1.はじめに

 

ここ数年、朝早く元気よく起きれた日に15分ばかり趣味の時間に当てておりました。

 

内容はというと、日本の戦後文化史を蛹が興味のあるところからかいつまんで調べていくという贅沢なひと時となっております。

 

今朝も早く元気よく起きれまして、ついに1960年代に入りました。60年代は日本の女性に大きな影響を与えたイギリス人モデルのツィッギーさんが来日され、ミニスカートブームが起きた時代でもあります。

 

そんな背景の中、日本の女優さんやモデルさん達がミニスカートを履いて颯爽と登場してきます。

 

そして色々な方達の素敵なお写真などを眺めていて、ふとあることを思いついたんです。

 

それは、FFXIのヒロイン達のイメージの源流がこの時代まで遡ることができるのではないか?という着想です。

 

自分が生まれる前の時代にご活躍された日本の女優さん達と平成から令和へと続いているFFXIのヒロインを比較するのは、他でみたこともないですし可笑しな試みではありますが、蛹の余興にご興味を抱いた方は、良かったらお付き合いください。

 

 

2.FFXIヒロインのイメージの源流

1960年代からご活躍された日本の女優さんたちからFFXIのヒロインのイメージのモデルになりそうな方たちを選んでみました。現在でも大変有名な方もいらっしゃいますが、初めて知る女優さんなどもおられるかもしれません。そういった初見の楽しさも是非味わっていただければと思います。

 

①ライオン = 浅丘ルリ子 さん

 

鋭い眼差しと強い意志を感じさせる浅丘ルリ子さんにライオンの面影を感じました。

 

 

 

 

②プリッシュ = 和泉雅子 さん

 

天真爛漫な側面とどこか影のあるプリッシュのイメージを和泉さんに見出しました。

 

 

 

 

③アフマウ=加賀まりこ さん

 

マツコ・デラックスさんが、一番別格とおっしゃられたのが加賀まりこさんです。

加賀さんのキュートな雰囲気にアフマウを重ねました。

 

 

 

 

④リリゼット=浜美枝 さん

 

映画「007」のボンドガールでもある浜さんですが、若々しい躍動的なイメージと

困り顔がどこかリリゼットを彷彿させる気がいたしましてノミネートいたしました。

「007は二度死ぬ」浜美枝の画像

 

 

 

 

⑤アシェラ=若林映子 さん

 

同じく「007」のボンドガールの若林さんですが、この長髪のお写真をみたら

頭の中でアシェラと結びつきました。

画像

 

 

 

 

⑥イロハ=吉永小百合 さん

 

蛹でもよく知っている吉永さんですが、その清楚さや誠実さはイロハにピッタリ

ではないでしょうか。

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☆おまけ

ドラゴンクエスト7のアイラ = 清川虹子 さん

アイラ

 

 

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1960年代という物質的な豊かさが急激に向上していく社会の中で、手にしたものが果たして「幸せ」なものなのか疑問を持ち出す人たちが登場し始めるこの時代に、女神のように「幸せ」や「夢」を与えてきたのが上にご紹介した女優さんたちでありました。社会の中で「求めたいこと」「求めることが望ましいこと」が今よりも明確にあった一方で、今の日本の有様につながる実際に味わった社会の現実に対する「疑問」や「挫折」がこの時代から始まっていることをいくつかの本と動画を通して理解できました。

 

 

3.まとめ

独断と偏見でカテゴライズしてしまいましたが、いかがだったでしょうか?

 

今から見たらコケテッシュなファッションでもないし、お淑やかなファッションのせいで古めいた感じを掲載したお写真に抱かれた読者の方もおられたかもしれません。

 

一方で、お写真の古さや流行の古さを抜きにすれば、現在でもトップを張れる方、いえそれどころか今をときめく女優さん達でも敵わない方を発見された読者様もいらっしゃったかもしれません。

 

流行は巡り巡っていくものでしょうが、流行に惑わされない美しさを持っていた日本女性がいらっしゃった時代が確かにあったことを皆様にもご同意いただけたのではないかと思います。

 

FFXIのヒロイン達のイメージの源流は、こうした戦後日本で受け継がれてきたイメージの文化に求めることができるのではないかと蛹などは考えます。

 

蛹の目論みが上手くいったかどうかは読者の皆様に委ねたいと思いますが、皆様に日本の1960年代にご活躍された大変魅力的な女優さんをご紹介できたのではないかと思い独り悦に入っております。

 

 

追記

何故今のような娯楽を享受できているのか?その因果を知りたくて始めた日本の戦後文化史を調べる余暇活動でしたが、その成果の一つとして本記事をあげることができました。

 

これから70年代を調べてその後の80年代からは少し調べものをした上で、いよいよ本命の宮台真司先生の『増補 サブカルチャー神話解体-少女・音楽・漫画・性の変容と現在』(2007,筑摩書房)をもう一度読み直す読書の旅にでかけようと予定しております。

 

昔読んで分からなかった難解な箇所も、以前より理解できるのではないかと思い、今から楽しみでなりません。

 

 

・2023年3月9日の「Super Dommnune」というYouTubeの番組で、蛹のコメントを司会者の方に拾っていただき、宮台先生からお言葉をいただきました。

 

去年から宮台真司先生の動向を追いかけておりますが、宮台先生が仰る「虚数的」という比喩が、理系の蛹には大変わかりやすく受け止めれました。

 

宮台先生は、現実の中で手に触れることができる「実数」のような具体物や個別的事象に満足していては本質を見誤ると述べておられました。蛹は数学分野を主に専門としておりますが、虚数があってこそ実数部が成り立つということを理解しております。

 

わかりにくいと思うので具体例をあげます。皆様が中学校の時に習った「二次方程式の解の公式」は高校になるとルートの部分が負になるケースがあることを学びます。このルートの中が負の数になる場合を虚数(イマジナリーナンバー)としたのが数学史で述べられています。虚部(虚数の部分)は実部(実数の世界)とは異なり実数次元では見えません。

 

一方でx軸とy軸からなる実数の平面に垂直なz軸の平面を虚数平面とすることで、二次関数をグラフとして複素数空間にまで拡張するとができます。この複素数空間において、二次関数を平行移動させたり変数を動かしたりして領域の動き方を観察すると、虚数とは、実数が補えない領域を補っているという事象を理解することができます。(ご興味のある方は数多ある数学の計算ソフトで確かめることができます。)

 

宮台先生は、実数の世界を現実の具体物、具体的な事象として喩えられ、手で触れることができない虚数の世界を理念的、思惟的な事象として表現されておられました。蛹はこの喩の妙に心底納得いたしました。実数(現実の社会)が存在できるのは虚数(哲学・思想・道徳・社会的理念など)という「包括的な前提」があってこそ成立しているという数学的な概念の用い方をすることで宮台先生は、「現実/非現実」「具象/抽象」の関係性の比喩を見事に表現されておられました。蛹はその表現力に圧倒されました。そして、社会科学と数理科学との垣根を超える宮台先生の発想に、未来の人間科学を見出しました。

 

蛹は思います。人々がなんらかの「行為する」ためには、理想や理念が必要であり、それなくして「行為すること」であるならそれはAIでもできるんだと。私達人間は少なくとも今の段階ではロボットと同一の存在ではありません。「人間性」「人間らしさ」をこれ以降の社会でも大切にしたいとするならば、この虚部の世界(人間の理念や理想)を保持し「行為する」ことがいかに大切か?ということを宮台先生は惜しみなく私達に伝えようとしていらっしゃるように見えます。

 

FFXIの世界ではBOTという人間が操作しなくても「プレイ」するプログラミングが見受けられます。私達プレイヤーとBOTを分けるものは、突き詰めれば「人間性」ではないでしょうか?

 

例えば「人間性」があれば、長時間のプレイは「疲れ」をもらたしますから非常識な長時間プレイはできないでしょう。でもBOTはそれを可能にするのです。ここには決定的な「差異」が存在します。

 

まとめます。これから、私達人間がますます問われていくことは、機械ができることではない「人間独自の行為」である「創発的」で「ユニーク」なコミュニケーションではないでしょうか?AIがより高度に効率化を達成していくのだとしたら、私達人間は反対の非効率の中になんらかの価値を見出していくことが「人間らしさ」の証になる時代がくるかもしれません。AIの進化は限りなく人間らしさを表現できるようになるっていくのでしょう。ですがAIは感情を持つことができないのであれば、AIの営みとはただ人間らしさを模倣しているだけです。もっと言葉を重ねるなら、AIは本質的に情緒を理解することができないとも言えるかもしれません。

 

まだAIは未熟です。ですからまだ余力を持って人間によって「人間性」を表現できる余地がある時代に私達は生きているとも言えます。この可能性を最大限利用し、次世代に「人間性」がもたらしてきたこれまでの人類が築きあげた「人生」に「意味」を与える「価値観」を引き渡していく使命を私達は担えるのではなでいでしょうか?

 

また「人間らしい」振る舞いや価値観を追求することが、私達に存在意義をもらたしてくれるかもしれません。AIが高性能になればなるほど、この問題と向き合う価値は先鋭化していくでしょう。

 

いずれにしましても、例えば1960年代の女優の方たちが日本社会に生み出した女性の在り方の「モデル」もしくは「めざした方がいい方向性」のような「過去の文化が築いてきた価値観や人生に対する態度」といったようなものを、これからもしっかりと認識し、具体的な行動のレベルで「社会システムの合理性に還元できない望ましい人間性」を実現してければ、落合陽一先生が提唱している「デジタルネイチャー」の荒波をなんとかいなしていけるのかもしれません。

 

 

・記事を追加。(2023年3月9日、10日)

・誤字訂正。(2023年3月10日,11日)

・推敲。(2023年3月10日)