義姪が施設に面会に行った時、受付でケアマネさんに呼び止められて別室で話をしたそうです。
内容はこれまでのリハビリについての説明で、伯父は高齢でリハビリに消極的でコルセットもしたがらないので、これ以上腰が良くなることは難しいとのことでした。
症状固定宣告でしょう。
ケアマネさんは、次のこともお考えになった方がいいですと退所を匂わせる言葉も言っていたそうです。
これ以上居ても良くならないからここにいる意味がないということを伝えたかったのでしょうから、すぐに追い出す気配こそなかったとはいえ、あまりのんびりもできない段階になっているようです。
腰の具合は相変わらずで、トイレと食堂には手すりと杖を使ってなんとか一人で移動できる程度です。
階段昇降はできませんし、外出は車イスでないと無理。
ベッドの上で座ることはできますので、日がな一日ベッドの上で新聞読んだりテレビ見たり居眠りをしたりの生活です。
趣味がない人なので週刊誌や新聞を読むかテレビを見るしか時間の潰しようがないようです。
腰を痛める前は散歩に行って近所の人と立ち話したりするのがいい気分転換になっていたようですが、もはやそれもできません。
しきりに義姪に、私に用があるけど面会に来ないので困っているとぼやいているそうです。
でも具体的な用があるのではなく、愚痴や昔話を聞いてくれる相手が欲しいだけです。
用もないのに行くとクセになるので、意識的に行かないようにしています。
冷たいようですが、今の生活に慣れてもらわないと困るのです。
伯父の腰が症状固定となったいま、もう伯父の人生は施設以外では考えられません。
同居親族がいて介護をしてくれるのならば、なんとか自宅で生活ができるかもしれません。
しかし独居老人ですから、もう家に帰ることはあり得ません。
死ぬまで施設暮らしをするしかないのです。
これから先、特養や有料老人ホームに移ったとしても生活スタイルは大きくは変わらないでしょう。
食事のときに食堂に移動して、あとはリハビリや入浴以外は個室のベッドの上での生活、これが死ぬまで続くのです。
自宅で訪問介護を受けていた時は、ケアの人が自分だけのために動いてくれる感じで殿様気分だったかもしれません。
でも施設では1人のスタッフが複数の入所者のケアをほぼ同時に行いますから、自分だけのためにやってくれている感じは薄く、流れ作業的なケアになるようです。
不満でしょうけど、それは仕方がないことです。
施設には親切に話し相手になってくれる人はいません。
唯一頻繁に来てくれている義姪は血の繋がりもなく昔からの知り合いでもないので、話し相手としては物足りないようです。
だから私に頻繁に来てもらって話し相手になってほしいようですが、年に1回顔を出す程度の距離感を何年も保っていた私に対して、施設暮らしになったから頻繁に来いというのは身勝手な話です。
毎週行ってくれている義姪も後期高齢者ですから、もし体調を崩せば伯父の面倒どころではなくなります。
いつまでも毎週来てくれると思ってはいけないのです。
腰を痛めて自宅で寝たきりになったときは近所の人など多くの人が心配して交代で顔を出してくれました。
しかしそれは高齢者が急に寝たきりになったので心配して来てくれていただけで、施設に入ってしまえばもう来ません。
伯父からすれば急に見放された気がするのかもしれませんが、見放されたのではなくあのときが緊急事態で特別だっただけです。
伯父は今の生活を受け入れないといけないのです。
施設暮らしはつまらなくて不便でしょうけど、それを自分なりに消化して受け入れなければ惨めに感じるだけです。
変えられないものは受け入れるしかないのです。