翌朝、元気よく晴天の下、アトーチャ駅まで楽しく歩いた。トレド行きに乗車。小1時間程で到着。イスラム風タイルを駆使した駅車内 はエキゾチックだ。駅舎から出たが、はてどちらへ行ったものやら?ほとんど人影もなく不安だが、右を選ぶ。照りつける太陽に閉口しながら、しばらく下り坂を歩くと川の向こうによく写真で見た素晴らしい光景が広がってきた。この川がタホ川だ。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


立派な石造の橋を渡ると門があり、そこをくぐって階段をどんどん登り又門をくぐったら、木の下のベンチで涼んでいる人達ののいる広場がある。そこで一休みして、まずは、カサ・デ・エル・グレコに向かった。中は観光客も少なくて、ゆっくり回った。「トレドの景観と地図」が印象に残っている。それと庭園内のある木の幹に書かれた落書きも面白く思えた。

そこを出て、あるバルで食事した。その時に飲んだサングリアは実に美味しかった。




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店を出て細い迷路のような古い街を歩いていると、小物を売る店を発見。良いネクタイピンが意外なほど安価で売っていたので、お土産に5つ買った。そのうちの一つを今でも愛用している。一つが500円ぐらいだったか?さらに歩いていると、観光客がたくさん並ぶ小さな教会があったので、僕も入ってみた、



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いやー、ヨーロッパを旅すると驚くことがしばしばあるが、これにも驚かされたね!グレコの「オルガス伯爵の埋葬」。 小さな教会の壁面いっぱいに書かれていて、色彩と特に構図が素晴らしい!厳かだが皆を自然と黙らせていた。他にも見るべき所がたくさんあるようだが、マドリッドに帰ることにした。帰りも炎天下の中、駅まで歩いた。

(写真上からエル・グレコの家、印象的な小道、以上は'78年当時に撮影した物です。下は大分くたびれたネクタイピン…。)




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 アマデオのリビングの端の小さな机の上に確かにそのノートがあった。必要な情報を手帳にメモした。その時、長く逗留しているという少し年上の標準語で話す優しそうな女性が、そのノートはアデラさんがとても大切にしているノートで、世界中を旅した日本人の先輩諸氏が、これから旅立つ人達のために記録してくれたものだからここでメモするのは良いが、絶対持ち出してはいけないとアデラさんからお達しが出ていると教えてくれた。この女性Qさんには滞在中優しくしてもらった。Nさんともケンケンさんとも知り合いだ。というのも、彼らはリビングを挟んで向かいの部屋にいる、いわばお隣さん同士であり、当時のアマデオの主的存在だったからである。



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そうこうしていると、ぞろぞろ数人の日本人の若者が集まり、ケンケンさんも部屋からぬぼっと出てきて会話に入ってきた。彼の話は実に面白く、みんな聞き入った。その話によると、「まず僕は日本からカナダのバンクーバーに渡った。本当に良い所で長居してしまった。僕は画家志望で時々似顔絵を描いて生活費を稼ぎながら、元金を割愛した。次にニューヨークへ行き、日本料理店でアルバイトして、貯めたお金でヨーロッパ旅行を計画。直感的にギリシャを処女地に選んだ。それが大正解!本当にギリシャの海は素晴らしかった。そこからバス、電車を乗り継いでイタリア、パリ、そしてマドリッドに辿り着いた。自分でいうのもなんだが、僕の行くところはすべて最高なんだよ!」
彼の話を聞いて僕は俄然ギリシャに行く気になった。




ケンケンさんの話が終わったところで、なんとなくそこにいるメンバーでマドリッドの街を歩こうということになり、街に繰り出した。夜はその流れでいつものレストランでカルネ・デ・バカとサラッド等を食した。その後アマデオ近くのバルでビールを飲みながらあの街この街の話に花が咲いた。その中で、トレドがみな揃っていいと言ったこともあり、明日はトレドに行こうと決め、コツコツ足音踏み鳴らしながら又暗い一人部屋へと向かった。


(写真は'78年、トレドへ向かう車窓から見たオリーブ畑でしょう、多分・・)




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 翌朝、紅茶とビスケットを食べて元気よくベンタス闘牛場 へ向かった。グランビア駅から地下鉄で行くとのことだった。地下鉄の車両に驚かされた。窓の上に隙間が空いていてゴーという凄い音と一緒に風がビューンビューン入ってくる。電気は裸電球だ!でも、面白いなとも思った。

闘牛場は地下鉄の駅を上がってすぐにどかっと立っていた。コロッセオを思わせる存在感がある。心して観なさいよという声が聞こえてきそうだ。ソルとソンブラの席があってソンブラの方が少し高い。




晴天でとても暑いのでソンブラのチケットを購入し、小さな座布団を借りて、ワクワクしながら場内に向かった。頑強な石で建造されていて、座席もすべて石でできている。なるほどこりゃ座布団要るわなあ、と思った。世界一有名な闘牛場だけあって立派だ。まず無茶苦茶元気な角の立派な黒い牛が茶色の土の会場に放たれた。縦横無尽に我が物顔で、快足を見せるために走り回る。観客はその元気さに圧倒される。間もなく数カ所の安全口からピンクの布地を持った準マタドール達が数人元気な牛に恐る恐る近づき短い槍を投げて刺す。結局5、6本刺されたまま、それでも走るがだんだん遅くなっていく。



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血が背中から流れ落ちる。ハアハアと息が荒くなった頃にファンファーレとともにあのヘミングウェイの名作「陽はまた昇る」にも出てくるマタドールが登場!主賓の前で堂々と一礼する。後ろに牛がいるにもかかわらず。観客も拍手で迎える。おもむろに振り返り、勢いが落ちたとはいえ牛と闘う。例の真っ赤な布で見事にクリアした時、オーレ、オーレの掛け声が響き渡る!

見せ場やね。血がたぎる男の世界やね。
1950年代の洋画の世界やね。
何度か見せ場を繰り返した後、ドームの淵の安全場に戻り、マタドールは剣を片手にもう片方に赤い布を持ち、その頃は疲労困憊の牛と最後の決闘に臨む。




お互い突進し、あっと思ったときマタドールはジャンプ一番、突き上げる鋭い角を間一髪避けながら剣を牛の頭の後ろ付近に深く刺す!そこはスローモーションのように見える。静寂の後拍手喝采!間もなく牛は倒れる。目隠しされて鎧を纏った馬に乗った騎士のような男が牛のそばに来て紐で脚を縛って引きずって退場する。
僕は暫く声が出なかった。
Nさんによると、これを6回行うらしい。

3回見て会場を後にしたが、2回目のクライマックスでハプニングが起こった。弱ったふりをした賢い牛が角度を変えて角を振り上げたので、マタドールの内腿に刺さって、ズボンが真っ赤に染まった。救助隊がたくさん出てきて、彼を担架に乗せて退場した。



地下鉄でグランビアに戻り、行きつけのレストランでランチを済ませた。その時アマデオのリビングに門外不出のノートがあることをNさんに教えてもらった。そこには主にヨーロッパの旅先で得た情報、安ホテル、安くて美味しいレストランの地図が書かれているらしい。バルセロナやイタリア訪問を考えていたので、早速そのノートを見る為にアマデオに帰ることにした。


(写真は'78年のベンタス闘牛場、ソンブラ席から撮った物です)





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 SEPUの後ろのビルの地下にビリヤード遊技場があった。僕はビリヤードのことはよく分からないが、球を狙って遊んでいると、ある難しい場面にNさんが出くわした。どう打てばよいか悩んでいると、それまで黙ってこっちを注視して座っていた制服姿の老人がおもむろに立ち上がりNさんに近づいて何やらアドバイスしている。あの玉の右の方を狙って打ってみろと言っているようだ。



その指示に従って打つと見事に球が角の穴に入った。老人はウインクで「だろう?」とNさんにアイコンタクトを送り、髭のNさんもニコッと笑って応えた。

そのあと聞くと、彼はビリヤードもさることながら、ボーリングが、今風に言うと、ヤバくてプロボーラーとして全国大会でベストテンに入ったこともあり、プロでメシを食っていたらしいが、今は、当時の僕と同じ様に沼津で純喫茶を奥さんと経営しているらしい。



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ビリヤードを終えてアマデオに帰ろうとすると、「○○さん、デイスコに行きませんか」と誘われ「行きましょう!」となってほん(標準語では「すぐ」)近くのデイスコに行った。

入口に制服姿のおっちゃんが立っている。まさに僕らが入店しようとすると、アフロヘアーの若い娘がスーッと来て、切符売りのおっちゃんの頬にキスをして無料で入って行った。僕らは入場料を払って入店した。



Nさんによると、よくある光景とのこと。音楽を聞きながら、彼といろいろ話した。「○○さん、ノルウェーに行ったそうだがナルビク へは行きましたか?」

いいえーと言うと「いいとこだよ、何もないけどね」

何もないのにどうしてお勧めなんですかーと訊くと「実はそこで知り合ったんだよ。妻とね」なるほどーと会話していると11時に近づいてきた。



スペイン版ケペル先生然のNさん曰く、「あの女の子もうすぐ帰るよ」と言う。何故ですか?ーの僕の問いに「スペインではマドレ、つまり、お母さんがとても厳しくて、11時回って帰ると叩くんですよ」と言う。案の定、それまで楽しくダンスしていたアフロヘアーの彼女は11時になると帰って行った。

明日闘牛を見に行く約束をしてアマデオの中でお休みと言って別れた。

彼はリビングの一等場所の部屋へ、僕はめちゃ暗い迷路の奥にある部屋へ向かった。


(写真は王宮です。リンクはこのサイトと直接関係ありません。)




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 窓のない暗い部屋で一眠りし、シャワーを浴びようと思ってアデラさん家族のいる部屋、ま、いわばホテルのフロントへ行ってそこにいた娘さんにシャワーと言うとすぐ分かってくれた。近くのシャワー室に案内してくれ、使い方の説明を受けたあと料金を払った。ところが、いざ使用段階で、いかに適温に調節するのが難しいかが分かった。要は凄く熱いか凄く冷たいかどちらかで、熱くて頭も洗えない。結局、諦めて出た。



参ったなと思い、文句を言いに行ったが、うまく伝えられず、僕の使い方のせいにされた。リビングへ行ってみた。アゴ髭の似合うNさんという男性と今のシャワーの不具合の話をすると、「そうなんだよね。みんな困ってるんだよ。少し遠いが、スペイン版大衆浴場があるよ、シャワー専門だけどね。良ければ一緒に行きましょうか?」と言ってくれた。サッパリしたかったので、「是非」ということで、石鹸、タオル持ってアマデオを出発した。夕方でまだまだ明るい。プエリタ・デル・ソル広場を横断して先ほどいたマヨール広場も斜めに横断して、階段を降りて、「東京飯店」の前を通り過ぎて少し行った所に確かにシャワー専門浴場があった。



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石鹸で全身を洗いサッパリしたが、たかがシャワー浴びるのにこんな所まで来るのかと本当に参ったね!Nさんといろいろ話しながら、SEPU(スーパー)まで戻って来てた所で「メシ行きましょうか」と誘われた。「喜んで」ということで、アマデオの前を通って暫く行くと「アントニオ」という名の小さなレストランがあった。5テーブルはほぼ満席だったけど、Nさんの知り合いが奥のテーブルにいて、こっちへ来いと手招きしているので行くと二人座れた。



テーブルにはクロスではなく白模造紙が敷いてある。Nさんと同じパエリャのような物とソパ(スープ)とビノ(小さいサイズのワイン)をこの店の息子だという少年に注文した。6年生ぐらいだが実にシャキシャキ機敏な動きをする。可愛い目をして大人のガルソンのように振る舞うのがおかしい。まさに「ちっちゃいビノ」という日本語がこの店では通じるんだとNさんの友人、ケンケンさんが教えてくれた。

この方も又アゴ髭を生やしていて、二人とも僕より4歳上だ。アマデオで知り合い、今はリビングの横の2部屋の片方の部屋に同居して久しいとのこと。




食事はみなとても美味しかった。「ラクエンタ~!」と大きな声で少年に言うと、Nさんもケンケンさんも模造紙に自分で飲食したものを書き、合計金額も書くと少年はそれを信じて釣り銭を持って来る。

驚いたね!僕も真似た。面白いね!

Nさんによると、日本人は絶対誤魔化さないから以前から日本人だけ特別扱いだそうだ。店内には白人客も多かったが、模造紙に自ら申告している気配はなかった。
ケンケンさん曰く、よく彼らはふざけて騙すからね。

なるほど!

この二人のアゴ髭男性に多いに惹かれるものがあった。

Nさんが「ビリヤードしに行きましょうか」というので「いいですね」と僕は忠犬ハチ公さながらついて行った。


(写真は蚤の市 の様子です)





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