僕には浪人するだけの余力がもうありませんでした
センターで燃焼してしまったのです
色んな方のもとに相談をしに行った結果、受けれる大学を受けなさいと言われ僕はその時どこの大学でも入れたらいいやと思っていたのでレベルを下げて何とか大学に入る事はできました
その時は本当に心から喜んだのを覚えています
高校の恩師の生物の先生から手紙が届きました
「hideくんは本当に真面目で一生懸命な子です。これからの活躍を望んでいます。」
僕はこの先生がいなかったら今頃どうなってたかわかりません。本当に感謝しています

そして入学式当日、僕はスーツに袖を通し入学式を迎えました
高校の恩師の生物の先生に正門の前で撮った写真をメールに添付して送信しました
この前その写真を見かえしたのですが僕は笑ってたつもりが目も死んでいて何か不満を持ったような目付きでした
多分、その時の僕にはそれが精一杯だったのだと思います
オリエンテーションで一泊2日の校外学習を迎えました
その夜は初対面の人と楽しい時間を過ごし僕は大学って楽しいんだなと思いました
しかし、大学に入って2カ月が経った6月
それまで何とか抑えてた症状が強くやってきたのです
呼吸が苦しい。意識しないと呼吸ができないなど、1つ良くなると1つ症状が増えていきました
僕は学校に行けなくなりました
単位も全て落とし引きこもってしまいました
「何をやってるんだ...また迷惑かけてる...」情けない気持ちでいっぱいでした
この時にも何度も死のうと思ったことはありました
「死んだら終わりだ。後悔だけが残る。まだまだやりたい事があるんだ」
僕には高2からの夢がありました
それはお笑い芸人です
僕は中学の時は文化祭などで漫才やコントをしたりと人を笑わせることが生きがいでした
高校に入っても影でそんな事をしてました
すぐコロコロと考えが変わる僕がこれだけは揺るぎませんでした
でも、お笑い芸人も無理かなと思う事もありました
理由は躁鬱病の症状によるものです
これだけは奪わないでくれ!と何度も思いました

その頃、僕は病院の先生と色々話をしとりあえずバイトを始める事になりました
そのバイトは単純作業のバイトでした
その時の僕には最適でした
バイト中も症状は色々出てきました
すぐ過去の嫌なことを思い出し自己嫌悪に陥ったり、頭から嫌いな音楽がこびりついて頭から離れないなど何個かありました
僕は20年生きてきてその時が一番つらかったのを覚えています
死ぬほど辛かったです。地獄だとも思いました
夕方から夜までバイト。
それしかすることがないのです
やることがないのです
仲の良かった友達から誘われても行く気にならない
「良くなったらこっちから誘うわ」と言い、少し良くなったので久しぶりに友達に会いました
友達は今「今になって言えるけどあの時のhide、めちゃめちゃ暗かったし、目がキョロキョロ泳いでたで。俺が何か悪いことでも言ってしまったのかと思った」と言われました
僕はそんなつもりはありませんでした
久しぶりに友達に会えて楽しかったとしか覚えていません
無意識だったんだと思います

そして夏休みに入り症状が治まってきた頃に僕は大学に戻る事を決めました

そして、9月始業式を迎えました