1.はじめに

 

 2024年4月20日(土曜日)の20時、ファミ通のオポネ菊池様、電撃の旅団のおしょう様のお二人が中心になられて、FFXIの新しい番組が始まりました。蛹はこの番組の告知を知った時からライブで観ようと思い、なんとかリアルタイムで観ることができました。この番組を通して、蛹が感じたことや考えたことを記事としてまとめておこうと思います。

 

 

2.番組を通して受け止めたこと

 

 この新番組に、ヴァナディールの新しい情報を期待されておられた方もおられたことがYouTubeのコメント欄からうかがえました。一方で、FFXIを最近復帰された方や新規で始められた方向けの情報提供を番組の冒頭でされておられたのをみて、ヴァナディールという世界から去る人もいれば戻ってこられる方もいらっしゃっているからこのような情報をお伝えするコーナーを設けられたのではないかと感じました。

 

 新規の方や復帰の方の増減と継続的に遊んでいる現役勢の皆様のおかげでFFXIというサービスが現在でも継続していることに、まずは感謝申し上げます。皆様の絶えることの無いヴァナディールに対する情熱によって、蛹もこの世界を味わい続けることができております。ありがとうございます。

 

 新規、復帰者の方向けのコーナーが終わった後、番組はFFXIのサービス開始からの道のりをたどるコーナーへと移っていきました。この時期は蛹はまだプレイヤーとして参加していなかったので、「こんなことが起きてたんだ」といった新しい発見もございました。この開始当時をプレイされた「冒険者」の方は、懐かしさを感じながら拝見されたのではないでしょうか。

 

 もうすぐ22周年を迎えるFFXIで、今回のような番組をスタートした意図というものをここから考察していきたいと思います。

 

 

3.なぜこの時期に新しい番組をスタートしたのか

 

①特設サイト”We are Vana'dile”との関連性

 番組の中でも触れられておりましたが、FFXIの特設サイト”We are Vana'dile”に触発されてこの番組を開始しようとした意図があったようですね。このサイトがこの2年を通して徐々に充実してきていることは、読者の皆様もよくご存知ではないでしょうか。このサイトはヴァナディールの世界がどのような歩みで年を重ねてきたかを理解するのに大変役立つ内容となっております。

 

 蛹はこのサイトは仮にFFXIというコンテンツがゲームとして終わったとしても、残してほしいと考えています。なぜなら、”We are Vana'dile”というサイトは、私達が駆け巡り体験した様々な記憶と想い出を取り戻させてくれるからです。

 

②”We are Vana'dile”を補完するため

 二点目に、後世の人たちがコンシューマ機における初めてのオンラインMMORPGを理解する手がかりであったり、研究の対象にする時に、一次資料的に扱うことができるサイトが”We are Vana'dile”であるけれど、それを「もどく」、つまりより良く咀嚼してわかりやすく解説する動画として、この番組を立ち上げたのでないかという推察です。

 

③ヴァナディールの歴史性のもつ価値を探るため

 ②の論点と重複しますが、FFXIという作品は、生みだされサービスが開始されて以降も数限りないヴァージョンアップや追加ディスクなどによってヴァナディールの世界が拡張されてきた時系列を持っています。これは現時点(2024年4月)でも、FFXIには積み重ねてきた「歴史」があると言う事ができるかもしれません。ヴァナディールの「歴史」とは、特設サイト”We are Vana'dile”で取り上げられている大きなゲームの変化という側面だけではなく、私達プレイヤーがそれぞれ得てきた想い出の集積としての「歴史」も意味するのではないでしょうか。現に、「A.M.A.N.とLIVE!」では、今後著名人をゲストにお招きしトークをしていただきたいという旨で、ゲストの募集を始めています。著名人のゲストを通して、私達はその方独自の想い出と共に、共通する想い出にも巡り合うかもしれません。それはFFXIというゲームがオンラインであるという特徴で説明できる出来事も含まれることもあるでしょうね。

 

 FFXIというゲームが、インターネットの黎明期の少し後から急速に日本中にインターネットが普及していくのと共に広がっていったようなイメージを個人的に持っています。ヴァナディールという世界で私達は確かに「今までみたことのない世界」を体験し味わうことができたと思える方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

 

 こうした既存の文化の中になかった新しい文化としてFFXIの登場をとらえることで、FFXIが日本社会に与えた影響やインパクトの大きさを理解したり評価するための文化的土壌をつくることができるかもしれません。

 

 

4.私達はこれからのFFXIに何を期待し、何を望んでいくのか

 

 せっかくこれまでのFFXIを振り返るお話をテーマとして取り扱うことができましたので、ここからはこれからのFFXIについて考えてみたいと思います。

 

 これからも「A.M.A.N.とLIVE!」を通して、私達が歩んできた道を再確認しそしてそれが自分の人生においてどんな価値を持っていたのかを理解できる時間を持つことができるかもしれません。また反対に、過去を振り返ることで、今現在の自分がたどり着いた「景色」をもっとより深く受け止め理解することもできるでしょう。そしてこうしたFFXIと「冒険者」としての自分が育んできた様々な文化的行為や社会的行為を適切に評価できるようになれば、

 

 「ただ強くなる」ために装備を取ったり強敵を倒したりするだけに価値を見出すのではない、もっと奥行きのあるヴァナディールに対する態度が育まれていくかもしれません。その態度とは、想い出がつまったこの世界において、これからも顔も名前も知らない人たちと継続的にコミュニ―ションができるという「ありえなさ」のもつ価値を大切にする態度につながっていくように思えます。

 

 私達は長い間、FFXIのゲーム性に心も身体も魅了されてきたのかもしれません。ではFFXIの魅力とはゲーム性だけなのでしょうか?蛹は数年前からこの命題に疑問を感じるようになってきました。FFXIが私達の人生にもらたしたものの一つのうちの中でも、大変価値があると蛹が考えているものが「人間関係に関する学び」です。適切な距離感で他者との関係の築くには、現実生活とは異なるコミュニケーション形式もありましたが、同時に極めて現実生活と似通ったコミュニケーションをしなければ継続的に豊かな関係を築くことができないという「発見」でした。

 

 FFXIの中で行われたコミュニケーションを通して、より人間的に豊かな人格を手にいれておられる方もおられるのではないでしょうか。この豊かな人格は、複雑な現実をより善く生きるために欠かすことができないものかもしれません。こうした気づきは、古代ギリシャ・ローマの哲人達の言葉と接しながらヴァナディールで時間を過ごす中で得ることができました。

 

 「強くなる」という終わりのないゲーム性ばかりにどうしても注目しがちですが、長いことヴァナディールという世界で時間を過ごしてきた「冒険者」であるならば、強くなるだけではない、もっと別の方向の楽しみ方にも喜びを見いだせれるなら、このヴァナディールという世界は、雲少ない満天の星々に照らされた海のきらめきのようにいつまでも私達の心の中で輝き続けるのではないでしょうか。

 

 限りある命を背負って生まれてきた私達は、ヴァナディールという世界と接することで、人生の中で大切にしたい価値、望ましい生き方、生き方のお手本になるNPC達をもしかしたら理解してきたのかもしれません。ヴァナディールで得た学びとは、学問的に理解しようとしたら膨大な遠回りを必要としたり、絶え間ない努力を要求されるような質の学びを、娯楽の水準で楽しみながら、時には苦しみながらも、手にすることができることを意味しているのかもしれません。

 

 この世界のありとあらゆるものを、どのように解釈し受け止め理解しようとするかは、その対象の属性だけではなく、観測する者自身の特性の反映でもあると考えるいわゆる「観測者問題」を考慮するなら、上記の提言に納得していただける方もおられるのではないかと思います。

 

 これからのFFXIに何を求めるのか?

 

 ゲーム性を大きく変えるヴァージョンアップが目立たなくなっていくとしたら、それは男神プロマシアがミッションを通して教えてくれたように、「置いていかれないために強くならなければいけない」という「呪縛」がほどける時を意味しているのかもしれない。FFXIの世界で何に価値を置き、何を求めていくのかは、「冒険者」の数だけ答えがでてくるでしょうし、その多様な答えこそがFFXIというゲームがこの世界に問いかけているFFXIの歴史性であり、文化的価値ではないか。そんなことを夢想する4月の連休の夜を過ごしました。

 

 

 

 「今田美桜さん 色付け版」

 

 

追記

・絵を挿入。(2024年4月29日)

・23周年となっていた箇所を22周年に訂正。(2024年5月11日)