真面目にブログを書きます。
自分で言うのも難なのですが、おそらく一般的にアニメが好きゲームが好きと言う人たちとはちょっと違った視点でそれらのものを見ているが僕です。
登場人物のちょっとした表情の変化だったり、その人間関係にさりげなく色を付けてくれる描写だったりが物凄く好きで、例えば劇場版のラブライブで「海未ちゃんがすげー真面目に練習内容の話しているのに凛ちゃんと真姫ちゃん一緒にメニュー見て話まるで聞いてないんだぜ!」なんて友人に言うと「そんなとこ普通見ないし気付かない」と言われます。
別にだからと言って「そんなとこにも気づかないなんて」なんてセンスの無い事を言おうというわけではなくて、むしろ見るべきポイントをみて聞くべき会話を聞くのが本来の楽しみ方なんでしょうけれども、多分これは小さい頃から本ばっかり読んできた影響なのでしょうか、物語の構成そっちのけでそういったところに目が行きがちです。
さて本題は耀斗さんのスコールを読んだ感想でして。
ラブライブで小説ってとても新鮮だったのですごく楽しみにしていたのですが、想像以上に深く読み入りました。
一話一話主観が星空さんと西木野さん交互に入れ替わっていて、その一話一話自体はほとんどキャラクター達が「ただ喋っているだけ」なのですが(当たり前だけど)
アニメを観ると「かわいい、ライブシーンすごい、感動する」という感想、これがラブライブ。それでいいと思います。
ただもっとあのキャラクター達に向き合ってあげると、彼女たちも全国的に有名なアイドルであると同時に「思春期の女の子」なんですよね。高校生ですよ。高校生なんて悩んで悩んで悩みまくって悶々とする時期じゃないですか。
(僕が三度の飯より星空凛というキャラクターが好きなので星空凛メインで喋りますけど)どこにでもいる女子中学生が高校に入ってスクールアイドルになってたった13話で校内では超有名人に、さらに13話で全国的に有名人になって劇場版ではなんと海外にまで行っちゃってますからね。
高坂穂乃果という強烈なリーダーシップを持ったリーダーを中心に、アニメたった26話で全国区のアイドルですよ。16歳ですよ?きっとこの間に凄まじい葛藤があったに違いない。
っていうところを勝手に考えるのが大好きだったので、他にもそういったことを考え表現している方の表したものを見ることが本当に好きなんです。だから同人誌って好き。
さて耀斗さんのこのスコールに関しては、ほとんどが心理描写や風景描写で書かれていて絶妙のタイミングで挟んでくるちょっとした彼女達らしい会話がまた心地良い。
また、敢えて台詞を最後まで言わないシーンも多く「うおー!最後まで言えよ!」と悶々とさせられる事が多かったです。会話が基本二人で繰り出されるにも関わらず「しっかり読まないとどちらの発言だかわからない」という状況にもなり読み手に多くの事を委ねている書かれ方をしているなぁとも思いました。
また星空凛の話になりますが、「そうそう凛ちゃんこういう女々しいとこあるんだよねー!意外とずるくてほんと女の子なんだよ!」みたいな所が多くあってすごく楽しい(笑)
物語は大きく凛自身の問題から真姫自身の問題へと移行するのですが、まぁ好きな話や一文を取り上げると切が無いのでここだけは絶対に絶対に外せないというポイントだけ。
満場一致だと思うのですが、「アメリカ」の星空さんが真姫ちゃんの背中を押す(というよりはぶっ叩く)シーン、ここは読んでてかなり熱くなりました。
一年生推しなら誰もが思うであろう「花陽と凛は背中を押される描写があるのに何故真姫は無いのか、一番押されたいのはあの子だろうが!!!!」ということ、これずっと思っていたのでほんとにほんとに「う、うわああああああああああ」ってなりました、会社帰りの電車の中で。あの場に花陽はいなかったけど、さほど問題じゃないのですそんなことは。
最後の真姫ちゃんの「――――大好き!!」でいよいよ泣きそうになってきたので続きは帰って読むことにしよう(というかアメリカは終始泣きそうだった、りんぱなの過去の件とかずるい)
ちなみにですが、僕はとにかく星空凛が好きなのですが僕の思う星空凛はここまで強くなかったです。
というのも三年生が卒業した後の話というものは別段考えたことが無かったので僕の中では「一年生、末っ子のような存在で誰よりも人間が好きだけどその実誰よりも人との距離の空け方が上手い、そして自分の事となると誰よりも不器用な女の子」といった感じでした。
だから生徒会長をやっていることにも驚きでしたが、穂乃果と比べられるという話ではウジウジしていたのに大親友西木野真姫のこととなると最強になってしまう星空さんは違和感ゼロでした。しかも強い。三年生がいなくなって心境に変化が無いわけもないですもの、きっと本人たちも成長したんです(丸投げ)
それにしても高校生の卒業っていうテーマはずるいよ…
あと学校の25mプール持ってくるのもずるいよ…学校のプールってアクセントになりすぎだよ…透明なんだよ…
もう一点、僕がこの小説を読んでいて初め違和感を感じたのは「高坂穂乃果というキャラクターの位置付け」でした。
というのもアニメを通して唯一好きになれなかったキャラクターが穂乃果だったので。
(悪い言い方をすると)思い付きでスクールアイドルをはじめ、勿論始めたからには彼女は本気だったのでしょうけれども、
夢中になりすぎて周りが見えなくなり発病(結果ライブは辞退)、ことりの脱退を聞き自分で始めたことを簡単に辞めるとまで言い出す。
既に社会の歯車の一端となってしまった第三者サラリーマン視点から言わせてもらうと「ただの無責任女」になってしまうんです。
おそらく大半の人が同じことを感じたのではないかと思います。友人も「一期の穂乃果は本当にひどい」と口を揃えて言うのでおそらくやはりそうなのかなぁと。
でもそれは第三者視点なのであって。当人たちにとってみれば、例えば真姫ちゃんの音楽を見付けてくれたのは穂乃果であって、花陽を引っ張ってくれたのも穂乃果であって(押したのはりんまきということも忘れてはならない)、絵里に手を差し伸べたのも穂乃果なんですよね。
自分を見付けてくれた、救ってくれた人に対して信仰にも似た感情を抱くのはなるほどどうだなぁと頷きました。そうか、そういう考え方をしたことは無かった。
しかし先にも述べた通り全国的なアイドルグループのリーダーであっても高坂穂乃果も高校二年生なのであって。本人の性格からもそこまで深く考えていなかったり思い付きであったりと、大半がそうなのでしょう。
しかしそれでも人を引き付けて魅了するカリスマ性こそが誰もが頷くμ’sのリーダーたる由縁なのでしょうか。
そういえば二期の五話(ラブライブ史上最強の神回)凛ちゃん回ですが、この話、穂乃果不在なんですよね。
この話で何気なく思ったのが「穂乃果がいなくてもμ’sは機能するんだな」「穂乃果がいなくてもリーダーやセンターは円滑に決まるんだな」でした。
僕も知らないうちに「穂乃果以外にμ’sのリーダーは務まらない」みたいなことを考えていたのかはわかりません。ただやはり「穂乃果あってのμ’s」みたいなことは潜在的に思っていたのかもしれません。
ここで二期の第五話について語り始めると本題を忘れて熱弁してしまいそうなので控えておきます。でもぼくは語りたい、出来ればビールを飲みながら一年生推しの人と語りたいんだ…
話がまとまらなくなってきたので強引にまとめると、素直に面白かったです。
とにかくキャラクターの内面を書くのが上手で、一体どれほどの想像力と表現力と語彙力があればこういった作品を生み出せるのだろうかと本気で考えてしまいました。
もう繰り返しになるし段々僕の自己満足になってきましたが、一つの作品についてああでもないこうでもないと考え、表現し、それを他人と共有するということの楽しさ、素晴らしさを改めて実感することが出来ました。出逢いをくれたラブライブに感謝。
今後も機会があれば、是非手にとって読みながらまたああでもないこうでもない考えたいと思います。
~ものすごい余談~
気付かされたこと一点。なぜ僕が星空凛というキャラクターにこれほどまでにのめり込んだか(もう恋を超えて愛といったレベル)考えたこともありませんでしたが、あるラブライブ好きな方に言われた言葉と古くからの友人の言葉で「あぁそうか」と納得したことがあります。
それは「舞浜さん(ネット上での通称)は凛ちゃんに似ている」「お前の凛ちゃんに対する目線はファンではなく親の目線」という言葉。
そういえば狙ったわけでもないのにキャラクター診断や相性診断をしてみても必ず結果は「星空凛」。
なるほど確かに、割かしやかましく人当たりも良い、特に歳上の方にチヤホヤされることが多く、もう25年生きているので自分で言ってしまいますが昔から人が集まる、人の目を惹く性質をしていたなぁと。
でもそれでいて丁度17~19歳あたりの時は自分の事で猛烈に塞ぎ込み、自分に自信がないどころか大嫌い、自分が死んだら何人の人が心から悲しんでくれるのか本気で考えていました。まぁ結局救ってくれたのは「本」と「人」だったんですけど
しかし凛ちゃんには掛け替えのない、しっかりと叱ってくれる親友がいるから大丈夫だろうなとか思ったり。若干同じ歳のころの自分に重ね合わせているのでしょうおそらく。
でもまきりんぱな最強だから大丈夫。星空さんは時々痛々しい程に優しすぎるけど、もしかしたら本人よりもずっとずっと本人の扱いに慣れている最強のふたりがいるし。
自分で言うのも難なのですが、おそらく一般的にアニメが好きゲームが好きと言う人たちとはちょっと違った視点でそれらのものを見ているが僕です。
登場人物のちょっとした表情の変化だったり、その人間関係にさりげなく色を付けてくれる描写だったりが物凄く好きで、例えば劇場版のラブライブで「海未ちゃんがすげー真面目に練習内容の話しているのに凛ちゃんと真姫ちゃん一緒にメニュー見て話まるで聞いてないんだぜ!」なんて友人に言うと「そんなとこ普通見ないし気付かない」と言われます。
別にだからと言って「そんなとこにも気づかないなんて」なんてセンスの無い事を言おうというわけではなくて、むしろ見るべきポイントをみて聞くべき会話を聞くのが本来の楽しみ方なんでしょうけれども、多分これは小さい頃から本ばっかり読んできた影響なのでしょうか、物語の構成そっちのけでそういったところに目が行きがちです。
さて本題は耀斗さんのスコールを読んだ感想でして。
ラブライブで小説ってとても新鮮だったのですごく楽しみにしていたのですが、想像以上に深く読み入りました。
一話一話主観が星空さんと西木野さん交互に入れ替わっていて、その一話一話自体はほとんどキャラクター達が「ただ喋っているだけ」なのですが(当たり前だけど)
アニメを観ると「かわいい、ライブシーンすごい、感動する」という感想、これがラブライブ。それでいいと思います。
ただもっとあのキャラクター達に向き合ってあげると、彼女たちも全国的に有名なアイドルであると同時に「思春期の女の子」なんですよね。高校生ですよ。高校生なんて悩んで悩んで悩みまくって悶々とする時期じゃないですか。
(僕が三度の飯より星空凛というキャラクターが好きなので星空凛メインで喋りますけど)どこにでもいる女子中学生が高校に入ってスクールアイドルになってたった13話で校内では超有名人に、さらに13話で全国的に有名人になって劇場版ではなんと海外にまで行っちゃってますからね。
高坂穂乃果という強烈なリーダーシップを持ったリーダーを中心に、アニメたった26話で全国区のアイドルですよ。16歳ですよ?きっとこの間に凄まじい葛藤があったに違いない。
っていうところを勝手に考えるのが大好きだったので、他にもそういったことを考え表現している方の表したものを見ることが本当に好きなんです。だから同人誌って好き。
さて耀斗さんのこのスコールに関しては、ほとんどが心理描写や風景描写で書かれていて絶妙のタイミングで挟んでくるちょっとした彼女達らしい会話がまた心地良い。
また、敢えて台詞を最後まで言わないシーンも多く「うおー!最後まで言えよ!」と悶々とさせられる事が多かったです。会話が基本二人で繰り出されるにも関わらず「しっかり読まないとどちらの発言だかわからない」という状況にもなり読み手に多くの事を委ねている書かれ方をしているなぁとも思いました。
また星空凛の話になりますが、「そうそう凛ちゃんこういう女々しいとこあるんだよねー!意外とずるくてほんと女の子なんだよ!」みたいな所が多くあってすごく楽しい(笑)
物語は大きく凛自身の問題から真姫自身の問題へと移行するのですが、まぁ好きな話や一文を取り上げると切が無いのでここだけは絶対に絶対に外せないというポイントだけ。
満場一致だと思うのですが、「アメリカ」の星空さんが真姫ちゃんの背中を押す(というよりはぶっ叩く)シーン、ここは読んでてかなり熱くなりました。
一年生推しなら誰もが思うであろう「花陽と凛は背中を押される描写があるのに何故真姫は無いのか、一番押されたいのはあの子だろうが!!!!」ということ、これずっと思っていたのでほんとにほんとに「う、うわああああああああああ」ってなりました、会社帰りの電車の中で。あの場に花陽はいなかったけど、さほど問題じゃないのですそんなことは。
最後の真姫ちゃんの「――――大好き!!」でいよいよ泣きそうになってきたので続きは帰って読むことにしよう(というかアメリカは終始泣きそうだった、りんぱなの過去の件とかずるい)
ちなみにですが、僕はとにかく星空凛が好きなのですが僕の思う星空凛はここまで強くなかったです。
というのも三年生が卒業した後の話というものは別段考えたことが無かったので僕の中では「一年生、末っ子のような存在で誰よりも人間が好きだけどその実誰よりも人との距離の空け方が上手い、そして自分の事となると誰よりも不器用な女の子」といった感じでした。
だから生徒会長をやっていることにも驚きでしたが、穂乃果と比べられるという話ではウジウジしていたのに大親友西木野真姫のこととなると最強になってしまう星空さんは違和感ゼロでした。しかも強い。三年生がいなくなって心境に変化が無いわけもないですもの、きっと本人たちも成長したんです(丸投げ)
それにしても高校生の卒業っていうテーマはずるいよ…
あと学校の25mプール持ってくるのもずるいよ…学校のプールってアクセントになりすぎだよ…透明なんだよ…
もう一点、僕がこの小説を読んでいて初め違和感を感じたのは「高坂穂乃果というキャラクターの位置付け」でした。
というのもアニメを通して唯一好きになれなかったキャラクターが穂乃果だったので。
(悪い言い方をすると)思い付きでスクールアイドルをはじめ、勿論始めたからには彼女は本気だったのでしょうけれども、
夢中になりすぎて周りが見えなくなり発病(結果ライブは辞退)、ことりの脱退を聞き自分で始めたことを簡単に辞めるとまで言い出す。
既に社会の歯車の一端となってしまった第三者サラリーマン視点から言わせてもらうと「ただの無責任女」になってしまうんです。
おそらく大半の人が同じことを感じたのではないかと思います。友人も「一期の穂乃果は本当にひどい」と口を揃えて言うのでおそらくやはりそうなのかなぁと。
でもそれは第三者視点なのであって。当人たちにとってみれば、例えば真姫ちゃんの音楽を見付けてくれたのは穂乃果であって、花陽を引っ張ってくれたのも穂乃果であって(押したのはりんまきということも忘れてはならない)、絵里に手を差し伸べたのも穂乃果なんですよね。
自分を見付けてくれた、救ってくれた人に対して信仰にも似た感情を抱くのはなるほどどうだなぁと頷きました。そうか、そういう考え方をしたことは無かった。
しかし先にも述べた通り全国的なアイドルグループのリーダーであっても高坂穂乃果も高校二年生なのであって。本人の性格からもそこまで深く考えていなかったり思い付きであったりと、大半がそうなのでしょう。
しかしそれでも人を引き付けて魅了するカリスマ性こそが誰もが頷くμ’sのリーダーたる由縁なのでしょうか。
そういえば二期の五話(ラブライブ史上最強の神回)凛ちゃん回ですが、この話、穂乃果不在なんですよね。
この話で何気なく思ったのが「穂乃果がいなくてもμ’sは機能するんだな」「穂乃果がいなくてもリーダーやセンターは円滑に決まるんだな」でした。
僕も知らないうちに「穂乃果以外にμ’sのリーダーは務まらない」みたいなことを考えていたのかはわかりません。ただやはり「穂乃果あってのμ’s」みたいなことは潜在的に思っていたのかもしれません。
ここで二期の第五話について語り始めると本題を忘れて熱弁してしまいそうなので控えておきます。でもぼくは語りたい、出来ればビールを飲みながら一年生推しの人と語りたいんだ…
話がまとまらなくなってきたので強引にまとめると、素直に面白かったです。
とにかくキャラクターの内面を書くのが上手で、一体どれほどの想像力と表現力と語彙力があればこういった作品を生み出せるのだろうかと本気で考えてしまいました。
もう繰り返しになるし段々僕の自己満足になってきましたが、一つの作品についてああでもないこうでもないと考え、表現し、それを他人と共有するということの楽しさ、素晴らしさを改めて実感することが出来ました。出逢いをくれたラブライブに感謝。
今後も機会があれば、是非手にとって読みながらまたああでもないこうでもない考えたいと思います。
~ものすごい余談~
気付かされたこと一点。なぜ僕が星空凛というキャラクターにこれほどまでにのめり込んだか(もう恋を超えて愛といったレベル)考えたこともありませんでしたが、あるラブライブ好きな方に言われた言葉と古くからの友人の言葉で「あぁそうか」と納得したことがあります。
それは「舞浜さん(ネット上での通称)は凛ちゃんに似ている」「お前の凛ちゃんに対する目線はファンではなく親の目線」という言葉。
そういえば狙ったわけでもないのにキャラクター診断や相性診断をしてみても必ず結果は「星空凛」。
なるほど確かに、割かしやかましく人当たりも良い、特に歳上の方にチヤホヤされることが多く、もう25年生きているので自分で言ってしまいますが昔から人が集まる、人の目を惹く性質をしていたなぁと。
でもそれでいて丁度17~19歳あたりの時は自分の事で猛烈に塞ぎ込み、自分に自信がないどころか大嫌い、自分が死んだら何人の人が心から悲しんでくれるのか本気で考えていました。まぁ結局救ってくれたのは「本」と「人」だったんですけど
しかし凛ちゃんには掛け替えのない、しっかりと叱ってくれる親友がいるから大丈夫だろうなとか思ったり。若干同じ歳のころの自分に重ね合わせているのでしょうおそらく。
でもまきりんぱな最強だから大丈夫。星空さんは時々痛々しい程に優しすぎるけど、もしかしたら本人よりもずっとずっと本人の扱いに慣れている最強のふたりがいるし。