1.はじめに

 

 2月も早いものでもうすぐ終わりとなり、年度末の3月へと移っていきますね。これからの時期は出会いへの準備と別れの時期でもありますから、なんだか物悲しい気持ちを抱きます。梅の花が咲き、そして桜の花が咲き、人々の笑みと涙が交錯する季節に接し、2023年度末に蛹が学んだことを文章化してみたく思います。

 

 

2.声優業の広がる活動領域

 

 2024年2月17日に開催された「異聞 ウタイビト」というFFXIの朗読劇に参加してから、声優の力というものを考えてきました。なぜ声優という職業が若い人を始め大勢の人の心をとらえて離さないのか?なぜ声優という職業につきたいと思われる人たちが絶えることなく大勢いらっしゃるのか?このようなことをしばらく考えておりました。

 

 声優という職業に興味を抱き始めたのは、今回のイベントも大きく影響しているのですが、元をさかのぼれば「ふしぎの海のナディア」というNHKで放送されていたアニメがきっかけだったのかしらと思います。このアニメの声優として日髙のり子様、大塚明夫様、井上喜久子様といった声優の名前を覚えました。蛹は、特に大塚明夫さんの声に強く惹かれ、ネモ船長の声をあてられた大塚様がまだそれほど年齢が上ではなかったという後日談を聞いた時に、若いのにあんな演技ができるんだと驚いた記憶さえございます。

 

 蛹が接してきた若い人たちの中には、声優を志す方もおられましたし、声優のファンの方だと公言する方もいらっしゃいました。そうした方達と接するたびに、声優という職業が、こんなにも色々な人たちから恋焦がれ憧れているんだと感じることができました。

 

 声優は、海外映画の声当て、アニメ、ゲーム、ラジオなどを舞台にご活躍されておられると知っていましたが、調べたところ、現在では会場を貸し切りライブをされる声優の方もおられると知り、アイドルとそん色のないご活躍をされておられる方もおられることを知り驚いております。

 

 私達は、なぜ声優という職業および声優の方に憧れを抱くのでしょうか?

 

 蛹はここ1週間ぐらい考え続け、ある一つの答えを見出しました。声優が人気の理由はファンによって千差万別でしょうから正解は一つではないのでしょうが、その多岐にわたる理由の基底的な理由を指摘できるのではないかと考え本稿を書いております。

 

 

3.「なぜ声優が人気なのか?」メルロ=ポンティの身体性をベースに

 

 フランスの現象学の泰斗のメルロ=ポンティ(1908~1961)の身体性の議論をベースにすれば、声優の魅力に迫れるのではないか?これが本稿の主題になります。

 

 メルロ=ポンティは、私達人間が現実を理解するための「中心」が身体であり、また現実からの様々な刺激を受け取り解釈する装置として身体は「媒介」的に役割を担うと主張しています。彼の考え方に沿えば、私達は物事を理解したり、何かに感動したり、何かを価値づけたりできるのは、この身体があるからこそ実現できているということになります。

 

 さて声優のお仕事は主に、その声になります。声優の「演技」とは、呼吸器系統において、空気を出し入れしながら声帯を震わすことで生まれる音色や音の高さなどを自由自在に利用することで「表現」されるものなのでしょう。蛹は、FFXIの「ウタイビト」のイベントを通して、声優の方達が感情的な声の表現をする時に身体全体を動かしながら「演技」されているのを観て、強く感銘いたしました。私達が「感情」と呼んでいるものは身体性なくして、表現することも理解することもできないのではないかという発見があったからです。

 

 具体例をあげますと、どこかを見渡すような場面での「演技」では、「ウタイビト」の舞台で声優の加藤英美里様は客席すら越えて、そのキャラクターがいる世界の中にいるかのような振る舞いで遠方を探るような動作をされておられるシーンがございました。身体の動作を伴うことで、より現実的により情緒的に「演技」をされておられました。蛹は後日この光景を頭に浮かべ、身体性こそが声優が日々行っている創造的な行為を生み出す源泉なのではないかという考えにたどり着きました。もっと正確に述べるならば、声優の声による「演技」とは身体全身を用いた「表現」を伴うからこそ、架空のものにさえ「命」を宿すことができるのではないか?この本来この世界になかった存在に「命」を宿す行為こそが、声優の本分でありまた他に代えることができない特殊性ではないかと考えたのです。

 

 この「命」の吹込みと、虚構的存在に実在的存在感を与える特殊な行為は、声優だけでなく演技全般に言える事ではあるのでしょうが、俳優たちとの決定的な違いとは、俳優達はご自身の身体も「表現」の対象になる一方で、声優たちは純粋に声だけで俳優たちが表現しておられるような水準のものを「現実化」させてしまうということではないでしょうか。

 

 また別の角度から声優の魅力に迫ると、絵や動画といった映像に身体性を与えているのが声優ではないかと考えます。実際、「ウタイビト」の舞台で、声優の発せられるかすかな息遣いやため息などの呼吸を感じさせられる身体性から生まれる「演技」にひきこまれました。絵や映像は音楽や効果音などによって「現実性」を獲得していきますが、声優による声は特に抜きんでて絵や映像を「現実的」なものに仕上げるのに最も寄与しているようにみえます。こうした解釈によって、「視覚情報が身体性を帯びる」のに最も効果的なのが「身体性」をもつ声である、ということがわかります。

 

 

4.まとめ

 

 声優の魅力として

 

①声優の声は虚構的な存在に「命」を与えることができる。

 

②視覚情報を「現実的」なものに引き上げることができる。

 

 このような力を生み出す声優は、こうしたことを実現するために「身体性」を存分に活用されている。そして私達はたとえ虚構的な対象であっても、声優のこのような「演技」を通して、キャラクターであったり作品であったりをより深いところで、つまり「身体性」のレベルで理解することができるようになる。この力に私達は惹かれ憧れるのではないでしょうか?この憧れはまるで、不可能なものを可能にさせる「神」に対する憧憬に通じるのかもしれません。ここには、虚構的世界におけるカリスマとしての声優が浮かび上がってきます。ですから、声優のファンの人たちは、声優に対して「素敵」「かわいい」「かっこいい」「すごい」といった感情だけでなく「尊い」「心を支配される」という感情すら抱くのかもしれません。

 

 自分の好きな物や人や事に対して、それが「尊い」と感じることは人間の感情の複雑さが到達した一つの頂点のように蛹には思います。なぜなら、「尊い」という感情は単一な感情ではなく、「素晴らしい」「価値がある」「美しい」「他に代えがたい」といった様々な感情が複合的に合わさって生まれる感情ではなかと考えるからです。このような複雑な感情を体験し理解できることは、「なぜ命を与えられて生まれてきたのか」という論理的には答えることができない問いに対する一つの「人生の答え」を用意してくれるかもしれません。つまり、このような感情を理解するために私達は限られた命を生きていると言えるのかもしれません。

 

 今回の記事では、声優が持つカリスマ性に焦点を当ててみましたが、そのカリスマ性が生まれる根源に「身体性」があるということ。そして「身体性」を通して人生を受け止め理解しようと努めることがいかに価値あることかを考えさせてくれる素晴らしい「教材」として声優という職業を受け止めることができるのではないか?これが今回の提言になります。最後までお読みいただきましてありがとうございました。



「Close to you」


 

追記

・一部表記を修正。(2024年2月26日)

・加筆。(2024年2月27日)

・絵を挿入。(2024年3月15日)