見失ってしまうのでしょうか。


<その2>
潜在意識にアプローチすることで問題解決の糸口を発見するということは多々ある。
私もその有効性は認める。
しかし、邪教徒たちは潜在意識に対する過度の信心の元、クライアントにまで潜在意識に服従することを強いる。
潜在意識の欲求を満たすことのみを解決とするのだ。

忘れたくて忘れていた記憶を掘り起こして、白日の下に引きずり出す・・・・・・これは一種の荒療治と言えるでしょう。

そんな荒療治でも効果のある人はいます。

でも、だからと言ってそれだけが解決策だなどと考えるのは暴力的です。

クライアントさんが重い荷物を持っているのを見つけて、「あなた、こんなに重い荷物を持っていたんですよ!下ろしましょう!」という方法しか出来ないのなら、専門家をやめてしまえ!

誰だってなぁ、持ちたくて持ってるわけじゃない!


<その3>
そして、愚かにも潜在意識の欲求を満たすことこそが、ありのままの自分を生きることだと言い始める。
ありのままの自分を生きていれば、望むだけでありとあらゆる幸福を引き寄せることが出来る、この世の自由を謳歌出来る等という・・・これを滑稽と言わずして何と言おうか。

邪教徒の考え方は非常に幼稚です。

ありのままに生きようとしたところ、それを妨害されたからありのままに生きられなかったのです。

だいたいありのままの姿では邪魔が入ったから、色んなブロックをしてしまったんですから、それでブロック外してはいお終いって、考えが浅すぎる。


<その4>
望むだけで、とまではいかずとも、潜在意識を重視するために道を踏み外してしまった専門家は沢山いる。
特に、潜在意識にアプローチすることで大きな解決をみたことがある者にその傾向は顕著である。
入信したお陰で自分が大きな力を得たと錯覚してしまっているのである。

大きな力を持っていると思い込んでいる人は、その力を使うことばかりに目が行きます。

結果、お客さんの気持ちは置き去り。


<その5>
そもそも潜在意識とはどういったものであるのかすら考えたこともない連中が潜在意識教に入信してしまう。
一番多いのは、潜在意識と潜在能力を混同している連中である。
潜在意識とは、言うなれば知識や経験の蓄積物であり、潜在能力とは自らの内に秘めた可能性のことである。

何でこんなことも分からなくなったんだろうなぁ・・・・・・。


<その6>
潜在意識のブロックを外せば、自分の潜在能力が表れてくると考える・・・この二つは別物であると考えていないから、そういう妄想に駆り立てられるのである。
もちろん、ブロックを解除することでゆっくりと自分の能力や才能が開花してくるというのはあるのだが。

混同してしまっているから、こんな妄想に掻き立てられるんだろうなぁ。


<その7>
また、潜在意識にアプローチするのは直感であると言う者もいる。
違う。
物凄くそういうのに長けた人を見て、自分もそうなりたいと思い、その人から教えを受けるという人は多いが、ほとんどがものにならない所以がそこにある。
華やかなその部分しか見えていないのである。

直感というのは、物凄く恣意的なものです。

人って思考癖があるから、物事を自分の都合の良い方や悪い方に引っ張り込んでから解釈してしまうものです。

直感で行動して40%も良い方に行けたらたいしたもんです。


<その8>
私はそういう華やかさにしか目が向かない専門家モドキを軽蔑する。
彼らは依存し過ぎるからである。
そう、邪教に。
彼らには師の哲学が届かない。
何故なら、邪教徒だから。
師のような直感を持ちたいと憧れるが、師が如何にしてその知識を得たのかには注意を払わない。

何かを学ぶときに師につくということは大切なことです。

学びて思わざれば則ち罔し。

思いて学ばざれば則ち殆し。

論語です。

潜在意識による解決法に依存し過ぎるために、師についたところで師の考え方等には関心がなく、結局どのように師が潜在意識を活用しているかという部分にしか興味がないのです。

師から学ぶべき大切なところなんて一切分かってないのでしょう。


<その9>
それは、師に対する侮辱と同じである。
結局、彼らは師から何も教わっていなかったのである。
師の情熱ですら、彼らにとっては銀幕の英雄譚に過ぎないのである。
彼らはたった数百時間程度の講義のみで秘伝奥伝を継承したと思い込むのである。
何故か。
あぁ、愚かな邪教徒よ!

ところで、ここで言う「師」とは、本当に尊敬すべき哲学と技術を持った人だと考えて読んで下さい。

そういう師の真意すら、邪教徒には分からないのです。

潜在意識を扱う技術 > 師の哲学

ですから。


<その10>
私は君たち邪教徒を責めはしない。
君たちが邪教に入信したのは、君たち自身の弱さではないから。
入信したのは、君たちは邪教の甘言に惑わされてしまっていたに過ぎないからだ。
強さは関係ない。
しかし、君たちが未だ邪教から脱会しないのは、君たちの弱さにある。



<その11>
弱さ、それは意志の弱さかもしれないし、頭の弱さかもしれない。
私は後者の方が罪深いとは思うのだが。
君たちには観察が足りない。
君たちには哲学が足りない。
君たちには専門家たる素養も足りない、何故なら君たちのために射し込まれた光を嫌悪して閉ざしてしまうから。

頭の良さが必要というのは、自分で考える力を持っていることが必要だということです。

それがないから思考停止=邪教徒なんです。


<その12>
君たちはあらゆる弱さ故に頑固なのだ。
君たちは自らの目でクライアントを見、判断することが恐ろしいのだ。
あぁ、君たちは潜在意識というゆらぎを持ってしてしかクライアントに向き合えないほどに弱くなってしまったのだなぁ!

本当の自分とか言いながら、結局潜在意識教に縛り付けられているのです。

それは、自分で解決する能力がないと思い込んでいるから。

人間として一個人として、クライアントと向き合う勇気がないのなら、専門家なんてやめてしまえ。


<その13>
私は君たちを責めはしない。
何故なら、私にも君たちをどうにかすることなど出来ないからだ。
私に出来ることといえば、ただこうして言葉を投げかけて、君たちが君たちの足で階段を下ってくれるのを待つだけだ。

責めない。

ただ、批判はする。

攻撃的に。


<その14>
そう、君たちは私よりも上にいるのだ・・・何故なら君たちの扱う言葉は、いつも形而上学的だから・・・。


占い師以上にわけの分からない言葉を発している。

「これからグラウディング?するんです」とか訳の分からんこと言ってないで、専門家なら自分の目でしっかりとお客さんを見て、お客さんの心を感じて施術なり鑑定なりしたら良いだけでしょう?

地に足をつけるって、そういうこと。




あまりにも邪教徒が多いので、注意喚起として書いたものです。



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開運アドバイザー・易者 武部泰莞
ホームページ:運命学とキネシオロジー
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