姓名判断にもかなり流派があって、わりと見解が違います。
まぁ、どれが正しいとかそんなのないでしょうから、各流派がそれぞれ複雑にしたりしてるんだな、という印象しか受けませんw
まぁ、好きにすれば良いんですが、個人的に
「これはどう考えてもオカシイ」
と思うものを3つ挙げてみます。
(1)漢数字の画数
一から九までの漢数字。
普通に数えれば
一=1画
二=2画
三=3画
四=5画
五=4画
六=4画
七=2画
八=2画
九=2画
これが常識的な感覚ですが、ある流派では
一=1画
二=2画
三=3画
四=4画
五=5画
六=6画
七=7画
八=8画
九=9画
としています。
それでは百・千・万は?と聞けば、うやむやにされてしまったり、霊数は81で循環するから割ってあまりを出せば良いとか・・・どう説明されても違和感があります。
字というものは書いたり形にすることで存在するものです。
それを急に観念論的なところに話を持っていくからおかしなことになっているようです。
勝手にないものを増やしたり、あるものを減らしたりするのは理に適っていないと個人的には考えています。
(2)1文字の苗字
基本的な形を【○○ ○○】つまり苗字2文字で名前2文字だとするのは特に問題はないでしょう。
日本で一番多いのはこのタイプっぽいですし(今まで出会った人も、このタイプが一番多いし)
しかし、苗字が1文字の場合のみ、「陰陽を揃える」ということで1画足すというのは意味が分かりません。
え~っと・・・例えば源頼朝で良いやw
普通に考えれば
源 頼 朝
13 16 12で総画41画。
これが、
○ 源 頼 朝
1 13 16 12で総画42画、という風に考えます。
これもないものをあるように加える・・・何とも無茶な考え方です。
日本には1文字と2文字だけでなく、3文字、4文字、それ以上も存在しています(稀少ですが)
この場合、陰陽をどう揃えるのか。
複雑にすることで専門性を高めようとしたくだらない遊びのように感じてしまいます。
(3)新字体でなく旧字体で考える
親が決めてくれた漢字で考えるのが正しい。
もうこれに尽きると思います。
例えば、学=學みたいにすることです。
普段使っていないそんな字にすることに、何の意味があるのか。
これも、やはり専門性を高めるためのくだらない遊びでしょう。
さて、こんな風に、どう説明されても理解しがたい姓名判断のやり方には、一つの大きな考え方が根柢にあるようです。
それが「画数至上主義」(こんな言い方をするのかは知りませんがw
「画数が悪いからこういう不幸なことが起きた」
みたいなことを言う占い師が多すぎるせいでしょう。
勿論、僕も画数は見ますが、それ以上に漢字を見たとき・音(読み)を聞いたときの感じの良さというものの方が大事です。
それをちゃんと分かるようになるには時間がかかるとは思います。
でも、時間をかけずに済むからと言って画数だけに拘るのは、やはり三流以下の占い師ですね。
まだまだ駆け出しの今こそ、そのあたりをしっかり詰めていこうと思っています。