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Bar Gatto

当店は猫カフェではありません。
バールです。
オーナーがねこ様なのです.・†.:*・°

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メガネ~、
おだいどころきたな~いぼー

クレンザーであらったほうがいいよ?

え?
クレンザーきらしてるの?

じゃあクレンザーかってきたほうがいいよ?



あー、
せわがやける。


















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「フランケンウィニー」を借りて来て観ました。
以下、
ネタばれになるのでまだの方は読まないで下さいませ。。。





もうもう、
本当に号泣!!

2012年のこちらはアニメでしたが、
過去にティム・バートンによる短編の実写版がありました。
しかし今作はその短編をベースに更にふくらませた、
娯楽作品に仕上がっています。

とはいえ、
絶対好みが分かれるでしょう。
それは作風だけではなく、
おそらく個人の主義及び趣味の問題で。。。
(出来の如何に関わらずこの作品が好きな方は、
おそらくメガネ一家と相当好きなものが近いでしょう。)
フランケンシュタインなど古典怪奇映画への愛、
ガメラなど特撮へのオマージュ、
そして科学に対する考え方。。。
多少の癖はありますが愛すべき作品です。

ところでメガネはスティーブン・キングの同名の小説を映像化した、
「ペットセメタリー」という作品が忘れられません。
作品の出来不出来はともかくとして、
ラストは「フランケンウィニー」と全く正反対。
(生き返らせる手段も、片や呪術、片や科学で全く反対なのですが…)
「ペットセメタリー」の中では死体再生について、
ダメなものはダメ、
と一貫しています。
禁を犯した上に墓場から蘇って来るものは、
あのかつて愛したいとおしい存在ではなく、
その肉体を器にした悪霊にすぎないからです。

メガネも本当は死んだものを蘇らせても何もいい事はないと思っています。
だからにゃー様のご遺体は火葬しました。
イヤだったけれど泣く泣く荼毘に付しました。

骨にでもしてしまわなければ、
諦めきれないメガネは本当に何でもしてしまいそうだったからです。


身もフタもない言い方だが、
この作品は普通に考えたらイカれてます。
死んだ愛犬を生き返らせてしまうなんてやってはならない事です。
大体腐敗止めの処置をしなければ、
ご遺体が傷んで大変な事になるじゃないですか!
だのに主人公の少年はスパーキーを抱きしめ、
尻尾や耳が取れれば何のためらいもない笑顔で「また付けてあげる」と言う。
まるで汚れたからシャンプーしてあげるとでも言うかのように。

でも本当に離れ難く執着するほどに愛していたら、
そしてそんな方法があったならば、
誰でもきっとみんなそうしてしまう。

もしこの作品を観て、
お子さんが天寿を全うした愛犬を生き返らせると言い出したら何て答えますか?
「焼いて埋めろ」と即答するのでしょうか。
では何故生き返らせてはいけないのでしょうか?
「命は限りがあるから愛おしい」だなんて綺麗ごとです。
本当に愛する者の命が尽きたとき、
そう簡単に諦めきれるものでしょうか?
しかし愛があったからと言って、
必ずあの愛おしい存在が帰って来るとは限らないのです。

わたしはこの作品でこの問題の答えが出るとは思っていません。
むしろこの作品も見、
他の作品も見、
実際に様々な経験をし、
いろんな思いや状況を目の当たりにしなくては。

わたくしの意見を言うならば、
それは「終わるものは何かしらの訳があって終わる」というものです。
スパーキーは生き返りましたが、
劇中の台詞の通りもしかしたら長くは持たないかもしれません。

ハッピーエンドに賛否両論はあります。
しかしわたくしはこの終わりかたを「良かった」と思いました。
何故ならヴィクター少年は2度の愛犬の死を経て、
ようやくある事に気づいたからです。

この後スパーキーが3度目の最期を迎えたら、
おそらくヴィクターはもうスパーキーを蘇らせようとはしないでしょう。
いつまでもいつまでもただ側にいたいと願うのは本当の愛とはちょっと違うと、
気づいたからこそ彼はラストシーンでパパとママにああ言ったのです。


ただどうやらスパーキーの方も、
今はまだまだヴィクターとは一緒に居たかったみたいですけれどね(b^-゜)




アリス以前のバートン作品や、
「コープスブライド」が好きだった人にはおススメします!











































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昨夜、
ミラ・ジョヴォヴィッチ主演のバイオハザードが放送されていた。
(メガネ2号はこのシリーズが大好きで、
好きな映画のジャンルを尋ねられた際、
「女の子がブーツはいて飛び蹴りするような映画」
と答えている。。。)

劇中、
人間にいろんな奴がいるようにゾンビにもいろんな奴がいるらしく、
主人公達が根城にしている施設の地下を掘り進み、
侵入するという根性を見せた奴がいた。

メガネは正直ひいた。
そりゃあバイオハザードに出て来るゾンビのような人々は、
ある会社が開発したTウィルスというものの感染者であって、
厳密にはヴードゥの呪術などによる正統なゾンビではない。
でもまああんなんなったらもう死んだようなもんじゃん。
折角頑張って生きなくても良くなったのに、
あんなに必死に土を掘らなくてもいいじゃないか。
しかもこのシリーズのゾンビ、
皆が皆非常にアクティブで目的意識を持って行動をしているのだ。
ある意味非常に生き生きした死体なのである。
更に前述のような向上心まで持ち合わせている始末だ。

おいおい全く、
空気読んでくれよ。
ゾンビに敏捷性とかやる気とか向上心なんて与えて一体それ誰得なんだ!?
そもそも何であんなに活発なんだよ!?
いや、
そうだった。
バイオハザードに出て来るアレは、
正確にはゾンビじゃないって自分でも言ってたんだった。。。

そもそもゾンビはいつから走り始めたのだろう?
メガネの記憶している限りでは、
2002年製作のイギリス映画「28日後…」だった様に思う。
これもまたウィルス感染によるものだったが、
「人間」としての魂をなくした感染者は、
たとえ生物学的に死者といえなくとも、
精神的には死者として捉える事も出来る。
そう考えると「バイオハザード」や「28日後…」のそれは、
広義ではゾンビと呼んでも差し支えないのだろう。

結局一回りして話がゾンビに戻って来たが、
昔のゾンビはのろのろとしか歩けなかった。
なんせ死体だから、
死後硬直してしまっていて身体が滑らかに動かない。
しかしそのぎこちない動作が一層不気味さを煽っていたのだったが、
流石欧米の皆さんは発想が非常に合理的!
「あのさあ、ゾンビ映画でゾンビフツーに追いついて来たらコワくね!?」
「おお、こええー!じゃあ早速走って追っかけられるように設定するわ!ノープロブレム!!」
←欧米の皆様スミマセン。。。むしろこんな人いないってちゃんとわかってます。。。

奇しくも5月4日の日テレの某番組、
ジャパニーズホラーの旗手として名を轟かせた映画監督が出演されていて、
面白い事を仰っていた。

欧米と日本では恐怖の演出方法が違う。
遠くで佇み、
無念の表情でじっとこちらを見つめている霊がいたとして、
彼らはそれを何と評するか?
「消極的な霊」として捉えるのだ。

彼らは積年の怨念の塊を「消極的な霊」の一言で片付けるのである。。。




まあゾンビが走っても仕方がないわ。

合理主義成果主義がゾンビの世界にも及ぶようになった現代、
もしかしたらゾンビもカメラが回っていない所で、
「ああ、しんど…」とため息ついているんじゃなかろうか。
疲れた人間に追いついてかじり付ければいいや位でのんびりやって来たのに、
2002年のあの時点であいつらが走りださなければなあ…くらいの事は思っているのかも知れない。


決して頑張っちゃいけないという事はないのだが、
生きても死んでもやりづらい世の中になったものである(笑)