ピアノから生まれたんだとばかり思ってた。
最初に覚えてるのが真っ黒な低い天井で、それは廃棄物の集積場に放置されたグランドピアノだったからなんだけど、もう音は出なかった。
鍵盤は欠けて虫歯だらけみたいだったし、天蓋は割れてしまってた。
泣き声はあげず、黄色くなったミルクを吐き出してたらしい。
なんとなく覚えてる。覚えてるような気がする。
忘れたいことはいつも覚えてる。
育ったのは海が見える高台の一軒家、周囲は高い壁に囲まれて、僕は2階の窓からいつも海を眺めていた。壁には有刺鉄線が張り巡らされていて、這い上がる度に頬や腕をえぐり取られた。傷口が塞がっても痕は稲妻みたいに残ったままで、僕はそれが好きだった。
痛みと傷み、流れる血が「生きてる」って実感をくれるんだ。
僕と僕以外を分け隔てる証みたいな感じかもしれない。
棄てられていた僕を拾ってくれたのは酷く無口な老夫婦だった。
実際の年齢は知らないままだけど、腰が直角に曲がっていて杖をついた山羊に似た男が父親だと名乗り、そいつとは正反対に世界中の食糧を体に詰め込んだような太った女が母親だと名乗った。
父親は杖がないと訓練中の軍人みたいに、ほふく前進で床を這い廻って、母親はクレーンで吊り上げないとベッドから起きることも出来なかった。
暮らし向きはそう悪くなかったんだろうけど、僕はその壁の外を知らなかったから、壁の中にいるときはリアルな世界なんて存在さえ知らなかったんだ。
後になって分かっただけなんだ。
僕はその家の地下、老夫婦がシェルターと呼ぶ窓のない部屋でほとんどの時間を過ごしてた。
鍵はかけられていなかったけど(トイレまではなかったからさ)、シェルターから出ることは禁止されていた。
あなたは子供だから外にはまだ出てはいけないのよ、母親になんどもたしなめられたよ。涙まで浮かべてね。
だから、僕は老夫婦が眠る夜を待って、それからこっそりと窓の外の、開かれた世界を見ていたんだ。
13歳になるまで、そんな日々を生きてたんだ。