ここからが挫折の連続でした
病名を告げられてホッとした気持ちとあーあという気持ちが交錯していました。
「1週間後にお薬を飲んで状態を見たいと思います」
そう告げられ僕は母さんに「あんたも病気やったんか...気付けんくてごめんやったな」と言われのを今でも覚えています
次の日には多少症状もマシだったので学校に向かいました
学校に着いて世界史の授業で僕は周りにバレないように泣いてしまいました
理由は死にたかったからです。でも、僕が死んだら悲しむ人がいる。親、友達、信頼している人、僕を思ってくれている人たち
授業が終わり窓から下を覗き込みました
世界史の授業は三階でした
こっから飛び降りたら死ぬのかなぁ?
自転車置き場の屋根の上に落ちた血まみれの僕が目に浮かびました。
「ダメだ、僕は病気だからこういう感情が芽生えるんだ。これは病気のせいだから」と思うのが僕の唯一の死なない方法でした。
楽しそうに廊下を歩く一年生がいました
涙を堪えながら「何で僕だけこんなんなんだと思いながらNIRVANAを聴いていました」
NIRVANAを聴くと落ち着くからです
その時の僕は凄く悲しい気分に浸る事で逆に良かったのです
後にNIRVANAが一番嫌いなバンドになる事はこの時の僕には想像できなかったと思います。
たまに話しかけてくれる人はいました
「いつもイヤホン付けてるよな?何聴いてるん?」
僕が休んだ時には「hideくん大丈夫なん?」と先生に言ってくれた人もいたそうです
ホントに良い人ばかりでした
移動の時の授業は途中から入室することはできませんでした
理由は周りの目を気にしてたからです
先生が「どうする?入れる?」と言いましたが、僕は「すみません。やっぱり無理です。すみません」これの繰り返しでした
その頃、違うクラスの僕が休んでた事なんて知らない子3人が僕に告白してきたのを覚えています
僕は「ごめん無理」とだけ言い謝りもせず去りました
今思えばホントにクソでした
仕方なかったのです。あの時の僕には恋愛など興味すらなかったのです
またその頃2人の女子が1人の顔も知らない女子の誕生日メッセージを書いて欲しいと言われたのも覚えています
女子「書いといてー」僕「わかった」
筆箱に紙をしまいました
僕はまったく書く気がなかったのです
書く気力さえなかったのです
数日後、その2人がまたやってきて書いて欲しいと言いました
「わかった書いとく」
僕はまた書きませんでした
どうでもよかったからです
数日後、2人がやってきて直接書いてくれと言われました
しょうがなく「誕生日おめでとうhide」と書きました
2人は「ありがとー♪」と言いました
その頃の僕はホントにクズ人間だったと思います
反省しきれないくらい反省しています
ホントにすみませんでした。
そして、この頃卒業アルバムの写真を撮りました
卒業してから卒業アルバムをめくると皆笑ってる中僕の笑ってる写真は1つもありませんでした
僕は笑ってたつもりでした
卒業アルバムは破棄してしまいました
何の思い出もないからです
僕は10月の半ばで学校に行ってました
「やっぱりダメだ」「もう学校には居られない」
あの時の僕にはあれ以上学校に行く事は出来なかったのです
僕は担任に学校辞めます。と告げました
先生は言いました
「hideくんが休みだした時はまさかと思った。普通の子やったからまさかこんなに悩んでるとは思ってなかった」
先生は僕に親身になってくれました
でも、僕はそれでも学校を辞めます。退学届けを下さい」と言いました
先生は「もう学校来なくていいよ。特別に卒業させてあげるから」
僕はありがとうございますと言い残しそれ以来高校に戻ることはありませんでした
あの時の僕は目は死んで人当たりも悪かったと思います。でも、あの時の僕は身体に力が入らなくもう全てどうでもいいと思ってたので態度も最悪でした。
僕はマクドナルドのカウンターで毎日夜9時まで勉強していました
ここでも症状が出ました。文字が鮮明に入ってきすぎて集中できないのと周りの声が耳に入りすぎてイヤホンを付けても音楽の歌詞が耳にこびりついて勉強に集中できなかったのです
「どうしよう...入試でもこうだったらどうしよう」そればかり不安でした
車に乗っても車のライトが目に入りすぎて車には症状が出ない時しか乗る事ができませんでした
自殺したい気持ちも2日に一回くらいやってきてました
「死にたい。死んだらダメだ。死にたい」
僕はこれの繰り返しでよく涙を流していたのを覚えています
そして、月日が経ちついにセンター試験1週間前になってました。僕は特別に隣に人がいると集中できないという理由で別室で受ける事になりました
この1週間は寝れない日々が続きました
睡眠薬を飲んでも頭が覚醒して寝れませんでした
幸いにも1日前はぐっすり寝れ、車で試験場まで向かいました
この頃の僕の服装は決まってサッカーのジャージでした
服装なんてまったく気にせずセンター試験もジャージで受けました
何とか受け終わり車で家まで向かいました
母が「ラーメンでも食べて帰る?」と言いました
僕は「うん」と言いラーメン屋に向かいました
僕はいつもなら替え玉するラーメンを半分も食べずに残したのを覚えています
食べる気にならないのと罪悪感でした
そして、センターの結果を待ちました
6割しかとれておらず僕はもう終わったと思いました
私立の勉強は一切してなかったからです
その時、現役は諦めました。