(本来はバルセロナからローマへ向けて24時間の列車の旅の話の途中ですが、パリでの出来事に脱線中です・・・。)


ちょっと袖を引っ張って脇へ連れ出し、「どういうことや?」と訊くと「彼女らは女二人旅をしていて、フランスとドイツをホテルだけ予め決めて自由に周るらしいが、いきなりパリ到着が遅延したので不安になり、ひとりが泣き出した。それで、彼女達を安心させる為に僕が嘘をついたわけや。悪く思わないでくれ」だと!



それにしても「1年間留学してる」ーというのは、ハードルが高すぎると思ったが、そういうことなら仕方がない。数少ないフランス語の語彙を駆使してそれらしく振る舞うことにした。お互い自己紹介した後、タクシーでオスマン通りのオペラ座近くにあるアンバサダーホテル まで行った。中に入ると立派なホテルで4つ星だけのことはある。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



フロントで手続き終えて帰ろうとすると、彼女らが部屋まで一緒に行って欲しいと言うので、行ってみるとそれはそれはゴージャスな部屋で天井も高いしカーテンその他の調度品の装飾も青色を主体にしていて素晴らしい。

お役目終了で僕は廊下に出たが、B君は部屋でまだ何やら話していた。

後で聞くと、数日後に一緒にパリを歩いて欲しいと頼まれたとのこと。生意気に彼はOKを出したらしい。で、明日から僕についてしっかりパリ観光するからよろしくと。
まあ、そのつもりだったからいいが、ちょっと、着いたすぐの割に調子に乗りすぎてないか?と言いたかった。



メトロを使ってやっと僕の常宿に着いた。彼も自分の部屋で暫しくつろぐだろうと思っていたら、すぐに僕の一人部屋にやってきて、煙草をふかしながら今日の出来事をタラタラ話すので、「もう部屋に戻って寝たらどうや?」と促した。きっと異国に来たという興奮と一人部屋の孤独が彼をして僕の部屋に来させたのだろう。
明日は彼をどういうルートで案内しようかと考えながら寝た。


(写真は'78年当時のコンコルド広場にてB君撮影)




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 暗闇の中どんどん列車は走って、フランスに入国!
あの鄧小平やタカダケンゾー達が長い船旅の末に入港したマルセイユ、カンヌ国際映画祭で有名なカンヌ、エンジェル湾の青い海が美しいニース、そしてカジノとF1レースとグレース・ケリーの国モナコ公国・・・をいずれも何一つ見ずに列車のコンパートメントを一人占めして僕は爆睡し続けた。
この間を利用して、今回の旅の最初の段階で訪れた国スイスの話をしよう。なにせこの列車には24時間乗り続けるのだから。


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バルセロナからローマへ



1978年4月29日に憧れのパリに到着して1週間経った頃、僕の高校時代からの友人B君が2週間の休暇を取って、僕の後を追っかけてきた。僕はオルリー空港だったが、彼はシャルル・ド・ゴール空港 に到着予定だった。
バスで夜空港に行くと、係員がいなくて荷物の出てくるターンテーブル迄入って行けた。かなり遅れてJALが到着。
暫くして現れたB君は初めての海外旅行なのに二人の日本人女性と親しげに話しながら僕の方に近づいてくるではないか!



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「オウ、無事に着いて良かったな。ちゃんと君の部屋もとって置いたから」と僕が言うと、「こいつがな、機内で話してた、パリ留学して1年になるA君や。もう心配せんでもええで」と突然意味不明のことを言いだした。


(写真は'78年当時のパリジェンヌです。)




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 1978年6月30日、バルセロナの旧市街にあるピカソ美術館 を訪問した。ピカソの父親は美術の先生で、マラガ 、ラ・コールニャそしてバルセロナと転勤した。十代のピカソはここで美術学校に通い始めた。この美術館はピカソ家の当時の住まいで、1973年に開館したらしい。三階から成っていて、キュービズム時代の作品があまた展示されている。



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観客は殆どいなくて僕がピカソを一人占めしている状態だ。何と贅沢な!

作品の端っこに、闘牛とかモンロー風のグラマラスな女性の落書きが面白くて、天才ヒカソのお茶目な一面を見た気がして面白かったが、16歳で画いた「科学と慈愛」 と接したとき、なんてピカソは絵が上手いんだと感心した。



今まさに死を迎える女性の脈を医師が取っている有名な絵画だ。暫くじっと見てしまう普遍的メッセージ力のある傑作だ。この美術館を訪問して、ゲルニカを観た時とは違って、すごくピカソを身近に感じた。有意義な昼下がりを過ごした。これでもうスペインを去っても悔いはないとしみじみ思った。


(写真はバルセロナのカテドラル です。中に入ったかどうかは忘れてしまったなぁ。)




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 バルセロナ駅に着くや否や、アマデオ情報に従って、旧市街の路地の奥まった所のある安ホテルを訪ねた。外観は相当古いが中に入って空室の有無を訊くとあるとのことで、窓のある部屋に泊まることになった。ガタビシいう窓でしっかり閉まらないので少し不安だったが、まあいいかと・・・。


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とりあえず、街の中心のメインストリートであるランブラス通り へ向かった。広い通りの中心部分が歩行者専用の道になっている。軽い坂をどんどん上って行くと、大きな広場に出た。鳩がいっぱいだが、不思議と白いハトがいない。バレンシアとバルセロナはそれほど離れていないのに。パリのハトと違って痩せ型が多い。食糧事情が良くないようだ。再度ランブラス通りを下って、途中賑やかな通りに入った。並んでいるバルのひとつに入ってビールを飲みながら昼食を取った。何処へ行こうかと思案して、聖家族教会 に行くことにした。




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噂には聞いていたが、とろけそうな奇妙なデザイン、先頭の風車のようなもの等、美しいというよりどう解釈すればよいのか戸惑った。ガウディの作品だが、まだ未完成で、あと何年かかるか分からないそうだ。海底や海の生物、あるいは昆虫の世界だよね、彼の作品のテーマは。



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帰りは徒歩でかなり歩き、海沿いのコロンブスの塔 を見に行った。アメリカの方角を伸ばした手で指さすコロンブス像が高い塔の上に立っている。4、5回コロンブスはアメリカ上陸に成功したが、そのうちの少なくとも一回ここから出帆している。明日はピカソ美術館を見学しよう。
まだ見るべき建築物があるようだが、先を急がないと帰国予定の7/18に間に合わない。



明日の夜、お得意の夜行列車で一挙にイタリアへ行こう、そうだ、それがいい! 夜ホテルで時刻表を調べると、何とバルセロナ発ローマ行きがダイレクトであるではないか!
2枚目のユーレイルパスは7/18まで有効だから、行きたいところはどこへでも一等の座席で行ける。ただし、ローマまで24時間乗り続けなければならない。
未知の世界だ!

よし、決めた。明後日の夜にはローマのテルミニ駅に僕は立っているだろう。


(写真上・'78年当時のランブラス通りにある広場 中・ピカソ美術館のある旧市街  下・コロンブスの塔)




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 着いた所は洞窟内の本格的な店で、結構広い半円形状の舞台に沿って5-60席の観客席がある。迫力ある踊りと歌そしてフラメンコギター、これがいいんだよね。どうもファミリーでやってるらしいことが途中で気づいた。若い娘さんが出てくると、凄く盛り上がる。みんなオレーと掛け声をかけるが、フランス人が言うとオヘーと聞こえ、気合が入らない。僕も乗ってきてオーレー!を連発した。十分楽しんで同じタクシーで送ってもらった。

翌日旧市街や昨夜のフラメンコの店のある アルバイシン地区 を歩いた。それ以上見るところもないようなので、その翌日バルセロナへ夜行で向かうことにした。



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夜行列車でトーマス・クックの時刻表を見ている時、早朝バレンシアオレンジでお馴染みのバレンシア を通過することに気づいたので、少し降りることにした。降りて駅周辺を歩いて一つ気がついたのが、バレンシアの教会付近を飛んでいる鳩の色がすべて白 かったということだ。数十羽すべて真っ白! そのことにえらく感心して駅に戻り、バルセロナへ向かった。


(写真は'78年当時のバレンシア、画面中央、教会風の建物辺りを目をこらしてごらんあれ!)




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