Happy New Year~!


元旦、ここ2,3年わが家恒例になった法隆寺 に家族で初詣に行ってきました。


ここを読んでいただいている皆さま、(はたして本当にいるのか???)


今年もよろしくお願いします。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記




パリ・マドリッド10日間家族旅行記

(境内の樹齢????年のクスノキがすがすがしい!)





さて、早速旅行記の続きです。




 列車に揺られて早朝、グラナダ駅に到着。早速、アマデオで得た情報を活用することにした。アルハンブラ宮殿の近くのホテル「カリフォルニア」目指してどんどんダウンタウンに向かって歩いた。この道を登るとアルハンブラ宮殿に繋がるという道を歩いていると、左側に確かに「カリフォルニア」はあった。ギターの上手なおじさんがいて、美味しいカフェコンレチェを出してくれるという情報通り、宿泊手続き終了後、熱々のミルクコーヒーを出してくれた。




狭いが十分な部屋に荷物を置いて、歩いてすぐのアルハンブラ宮殿を見学しに行った。今と違って、予約なしでスッと入館できた。8世紀モロッコ経由で侵略してきたイスラム教徒をイサベル女王とフェリデイナンド王のレコンキスタ(国土回復運動)によってスペインを追われるわけだが、その最後の砦がこの宮殿である。レコンキスタ終了後、この宮殿の建築、装飾の素晴らしさに驚嘆した女王は、破壊せず、保存することに決めたそうだ。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



世界史の教科書で見たライオンの噴水とアラブ芸術特有の柱と天井に施された精巧な文様、アラベスク模様の美しさは言葉では表せないほどだった。

「すいません。写真を撮ってくれませんか」と突然日本語が耳に入った。この男性は建築家で、ニューヨークからの帰り道に建築家なら必ず見るというアルハンブラ宮殿を見学するためにやって来たとのこと。僕も代わりに一枚撮ってもらった。



見学後、いったんホテルに帰り一眠りした。夕方街で夕食済ませてホテルに帰ると、宿主のおじさんが「今夜フラメンコショーが催されるが、行きませんか」と言う。僕はマドリッドで見逃したので、値段が手頃だったこともあり、「はい、行きます」と返事した。

これこれの時間に迎えのタクシーが来るからこのロビーで待つようにと言われ、チケット代を支払った。
約束の時間におじさんに促されて広場に出ると、満員の、かなり古いタクシーが僕を待っていた。白人の男女の若人の中に飛び込む感じで後部座席になんとか乗り込んだ。


(写真は'78年当時のアルハンブラ宮殿敷地より撮影した城壁)





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 翌日約束通り、アトーチャ駅でK女史と同伴者の男性を見送った後、急にポツンと一人になった気がして、僕もそろそろマドリッドを離れる時がきたなと思った。アマデオに戻るとNさん(ビリヤードを一緒にしたり闘牛を一緒に見に行った男性)も荷造りしていて明日ビジネスで北欧に買い物に出かけるとのこと。ケンケンさんはもうしばらくここにいると言った。アデラさんに明日グラナダ へ向かうと言ったら「そこまで行くなら、セビーリャ を必ず訪問しなさい。ボニータ(美しい娘) がたくさんいるから」と勧めてくれた。Qさん(長期滞在の女性)とも挨拶を済ませ、三人とアドレス交換した。



その後の報告ーK女史から帰国後ある日手紙が届き、残念ながら、僕とのインタビューは没になりました。無事にモロッコの旅を終えたと書かれていた。(なんじゃいなー)
Nさんとは帰国後お互い訪問し合って、奥さんとも会った。Qさんとはアマデオ同窓会が京都で開催された時みんなで一泊して朝までスペインの話しで盛り上がった。
いやー、楽しかったね。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



そして、何と言っても、驚いたのは、ケンケンさんとの再会だ!あれから3年が過ぎたある晩、僕のジャズ喫茶にひょっこり現れた。聞くと、あれから南米に渡って、そこが気に入り、2年滞在、その後オーストラリアへ大移動して1年いたとのこと。ムンク展があったのでこの町にきて、僕に会いに来てくれたと、相変わらずのアゴ髭を触りながら語った。懐かしいさで胸がいっぱいになった。


さてK女史を見送った 翌日、夜行でグラナダへ行くため、郵便局へ行ってポーストカードを出したり、レティーロ公園 を散策して、今回の旅のおそらくハイライトになるであろう出会いと思い出の街、マドリッドを堪能した。そして愈々例の赤いリュックを担いで夜行列車に乗り込んだ。さようなら、我が青春のマドリッド! 必ず再訪するから待っていてくれと心の中でつぶやいた。


(写真は'78年当時のグラナダ、アルハンブラ宮殿)




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翌日、約束通り昼にKさんのインタビューを受けた後、「ちょうど、モロッコへ行く若者がいると今朝アマデオの長期滞在者のQさんから紹介してもらい、明日彼と共にアトーチャ駅を出発することになりました。ホッとしました。あれ程強く昨夜神父さんが助言してましたものね」と彼女が言った。「それはラッキーでしたね。じゃ、明日見送りに行きます、アトーチャ駅に」と言って、そこで別行動を取り、僕はプラド美術館 へ向かった。




パリ・マドリッド10日間家族旅行記

'91年のパリ・マド家族旅行記より



こじんまりとした居心地の良い館内をゆっくり鑑賞した。ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤ、どの画家も色彩、構図ともに素晴らしい。スペインの画家は、特に構図の大胆さが際立っている。
プラド美術館の別館にあの世界史で学んだゲルニカ が昨年('77年)ニューヨークからピカソの故国スペインに戻って来たとのこと。ピカソが嫌ったフランコ将軍が死んだら戻すようにとのピカソの遺言によるらしい。プラド美術館の正面を出て右へ少し坂を登った所に別館はあった。厳しい検閲の後、防弾ガラスに覆われた教室の壁一面大のモノクロっぽい色のゲルニカに僕は対峙した。一枚の絵を超えたファシズムに対する烈火の如き怒りが伝わって来る、すごいパワーを感じた。



その夜、もう一軒別の安レストランに食事に行くと、ケンケンさんがいた。一品しかとっていないので聞くと、今日はドミンゴで似顔絵の客を期待したが、結局収入ゼロだったので…と言うので僕が一品奢ってあげた。彼は素直にありがとうと言った。いろんな話をして例の如くアマデオに帰った。



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 トレドを出発して、途中アランフェス に停車した。子ども達がたくさん元気良く乗り込んで来た。実に賑やかだ。その中にふと見ると、あのアマデオまで一緒だった女性が混ざっているではないか!僕が声をかけるとずいぶん驚いてこちらを見た。あらまあって感じ。空いている僕の前の席に移ってきた。「あれからどうしていたのですか?」と僕。「プラド美術館とか市内を歩いて、今日は以前来れなかったアランフェス宮殿を観にきたんです。そしたら遠足のこの子達と親しくなって」「そうだったんですか。ところで、あの女学生達はどうなったんですか?」「よくは知らないけど、昨日他の町へ観光に行ったようで、もうアマデオにはいないと思いますよ」



すると、レ・ミゼラブルに出てくる修道士と似た装束の日本人の神父さんが現れ、僕たちの会話に入ってきた。聞くとこの子達は神父さんが連れて来た子だそうだ。彼女と僕の知り合った経緯と特に日本人が多く宿泊しているアマデオに多いに関心を示した50歳位の、ぱっと見渋いスペイン人のような風貌の神父さんは是非そのホテルに遊びに行きたいと言い出した。「では今夜----時に来てください。アデラさん、及び宿泊の人にできるだけその時間に集まるよう声かけしておきます」と場所を言うと、何年もスペインには住んでおられるとのことで、すぐ分かってもらった。そしてアトーチャ駅でいったん別れた。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記

   

http://www.esmadrid.com/ja/portal.do?TR=C&IDR=1267より


神父さん達と別れた後、K女史と歩きながら話した。彼女の職業はコピーライターであり、以前は夫にただついてヨーロッパ諸国を回ったけど、今回はすべて自力で一人旅を試みているとのこと。で、僕の話を少し聞くと、もっと聞き場合によってはとある雑誌に掲載したいとおっしゃる。調子乗りの僕は快諾し、明日マヨール広場で僕の話を録音テープに収めることになった。




さてその夜の事だが、確かに8時ごろから集会が始まったのだが、さほど盛り上がらず、神父さんの説教、つまり、折角マドリッドにきたのだからもっと地元の人と交流すべきだみたいな話にみんな反応せず、短時間で実験的会合はお開きになり、流暢なスペイン語でアデラさんと暫く話した後神父さんとK女史と僕は外出し、フラメンコを見に行きましょうという僕の提案で探したのだが、結局場所が分からなくて、グランビアのバルでセルベッサを飲んで語り合った。



「どうしてもモロッコのマラケシュに行くのですか?」と神父さんが彼女に尋ねた。「女の一人旅は危ないからやめた方がいい」「どうあっても行きます。もう決めましたから」とK女史は言う。聞くと明日か明後日にモロッコに向かう計画らしい。神父さんのエルサレムにいた話とかを聞いていると、突然店内の電気が消えた。
停電かと思ったら、閉店のサインとのこと。

やることが明確だね!仕方ないので金を払って店を出た。11時になっていたので、帰ることになった。

別れ際に神父さんが再度「一人でモロッコは辞めなさい」大きな声で言った。




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 いやー、素晴らしい映画でした!途中から涙なしでは見られませんでした。泣かせるんですよ。台詞はほぼすべてが歌になっていますから情感が極度に伝わって来るんですね、本当に。恥ずかしいんですが嗚咽してしまう場面がいくつかありました。ミュージカル風(というのはダンスがないので)なんですが、ユーゴーの大河小説のエッセンスは、特にカトリックの和と善の精神、人類に対する無償の愛、生きる意味を軸に、見事に表現されていました。




パリ・マドリッド10日間家族旅行記


レ・ミゼラブル


僕は若い頃ビクトール・ユーゴーの原作を訳本で読んだのですが、コゼットの母親がパリ郊外に住む善良そうにみえる老夫妻に愛する娘を預けて、たまたまジャン・バルジャンが市長を務めるパリから遠く離れた町の紡績工場でなんとか貴重な仕事を得るのだが、実は悪い老夫妻が、娘が病気で薬代がいるから送金しろとかいろいろ嘘を並べて金を必要以上に取ろうとする。

約束の金額を送金するのも四苦八苦なのに。

美しい金髪(映画では黒髪だが)の髪も切って売る、そうこうしているうちに体を壊して入院する。それを噂で聞いたジャン・バルジャンが・・・・というくだりを当時夜中読んでいて、凄く可哀想で何とかならんのかと思うとともに、ユーゴーの筆致力に感じ入ったものだ。



それと教会の中が美しくリアルに映し出されているね。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でもギリシア正教の大司教が大事なテーマとして扱われているが、19世紀のヨーロッパの小説に共通した大きなテーマだね、神と人間、生と死、産業革命以来急速に広まったの富と貧困の格差!今でも通じる普遍的な主題だね。
ともかく、妻とともに今日はカタルシスの涙をたっぷり流し、心が洗われた気がします。別撮りではなく撮影時に同時に歌っているというだけあってどの場面も歌に魂がこもっていて終わった時に思わず小さく拍手してしまった。
一押しの映画です!




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