1.はじめに

 

土日に行われていた勉強会がひと段落し、ほっと安心した日々を送っています。また自分の興味のある世界を深め味わう時間が再開いたしました。

 

FFXIでは、LSにおられる復帰者の方達のためにシニスターレインを連日通っております。最先端のコンテンツではなくなりましたが、シニスターレインで登場したNPCが2月に実装されるマスタートライアルで登場するそうですね。マスタートライアルまでなかなか手をだすお時間もないのですが、いつか挑戦してみたく思います。

 

さて本日は、現在(2024年1月)NHKで放送されている「ブギウギ」に登場する人物のモデルともなった歌手の淡谷のり子さんを取り上げようと思います。なぜ淡谷さんを取り上げようとしたかといいますと、浅香光代さん、清川虹子さんとこのブログで昭和の偉人たちの生き様を紹介してきた経緯もありまして、2024年にまた別の方を紹介したく思うようになり、NHKのドラマの影響もあり気になりだしていた淡谷さんに白羽の矢を立てました。

 

 

2.「淡谷のり子」という生き方

 

淡谷のり子さんは青森市で1907年(明治40年)にお生まれになられたそうです。実家は火事や父親の放蕩などで破産したそうで、音楽が好きな淡谷さんのお母様と妹さんと一緒に上京され、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)に進まれたそうです。学費を払うためヌードモデルもされていたそうで苦学生だったようですが、すぐれた画家との交流を淡谷さんは誇らしげに語っておられました。これもまた淡谷さんの美意識への感受性を更に鋭くさせた体験だったようにみえます。はじめはピアノ科で入学されたそうですが、淡谷さんの声に注目した指導者たちが声楽科への転向を促し、西洋のクラシック音楽における声楽の基礎を徹底的に叩き込まれたそうです。YouTubeに上がっている淡谷さんの歌を聴きますと、西洋音楽の声楽を自分のものにして更に自分の声質の特徴を活かす歌い方をされているなと印象に残りました。

 

卒業後、歌手デビューし1931年には『別れのブルース』で一気にスターダムにのし上がります。日中戦争が始まっていた時期になりますが、淡谷さんは戦争を賛美するようなことはなかったようです。軍事慰問という形で戦地に赴き、兵隊さんたちに歌を届け続けたそうですが、憲兵から化粧やドレスを禁止されそうになると、歌手の戦闘服だからと反発し、自分の信じるスタイルを貫いたそうです。権力におもねず自分が大切にしている価値を守り抜く姿は、今の私達に欠けている強い信念のように思えます。

 

戦後、様々な歌をヒットさせて紅白歌合戦にもご出場し、大勢の後輩歌手から淡谷先生とまで呼ばれるようになったそうです。歌番組の審査員をされたりもしたそうですが、その当時から辛口批判をすることで有名だったそうです。

 

そしてようやく蛹の記憶にある淡谷さんが登場します。ものまね番組の審査員などで歯にきぬきせぬ厳しい言葉で、ものまね芸人さんたちに歌への強くて深い情熱を示した淡谷さんは、若い人にも幅広く認知されていったことは読者の皆様もよくご存知かと思います。

 

晩年まで淡谷さんは歌の活動をし続けていましたが、あるコンサートの後体調不良となり脳梗塞が見つかり、事実上引退のような状態になっていったようです。実の妹さんから介護を受けながら再起を期して療養生活をされていた淡谷さんですが、1999年にご他界されました。享年92歳でした。

 

 

3.淡谷さんを偲んで

 

淡谷さんが遺したショパンの「別れの曲」の歌などを聴いておりますと、淡谷さんのロマンチズムに対する深い理解と素晴らしい表現力が生み出す世界に惹きこまれてしまいました。蛹は本稿を書くにあたり淡谷さんに関する記事や動画などを拝見していった結果、「ものまね番組で辛口批評をするおばあさん」というイメージが変わり、歌と美しいものに価値を見出し、一生をかけて「より美しいもの」を追い求め続け、人生に対して誠実に生きた一人の女性の姿が浮かび上がってきました。

 

明治から平成という日本社会が大きく様変わりした時代を生き抜いた淡谷さんが、私達に残したものとは

 

①自分にとって価値があるものとは他人が決めるものではなく自分で決めるものである。

 

②価値があると感じたことを大切にして、価値あるものを追求する中で学び取ったことを人生に活かしていく。

 

③時に厳しい批判をするとしても、それは相手の可能性を信じる行為につながることもある。相手を傷つけないようにふるまうだけでは時には、相手に想いがしっかりと届かないこともあるのかもしれない。

 

④人から「先生」と呼ばれることに安住するのではなく、常にどの人とも対等に接しようとする淡谷さんの生き様は、大勢の人たちの人生の価値観に影響を与えた。私達も自分の利益や快適さばかりを求めるのではなく、他者が幸せになること、他者がより好ましい人生を歩めることに対して、誠実に自分ができることが何なのかを考え実践していくこともまた、自分の人生を豊かにするのではないか。

 

このようなことを蛹は学びました。

 

今回の記事を書くことで、淡谷のり子さんという歌手の歌と生き様が、私達より上の世代の大勢の日本人の心をとらえていた理由を、おぼろげではありますが理解することができました。

 

私達FFXIプレイヤーも、ヴァナディールという仮想空間と同時に現実生活を営んで暮らしています。私達が日々直面している現実と接すれば接するほど、蛹はその複雑さ、果てしない広大さ、不思議さ、ありがたさを体験できていることに強い感謝の気持ちを抱きます。私達はこの命を通して、何を学び理解し、そこから何を大切にして限られた時間を生きることが自分にとって納得のいく生き方になるのか?淡谷さんの生き方は、こうしたことを考える上で、大変参考になるのではないでしょうか。

 

人生には社会システムや文化システムが提供する「理想」はあるかもしれないけれど、「本質的な正解」がないのかもしれません。「本質的な正解」は結局自分で創っていくしかないと理解できた時、私達はこの限られた人生に無限に近い選択の可能性と向き合うことができるのでしょう。そして何をどう選択するかこそが、私達の人間性を評価するものなのかもしれません。

 

この評価も人からの評価に重きを置くのではなく、自分自身で自分の価値を評価することの責任の重さと素晴らしさを理解できるなら、どのような人生を歩んだとしても、この世界を去るとき悔いなく去っていけるのかもしれませんね。

 

 

 

 

4.結びにかえて

 

 淡谷さんの残した素敵な言葉を少しご紹介して筆を置きたいと思います。蛹はこれからご紹介する言葉にでてくる

「歌」を「人生」という言葉に置き換えて解釈してもいいのかもしれないと淡谷さんの生き様に接して思います。

 

 

「自分の中に、光を持っているのに『私はダメかもしれない』ってね。

 それはせっかく懐中電灯を持ちながら、眼をつぶって歩くようなものです。

 尊いものを持っているのに、そのありがたさにきづかない。

 贅沢ですよ。」

 

 

「美空ひばりさんの真似だったり、私の真似だったりしたら、それは物真似で

 歌ではありません。

 自分の歌を大切にして、自分でなくては歌えないような歌が

 たとえ下手のようにきこえても本当の歌です。」

 

 

「勉強するしか道はない。苦しみ悩み努力がない歌はいんちきだ。」

 

                            淡谷のり子

 

 

 

 

「もしもFFXIのナイトが歌を愛していたら」

 

追記

・二重投稿になっていたので修正。(2024年2月1日)

・誤字訂正。(2024年2月1日)

・「4.むすび」を挿入。(2024年2月1日)

・絵を挿入。(2024年2月1日)

・淡谷さんの言葉の引用先