しばらくブログの更新が滞っておりました。ここ最近は両手剣ラグナロクのメイジャンにいそしんでおりました。
昨晩、ラグナロク119+が完成いたしました。
ラグナロク
Rare Ex
D304 隔431 命中+60
魔法ダメージ+155 両手剣スキル+269
受け流しスキル+269 魔命スキル+242
クリティカル発動率アップV
スカージ アフターグロウ
アフターマス:命中+15 クリティカルヒット+10%
Lv99~ 戦ナ暗
<ItemLevel:119>
(引用:「FF11用語辞典」様)
今回のラグナロクも上位BF☆神竜で得た大量の深成岩のおかげで一気に119+まで到達することができました。
ここから蛹の両手剣の旅が始まりました。ランペールの墓のコウモリを対象にマスポをいたしました。今回は2垢は用意いたしませんでしたので(仕事の疲れで)、ソロでどれくらい稼げるか試したかったんです。
最初はラグナロクを装備することで使えることができるスカージ2発の光連携で楽しんでいたのですが、フェイスのイロハ2の介入もあり、両手剣でも色々連携ができるのでは?と発見し
①レゾルーション > ②トアクリーパー > ③スカージ > ④レゾルーション
の光連携を見出しました。
これによって、効率は悪いですが連携を出しながらコウモリと楽しむことができました。
このブログの読者の皆様ならご存じだと思いますが、蛹のジョブは暗黒ではなくナイトです。
火力的には確かに、ものたりない感じもいたしましたが、サクパタオグメも育っていない蛹のナイトでは支援のない中、十分すぎるほどの火力がでました。
こうして1万ポイントほど稼ぎ満足して墓場から退出しました。
蛹は思います。確かに形にはめた構成で効率よくポイントを稼ぐことは、人生という時間の制約のある私達にとって重要なテーマのように見えます。
一方で、蛹がやったように効率なんて度外視して、限りある制限の中でいかに自分なりに楽しめるか?ということも、また人生をよりよく生きるためのスキルではないとかと思いました。
蛹は、効率的に遊ぶことを否定したいのではなく、効率的に遊ぶ以外の選択肢があることを読者の皆様に訴えたくこの記事を書いております。
ナイトが両手剣を持って敵を倒すなんてありえないとお考えのプレイヤー様がおられたとしても、蛹はその考え方を否定できません。それどころかイオリアンで範囲狩りをしないの?という疑問に、仰る通りですとお答えいたします。
ただ、遊びの幅は各人に委ねれているのもMMORPGの醍醐味の一つではないかと思うのです。自分がどのようなふるまい方をして楽しむかを決定しそれで得られる喜びは、プレイヤーに委ねられているのもFFXIの素晴らしい特徴ではないかと考えます。
一見非効率的にみえる世界の中にも喜怒哀楽が確かに存在し、それは自由意志に委ねられているということを鑑みることができる人であるなら、蛹のこのつたない文章の趣旨をご理解していただけるのではないかと思い、深夜に起きてブログを書かせていただきました。
「両手剣ラグナロク」
蛹は他の記事でも書きましたが、FFXIというゲームの体験は機械的で効率的な行動を最善とするような味気ない「遊び」がゴールではなく、FFXIという仮想現実空間が私達の限りある人生を豊かなものにするためにサービスの提供がされているととらえております。ですから、効率的である「遊び」よりも、試行錯誤と迷いと傷つきの中で楽しむ「遊び」もまた私達プレイヤーの精神性を高めるもでのあり、そうであるからこそFFXIというゲーム体験は効率主義に還元しきれないある種の崇高さを保持していると考えております。
私達が生きる社会は、ますます効率的で合理的であろうという圧力が強くなっています。その方向は人類が古代から追求してきた「理想の社会」の在り様に寄与するのかもしれません。しかし同時に社会システムの合理性が個体にもらたす様々な問題も顕在化していっている状況の中にあるということを理解することできるなら、宮台真司先生が『14歳からの社会学』(2013,筑摩書房)で述べられているような「変えることのできない歴史の流れ」が抱えている問題点をしっかり把握しつつ、個体のレベルで適時対処していく必要のある時代になってきつつあるということも理解できるでしょう。
蛹は考えます。FFXIという「余暇活動」を通して、人生に対する価値観や態度を養うことができるのだとしたら、これほど有益な「余暇活動」は見出しにくいかもしれない。このヴァナディールという仮想電子空間が私達の人生を豊かにしてくれているという事実は、私達は時代のめぐりあわせで「たまたま」得ることができた幸運と呼べるかもしれません。もしかしたら、こうした歴史の流れは、モーッァルトがヨーロッパの各地に旅しそれまでの西洋の音楽の集大成として次代に古典音楽をベートヴェンなどに受け渡していったのと同様に、メタバース社会に向けて進んでいく私達に課せられた運命なのかもしれません。
私達は過渡期にいるのでしょうか。
いずれにしましても、私達は確かに「歴史性」を刻印されてた中で生きており、その楔から逃れられないということです。逃れなれないなら、胸をはって引き受けてみるのはどうでしょうか?
私達は「リアル」と「メタバース」という社会の在り方を時系列的につなぐ存在であり、後世がより良き社会になるために努力をすることが望まれる世代なのかもしれません。
FFXIというMMOPRGという現象を「たまたま」遭遇した人間として、私達「冒険者」はその「冒険」で味わったことを社会に還元することで、多層的に広がっていく後世の社会の道しるべとなる「冒険者」「先駆者」となることができるのかもしれません。
蛹のブログもこの意味で、未来の人から見てMMORPGが社会に対して与えたインパクトを理解するための補助線になれば、これ以上の幸せはありません。
追記
蛹が所属するLSでコミュニケーション上の問題がありました。しかしこの問題に関わったすべての人が幸運にも真摯であったため、事態は収束しました。蛹は感じました。私達がチャットで伝えようとしていることは非言語的コミュニケーションがともないない分、想いのわずかしか伝わらないということを。蛹の勇足もあり、不快に感じられたLSメンバー様もおられたかもしれません。でも今日、メンバー様たちのとお話合いで、再び蛹を受け入れていただけました。
このように、一度壊れかけたといってあきらめずにコミュニケートする意思を持ち続け、真摯に対応することがいかに大切か。これを理解する日となりました。
蛹のブログをわざわざ読みに来てくださるありがたい読者の皆様も、ヴァナディールだけでなく現実生活でもコミュニケ-ションの場面で悩まれる方もおられるかと存じ上げます。時には誠実に向き合うだけでは解決しないこともあるでしょう。でもそうしたコミュニケーションであっても、なんらかの気づきを得ることができるとしたら、それ以降の人生に役立つ処方箋になるのではないでしょうか。
誤字を訂正。(2023年2月21日)
絵を挿入。(2023年2月22日)