翌朝、まずはバチカン市国のサンピエトロ大聖堂 に向かった。20万人は収容できるというサンピエトロ広場を横切って、大聖堂に入る。入口近くにユニークな制服姿の衛兵がいた。代々スイス人が担当することになっているらしい。
まず最初に、入って右側にあの有名なミケランジェロ作の「ピエタ像」 に目を奪われた。十字架から降ろされたイエスを抱きかかえ、悲しむマリア像。美しい真白な大理石製なのだが、まったく硬質感が感じられない。凄い技だ。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


それから立派な色とりどりの大理石の上をどんどんあるいて行くと、厳かな祭壇がある。それも立派だが、その前のクネクネと天に向かって伸びて行く黒っぽくて重々しい4本の柱の方が印象に残る。大型の天蓋なのか?

次に階段を上って屋上に行けるというので、ハアハア言いながら登り切った。さきほどの広場とそこから真っ直ぐ延びる道路がよく見える。遥か後ろにはローマ全体が広がっている。ちょうどそこにいた日本の女性と写真を取り合った。彼女はベルギーから来たと言っていた。バチカン博物館 には絶対行くべきだと彼女に言われて、初めてその存在を知った。彼女は既に行って来たとのことで、場所を教えてもらい早速行くことにした。



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螺旋階段を昇って中に入って驚いたね!

どうだろう、このローマカトリック教会の富は!

行けども、行けども尽きぬ美しい大理石で装飾された廊下、壁、天井そして彫刻群とローマ帝国の各時代の領土を形どった豪華なタペストリー群! 凄いの一言だね。
さらにシスチナ礼拝堂 、そしてそこに描かれた「最後の審判」・「出エジプト記」等の旧約聖書に書かれている物語の絵画が壁面だけでなく天井にもいっぱい描かれている。
筆舌に尽くし難い見事さだ。

しかし、ミケランジェロ とは本物の天才だなと思わざるをえない。世界史の教科書で見て、いつか本物を見たいものだと思っていたあの17歳の頃の自分に対する大きな贈りものになったような気がして大いに満足した。



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バチカン博物館を出てからどこをどう歩いたか定かではない。バチカン博物館に圧倒されてしまったからだろう。
まだ見るべき名所はたくさんあるだろうが僕は大いに満足したので明日ローマを発つことにした。
翌朝、テルミニ駅で、当初の計画通りギリシャへ行くために、アドリア海に面した港町ブリンジシに向かう列車に乗った。


(写真は'78年当時のサンピエトロ大聖堂屋上より広場を見る・同じく屋上にて・バチカン博物館)




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 翌朝、近くのスーパーで買った物で朝食を済ませ、まずはトレビの泉を見ようと歩き出した。テルミニ駅近くに博物館があったので寄って見た。遺跡群がたくさん置いてあった。見学後暫く歩くと、日本人親子にテルミニ駅はどこか尋ねられたので、すぐそこですよと言うと、「昨夜タクシーでは随分乗ったけど、そんなに近いの?!」と呆れかえっていた。下り坂の古い広い道をどんどん歩いて行くと、立派な噴水があり、そこを右に曲がり進むと、オードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べながらグレゴリー・ペックと階段を降りてくるあの有名なスペイン広場に出てきた。



晴れた日で多くの観光客が階段に座っている。僕も座ってみた。その後階段を登り切り周辺を散策してみた。良い眺めだ。それからスペイン広場の前の船の形をした噴水の横で売っているアイスクリーム屋さんを見ながら道路を渡り、世界的に有名なショッピング通りコルソ通りを通り抜け、左に折れたら、前方に白い立派な建造物が見えたので見に行くことにした。それがイタリア統一に貢献したエマニュエル2世の記念碑だった。あまりにも白が綺麗なのでカメラに収めた。



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そのあと、地図を見ながら何とか目的地のトレビの泉に着いた。なかなか良い雰囲気のあるところで、僕のイメージしていた泉とは違っていて、ある館の側面の壁に装飾物として海の神、ネプチューンの彫像を施し、その前に半円形の泉が作られたものだった。みんな後ろ向いてコインを投げている。僕もまた再びローマに来れるようにと美しいコイン1リラを投げた。その効果だろうか、4年後に妻とともに再訪した。



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腹が減ったので泉の前のピザ屋で四角いピザを切ってもらって、ペプシともに食べた。どういうわけかイタリアではコカコーラは滅多に見ない。大概コーラと言えばペプシ製だ。そんなことに感心しながら、フォロロマーノ、コロッセオと歩きまくった。

7月のイタリアは実に暑くて、アスファルトが柔らかくなっていたりする。銃弾の跡がたくさんん残る壮大な外壁とは違って、中は狭く感じた。観衆を喜ばすためにネロ帝らの命令によって野獣と闘わされた剣闘士の恐怖心と勇敢さに思いを馳せ深く同情し、また一つ歴史の残酷さの断面を見たような気がした。

旅は自己鍛錬の場でもある。




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その日はそこで観光は終了にした。
夜はあるリストランテで前菜にパスタ、ステーキ、パンと充実した食事を楽しんだ。しかし、石畳は勿論何もかもが本物の力がある。本当にここが200年間もの大繁栄、パックス・ロマーナを築いたローマ帝国の首都だったんだという説得力が街全体にある。

これは何としても明日はバチカン市国に行かねば。


(写真は’78年当時のローマ、エマニュエル記念堂、トレビの泉、コロッセオ)




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 予定より遅れてローマに着いた。辺りは暗くなっていた。これがモントゴメリー・クリフト主演の「終着駅」 で有名なテルミニ駅 か・・・という感慨に浸る間もなく、宿探しを始めた。アマデオで入手した地図に従って歩くと目指す安宿が見つかった。ブザーを押すと扉を開けてくれた。若いセニョリータだ。

空きがあるかと訪ねたら、ラッキーなことにあるというので、見せてもらうと、ユースホステルのドミトリー式だ。
OKを出して泊めてもらうことにした。こんな遅い時間に他のホテルを探す気力はなかったし、ホテル代もリーズナブルだったから。



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急に空腹感に襲われたので、ペンションを出てすぐ近くのピザ屋で大きめにピザを切ってもらって、ペプシと食べた。なかなか美味しかった。で、近くを軽く散策したが、やたら街が暗い。街灯に数が少ないだけでなく照明自体も暗い。どこにでもある噴水を見て、これがひょっとしたらトレビの泉 かなと的外れなことを想像したりした。ただ、建造物の石の古さにローマ帝国を連想させる年季を感じた。これはパリとは違うなと直観した。明日ゆっくり観光することにしてペンションに帰った。

バルセロナから24時間、国際列車に乗り続け、スペイン、フランスそしてイタリアと来たので、ずっと座っていたとはいえ、疲れていたのだろう、シャワーも浴びずに即寝入った。


(写真は'78年当時のローマ、ポポロ広場)




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 ピサ で全員下車してしまい、僕一人になった。ピサの斜塔も見たいが、今回は諦める。次の駅で中年の男性をリーダーに陽気で美しい女性達が荷物を両手に持って乗車して来た。そのうちの一人の美人が僕のコンパートメントに入って来て、「空いていますか」と聞くので「はい、空いています。どうぞ」と応じた。そして、荷物を棚に載せるのを手伝った。



聞くと、皆イギリス人でバカンスにいつも訪れるイタリアの避暑地数カ所を移動しながら楽しんでいるとのこと。僕の横に座って、Queen Englishで何処を訪問すべきか教授してくれる。僕は間近に見る彼女の目鼻立ちの美しさにうっとりしてヒアリングはいい加減だ。赤いマニキュアに彩られたすらっとした両足をクロスしながら、サンダルのまま前の座席にのせて寛いでいる姿が絵になっている。



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今からどこへ行くのか訪ねられたので「ギリシャ」と得意げに発すると「確かにギリシャも素晴らしかったけど、やはりあなたはベネチア に行くべきよ、絶対に」といかにベニスが美しいところかを力説し出した。
僕は一瞬迷ったが、今回はギリシャへ行く意思は固かった。何時の間にか昼時になっていた。彼女はバスケットを開けランチを取るらしい。視線をさりげなく車窓に向け、見るともなく流れる景色を眺め、自然に顔を彼女に戻すと「おひとついかが」とサンドイッチを勧めてくれた。すかさず「ありがとう」と言っていただいた。デザートに西洋ナシも頂戴した。



やがて、彼女の仲間のリーダーらしき男性がもうすぐ下車すると知らせに来た。もっと会話を続けたかったが仕方がない。お互い良い旅をと言って別れようとしたら、再度「あなたはベネチアに行くべきよ」と念を押された。
彼女が去ると、妙に寂しくなった。
ローマ迄まだいく人かのイタリア人が乗り降りしたが、記憶にない。景色が暗くなってきた。夜の8時にローマ着の予定だ。とすれば、後半時間ほどだ。宿も決めず、夜に未知の都会に着く緊張感が僕を包み始めた。


(写真は'78年当時のローマ、スペイン階段)



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 夜が明けて、美しい地中海(場所が違うが雰囲気だけ拝借・・・)が車窓から見える。その頃には僕のコンパートメントは、京都から来たという僕と同年代のカップルと中年のイタリア系アメリカ人男性が加わって結構賑やかになっていた。特に京都の男性がやたらアメリカ人に身振り手振りを交えて挑むように話しかけるので、話題が絶えない。
とりわけ日米の社会制度の違いの話となると彼の語彙不足が露呈する、すると僕に助けを求める、例えば「専売」をmonopolyというとか。アメリカ人も彼の英語力におかまいなしにペラペラ喋りまくる。それには京都の彼も呆れかえって、顔だけはアメリカ人に向けながら、僕に早口で「よう喋るやっちゃなー、ホンマに参るわ」と小さな声で語りかけるから返答に困った。



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「イタリアの鉄道」より拝借しております。


横で奥さんが「日本では俺は英語ペラペラや言うてたけど、大したことないな」と言うので笑いをこらえるのに苦労した。彼は以前ヨーロッパをバックパックしたことがあるらしく、今回新婚旅行で彼女にええところを見せようと張り切っているらしい。
ガタンゴトン揺られて、珍しく会話が途絶えた時、フランスの出国イミグレーションがコンパートメントの扉を開け、「パスポール、シルブプレ~」と来たのでみんな順に見せる。パラパラとざっと見て「メルシー、オーヴォア」と言って去って行った。直ぐにイタリアのイミグレーションが扉を開け、「パスポルテ、ポルファボーレ~」とやって来た。



その時、僕は身構えたが、僕たちを見て「ジャッポネーゼ?」とまとめて尋ねたので「シー」と三人同時に答えると、パスポートを見ないで、何か陽気な歌を口ずさみながら去って行った。これで僕は無事、世界遺産世界一の国イタリアに入国できたのである。
うれしくて思わず、「コーヒーブレークにしませんか」と提案するとみんな大賛成してくれ、僕と京都の彼二人で食堂車に向かった。随分離れていたが、何とかたどり着き、カプチーノの簡易カップを二つずつ両手にもって戻ったが、不意の列車の揺れのため、コンパートメントに到着したときには半分くらいになっていた。でも、4人で飲んだ入国後のカプチーノはとびきりうまかった。


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