1.はじめに

 

 初夏というには気温の寒暖差が激しい日が続き体調を崩されておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。蛹が家で育てている観葉植物もなんだか辛そうです。さて本日の記事は、日常生活だけでなくヴァナディールの中で遊んでいても時々感じる「違和感」を感じてしまう人とどう折り合いをつけていけばいいのか?このテーマを少し考察してみたいと思います。日常生活やヴァナディールでの人間関係に疲れ気味の方に一服の清涼剤になれば幸いです。

 

 

2.人間関係における「違和感」

 

 日常生活であれ、FFXIといったオンライン空間であれ私達は人との関わりの中で生活をおくっています。蛹などはいつも驚きそして名状しがたい気持ちにおそわれるものの一つが、人の個性の多様さです。同じ時代、同じ社会環境で生きていたとしても、誰一人としてまったく同じ人はいません。似ている人は大勢いるかもしれませんが、厳密にすべてが一致する人は双子と言えどありえないでしょう。私達個人個人は、それぞれ異なる人格を持ち異なる身体で区分けすることができます。これを考察の前提にすえると

 

 私達が人とおつきあいする中で、「つきあいやすい人」や「なんとも感じない人」、「つきあいにくい人」といったように、つきあいやすさが人によって異なる場合が起きうることは自然なことだと受け止めることができます。そして私達が人とのおつきあいの中で、「違和感」を感じる時というのは「つきあいにくい人」と接した時が多いかもしれません。なぜかと言いますと、「違和感」とはつきつめると、相手と自分との間に存在する「差異」として説明することができるからです。もちろんその「差異」を自己認知していないだけで、実は自分も抱えている「課題」である場合もあるでしょう。

 

 「違和感」とは他者と自己との比較の中で生まれる感覚です。そしてこの「違和感」が心を悩ます原因になってしまうのは、「違和感」が時にネガティブな感情を喚起させてしまうからです。もし「違和感」をただの「差異」、つまり「違い」としてだけ受け止めれるなら心に波風は立たないでしょう。この「違和感」が起因となって発生するネガティブな感情の処理の仕方。これこそが、「違和感」を抱いてしまう人への対処の仕方に他ならないと蛹は考えます。なぜそう考えられるのか?段階を踏んで説明をしてみます。

 

 

3.なぜ「違和感」はネガティブがな感情を引き起こしやすいのか

 

①比較

 「違和感」が生まれるためには、まず相手と自分を比較するという認知が必要になります。この「比較」という心の動きがなければ私達は大変心穏やかな人生を歩めれたのかもしれません。

 

②「違和感」の正体

 「違和感」とはさきほども述べたように、相手と自分との様々な部分の「差異」が「原形」だと言えます。

 

③「違和感」から生じるネガティブな感情

 ではなぜ本来「差異」でしかすぎない「違和感」がネガティブな感情を抱く場合があるのか?簡潔に述べますと、私達はありとあらゆる事柄を「評価」して生きているからだと言えます。この「評価」において、これまで生きてきて獲得してきた価値観であったり、自分が生きてきた文化的、社会的規範なども「評価」判断の時に参照の対象となるでしょう。

 

 これをもう少し抽象的に表現するなら、私達は人生に起こりうるあらゆることに「意味」を見出そうとする傾向を持っているということです。

 

 つまり、私達が「違和感」を感じた時、その「違和感」に「意味」を与えようとするのです。この「意味」を付与しようとする時、「違和感」が自分の内在的な価値観から遠ければ遠いほど負の「評価」を下すことによって、自己防衛をはかろうと努める傾向を私達は持っています。ですから、「違和感」に対してネガティブな感情が巻き起こるのは、ストレスから心を守り安静な気持ちを保とうとする「恒常性」(ホメオスタシス)という心的システムの機能が働いているからだと言うことが可能です。

 

 

4.「違和感」は他人のせいなのか

 

 上述したように「違和感」を感じた時、私達の心は防衛機能が働き、ネガティブな「意味」づけを行う傾向を持っています。「違和感」を取り扱う上で一番注意しなければいけないことは、私達は「違和感」で生まれたネガティブな感情を相手のせいにしてしまうという「罠」に陥りがちであるという点です。

 

 確かにそのような感覚が生まれる原因となったのは相手だと言うことができるように見えます。ですが、さきほども述べたように「違和感」にネガティブな「意味」を付与するのは相手ではなく自分自身であるということを思い出してください。そうなんです。「違和感」は相手のせいで、かつネガティブな気持ちを抱いたのも相手のせいだと考えている限り、私達は相手から「違和感」を感じるたびに心の平安を奪われ続けることになるのです。

 

 私達にとって必要なことは、この心の防衛機能を理解せずひたすら負の感情を相手のせいにすることばかりに専念するのではなく、心の防衛機能を理解しつつ、ネガティブな「意味」づけを行う傾向を持つ心の防衛機能と上手く付き合う方法を見つけることではないでしょうか。この記事の冒頭で述べましたが、私達は全て異なる個体です。個体の数だけ「違和感」は溢れているんです。ですから「違和感」があるから人と距離をとることばかりしていたら、結局誰とも深い人間関係を築くことはできないかもしれない。「違和感」にこだわり続ける限り、私達は心の安寧を得ることができないとも言えるでしょう。

 

 以上のような視点が得られると、「違和感」はネガティブな感情を喚起するものだから極力減らしたいという考え方の危うさを理解することができるようになります。例えば、対人関係の中で「違和感」をどんどん削り落としていったら、行きつく先は孤独しかなくなるでしょう。孤独の価値を否定はいたしませんが、社会という関係性が生み出す体験の場(コミュニケーションシステム)から撤退するのはせっかく生まれてきたのに、この命で経験できる幅を狭めるようでなんだかもったいないように蛹は感じてしまいます。

 

 「違和感」とそれによってもたらされるネガティブな感情を相手の問題とするのではなく、自己の内面の課題ととらえることで、私達はより成熟しより好ましい内面を獲得することができるのではないでしょうか。

 

 

5.ネガティブな感情との付き合い方

 

 では、ネガティブな感情とどうつきあっていけばいいのかというと、答えはたくさんあるでしょうが一つだけ自論を紹介させてください。蛹も日々ネガティブな感情に振り回されており、疲労困憊になる時こそ思い出すことがございます。

 

 それは

 

 良い感情も悪い感情も生きているからこそ抱くことができる体験に他ならないという事実です。あの世があるか、魂があるかはわかりません。でも、来世があってもなくても少なくとも私達は今実際に生きており、この世界で「体験」というお金に還元することができない「命の可能性」を享受することができている事実に蛹はいつも感謝の念が浮かびます。つまり、悪い感情でさえ実は感謝の対象になりうるのではないかという提言です。

 

 引用文を用いて、もう少しこのことを説明させてください。蛹は心が圧迫されている時に例えば、経営学の泰斗ピータードラッガーが晩年に残した言葉を思い出すことがございます。少し長いですが引用いたします。

 

 

「もう一度人生をやり直せるなら・・・・

 今度はもっと間違いをおかそう。

 もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。

 絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。

 この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。

 もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。

 もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。

 もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

 もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。

 もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。

 もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。

 もう一度人生をやり直せるなら・・・・

 だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。

 私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

 自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・

 もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

 人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。」
(「ピーター・ドラッガー95歳の詩」)

 

 

 この詩はドラッガーのものではないという説もあるそうですが、議論は専門家にまかせるとして、皆様この詩をどのように受け止められましたか?表面的ではないもっと深い部分での人生に対する洞察、そして生きることの価値や意味を理解するのを手助けしてくれる詩ではないかと感じます。

 

 「人生万事塞翁が馬」と言いますが、私達はなんでも白黒をはっきりつけたがり、その結果人生の中で得られていたかもしれない豊かな人間関係や生きているからこそ味わえる豊かな感情と出会う機会を失ってしまっているのかもしれません。人生を完璧にしようとしすぎるから、「違和感」にこだわってしまうのではないでしょうか。でもドラッガーの詩では、完璧でないからこそ人生は生きがいがあると述べています。なんでもそつなくこなそう。なんでも上手くやろう。こういった観念から解放された時、私達は「違和感」から生じるネガティブな感情の惑わらしさに対して適切な距離をとることができ、この人生をより良く享受できるようになれるかもしれませんね。

 

 

 

「生への感謝の祈り」

 
 
追記
・この記事は、ヴァナディールで一緒に遊んでくださる方が、SNS上で対人関係の中でネガティブな感情を抱き心が疲弊されておられるのを発見し、人間関係に苦しんでいるFFXIのプレイヤー様があとを絶たないことを理解したのが書く動機となりました。煩わしいことというのは、いつも起こりうるものですが、心悩ます他者の言動に対してどのような態度をとるのがいいのか?蛹なりの考え方を述べさせて頂きました。(2024年5月31日)
 
・誤字訂正。(2024年5月31日、6月8日)
・悪文修正。(2024年6月1日)