思考が先か世界が先か | 運命学の研究

運命学の研究

大阪(新大阪、石切等)でプロの易者として活動している武部泰莞のブログです。
運命学について書いています。
(アメンバー限定記事は、生徒さんと卒業生のみに公開しています)

引き寄せの法則について、色々な人から話を聞きます。


僕が普段している「世界は自分が解釈したようにしか見えない」という世界観は、「引き寄せの法則」の世界観とは似ている部分がありますが、考え方には大きな違いがあるなぁと、ちょっと思いついたことがあるので、整理のために書いてみます。




まずは、「世界は自分が解釈したようにしか見えない」という世界観について。

世界で起こることは、ただそうであるだけで、そこに善悪はなく、私たちが最悪のものとして考える殺人や戦争というものでさえ、ただその事実があるだけです。

苦しみや痛み、憎しみ・・・そういったものは、私たち個人個人がその事実を解釈することによって生まれたものです。


つまり、現象と、私たちの解釈、言い換えれば思考には時間的な隔たりがあり、常に解釈(=思考)は現象の後になるということを意味します。





これに対し、「引き寄せの法則」の世界観は、思考が現象よりも先にあります。

・・・いや、正確に言うと、思考が現象より先にあると想定しています。

この場合、自分が引き寄せたものなんだから自己責任、ということが出来ます。
ちゃんとその責任は取らないといけない。

そして、だからこそ嫌なことが起こらないよう、常にポジティヴであれ、という結論がなされます。




しかし、引き寄せの世界観では、人間としての成長というものがどの程度考えられているんだろうという疑問が残ります。

確かに、自己責任の世界ですから、責任を取るという成長はもしかしたらできるのかもしれません。

しかし、これでは絶望の中に叩き落とされた時、光を見出すことができるのでしょうか?


彼岸にあることを善悪や吉凶等で解釈していくという世界観も、引き寄せの世界観も、どちらもキーになるのは思考だというのは分かるのです。
けれど・・・これは僕が前者の考え方だからかもしれませんが、どうも引き寄せの世界観というのは、歪んだものの見方に感じられるのです。
自分にも世界にも、肯定感を見出せないのではないかという疑問が残るのです。



ただ、僕は引き寄せの世界観全てを否定するのではありません。

どうも、僕が元々持っていた解釈論的世界観と引き寄せの世界観は、陰と陽のように、視点を補完しているもののように思えるのです。

引き寄せで世界にそういうものを望むという覚悟を、そして、その結果起こったことには解釈を。
望んだことがそのまま受け入れられるという解釈ができるのか、それとも何かまた変化・成長を望まないといけないのか。





もしかしたら、まだもっと多くの視点を持つことで補完できるのかもしれませんし、全くの検討外れかもしれません。

ただ、本当に素直に生きていくためには、受け入れるだけではだめだし、望むだけでもダメだと思うのです。
より良い方に向かいたいと思うのなら、望んでいなかったもの、むしろ望んでいたものと正反対なものの中にも、何らかの光を探していかないと、ただただ苦痛を強いられるだけだし、その状況に甘んじるのは自分のせいでしょう。
最善のものだけが与えられているわけではないのですから。




さて、そろそろ何書いてるのか、頭も痛くなってきたので、このへんで 笑