明日は桜桃忌になる。近年桜桃忌の報道はされなくなってきていると思う。人の世の移ろいか。出会いは50年程前で手にした本は人間失格だった。そして以降の作品を文字通り貪る(むさぼる)ように読み漁った。書かずもがなだが太宰治の遺体発見日である。

桜桃忌がニュース報道されると父の命日が嫌でも思い出された、そんな時代があったのだ。

私が17歳と1か月、父が52歳直前に胃がんで亡くなった。

6月は私にとって哀しい月である。

不惑(ふわく=40歳)を待たずして逝った太宰治。中学生だった私はその才をそして死を万感の思いで惜しんだ。それから数年後に父の壮絶な死を迎えることになるとは夢にも思わずに。

当時、がんは死の宣告と言われた。だから本人に伝えると言う事は無実の罪に裁判官が死刑の判決を下すような扱いだった。

母は随分悩んだろうが、能天気な息子にあなたの父親は胃がんだと教えた。教えてくれたと言ったほうが良いかもしれない。

当時はそれほどの病であり、若年者や部位、スキルス性などの場合は今でも残念な経過をたどることになる。

家族会議を開いて父親には伝えないことにした。そして胃潰瘍がひどいので手術が必要となり手術をした。開腹したものの重症で切除せずに手術は終わったと聞いた。

頑丈な父親がひどく痩せ、黄疸が出た。何よりも痛みが相当酷く

ついにモルヒネが打たれた。必死に痛みに耐えて治ると信じていた父の姿は見るに耐えなかった。部屋を出て待合室で何度泣いただろう。6月22日10時22分臨終を迎えた。「キツかったねぇ」と親父を労い(ねぎらい)、自宅に帰った。

帰った後の私は非常に恥ずべきことを延々していた。何といわれようと構わなかった。

吉田拓郎の「親父のうた」というのを離れの二階で繰り返し唄っていた。私にとっては念仏のようなものだったのである。今はユーチューブで簡単に聞ける。だがあの日を境に聞いたことはない。