翌日、爽やかな晴天の下、僕は元気よくフィレンツェ駅から列車に乗ってベネチアへ向かった。ローマから来た列車は多くの乗客でごった返していた。7月10日頃と云えば、学生達は夏休みだし、ヨーロピアンもそろそろバカンス期に突入する頃だ。何とか座席を確保して数時間後、列車の速度が遅くなり右へ急角度で方向転換した。通路に多くの人が出て車窓の外を見ているので、僕もコンパートメントを出て見た。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



海だ!アドリア海 だ!
キラキラ海面が光っている。真夏の地中海の輝く海が眩しい。ふと振り返ってコンパートメントの向こうの景色を眺めてビックリしちゃった!そこも海だ!ということは、一体この列車はどこを走っているのだろうか?・・・・・・
そうなんです。ベネチア本島まで鉄道と道路の陸橋で繋がっているのです。関空へ行く時のようなものです。4キロ走ると終着駅サンタ・ルチア駅に到着。もう駅の雰囲気が他の駅と違って開放的でとても明るい。他のバックパッカーとともにインフォメーションに並び、ユースホステルの場所を教えてもらい、街の地図を貰った。



駅を出て驚いたね!ビックリしたなモー!
運河の綺麗な海水が駅前の広場に敷き詰められた、水際の美しい石にバシャ、バシャと打ち寄せ、バポレット という名の小型船が数隻往き来し、その向こうには薄い緑色をした中世の趣たっぷりの円形の屋根を冠した立派な建造物が夏の太陽に眩いばかりに輝いている。マルコ・ポーロという言葉がこの時、僕の胸に横切った。
そして、今回の旅のNo.1はこのベネチア で決定だなとも直感的に思った。
さて、バポレットにはどのように乗ればよいのかなと思案しながら重いリュックを担いで乗り場に向かった。


(写真は'78年当時のベネチア、サンマルコ広場のドゥカーレ宮殿と鐘楼です。 やたらお腹が出た鐘楼であしからず・・・)





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 翌朝、念願の「ダビデ像」と出会うためにアカデミア美術館 を訪ねた。いやー、参ったね!(よく参る人ですな・・・)
本物の凄さをまたもや知らしめられた。街の中の小さな美術館に入ると正面に、真っ白な美しいダビデ像が敵に睨みを効かせて、時を超えて見事に永遠の命を宿しているかの如く凛々しく立っていた。徐々に近づくにつれて、その逞しい肉体の骨格、筋肉、血管そして頭髪、どれをとっても最高級の気品と気力がみなぎっているのを感じる。あっけに取られ、魅了されて、しばらく動けなかった。



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左手に長い布(に見えるが投石器らしい)、右手に石鹸のような石、それを武器に怪物を懲らしめに行く決意と正義感!町の中で見たレプリカとは全然違う繊細さと大胆さだ。ミケランジェロは絵画も素晴らしいがやはり彫刻がいいと思った。



僕は高校時代、強い影響を受けた世界史の先生が勧めてくださった羽仁五郎氏の「ミケランジェロ」 (ルネサンスに栄えた都市国家フィレンツェの話だが、旧体制に変わる新体制の象徴として「ダビデ像」が描かれていたと記憶する)を読んで感動して以来、いつの日か是非とも「ダビデ像」を見たいものだと思っていたので、長い間見とれていた。
そして出口付近に並ぶ未完成の大理石を見て、ますますミケランジェロの並々ならぬ才能に気づかされた。それは肩付近が閉じ込められた石から懸命に抜け出そうとしているかのように見えた。

もうこれでフィレンツェを去ってもいいかなと思った。



夜食事をを済ませた後一人で小さな公園を歩いていると、木の枝をうまく利用して作られた台の上にテレビが設置され、みんなその前に集まっている。
ちょうど1978年の夏はワールドカップ の年で、自国イタリアを応援しているのだ。ドイツ、スペインもそうだったが、ベスト4の常連国イタリアは特に応援に熱が入っていた。
明日は愈々ベネチアだなと思いながら、僕も皆と一緒にイタリアを応援した。

(写真は'78年当時のアカデミア美術館内、ダビデ像です)




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 翌朝、僕はカナダ人とイギリス人の若者にサヨナラの挨拶をしてテルミニ駅へ向かった。カナダ人は親の故郷スエーデンへ、そしてイギリス人はロンドンまで直通列車で帰国すると言っていた。
空いたコンパートメントで脚を伸ばしてイタリアの山や田園地帯を見て楽しんだ。うつらうつらしているとフィレンツェに着いた。売店で何やら藁に半身覆われたボトル がぶら下げられているのが妙に印象的だ。

19歳の頃見た映画に「我が青春のフローレンス」 があって、その中で美しい丘から赤い屋根のフィレンツェ の街を望見する場面がある。生きているうちにあの丘に登ってみたい!と思ったものだ。それが「ミケランジェロの丘」だということはこの旅で知るわけですが。


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駅のインフォメーションで紹介してもらったペンションに荷物を置いて、早速駅前のドウモ(大寺院)を見学したが、まぁ、驚いたね!外壁に使用されているピンク、グリーン等多彩な大理石がこのトスカーナ地方 にふんだんにあることに。

ルネサンス時代のパトロンである大富豪メディチ家はこの大理石を輸出して巨万の富を築いたと記憶しているが、なるほどこのような美しい大理石 は世界広しと言えどそうそうあるものではない。ドウモの中は高くて広かったという印象しか残っていない。




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それから、旧市街を通り過ぎてベッキオ橋を渡り、前述の映画に出てくる「ミケランジェロの丘」に登った。そこからの眺めは素晴らしくて、僕の期待を裏切らなかった。その広場に恐らく青銅で作られた「ダビデ像」のレプリカが立っている。見下ろすと先ほど渡ったベッキオ橋や多くの先頭や歴史を感じさせる赤い屋根が美しく調和している。
暫くしてまた旧市街に戻り、ウフィツィ美術館近くの、もうひとつの「ダビデ像」のレプリカを撮影した。教科書で見たことのある広場だ。初日の観光はこれくらいにして、何処かの店で夕食を済ませた

(写真は上・'78年当時のフィレンツェ、ミケランジェロの丘より街を望む下・ドォーモ)



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 朝ローマ着後、一泊するというカナダ人とイギリス人を僕が先日宿泊したペンションに案内した。幸運なことに3人分のベッドが空いていた。荷物をベッドのそばに置いて、青空の下、街に飛び出した。カナダ人が先頭に立ってスーパーを探した。(真っ先に行くのがスーパーかいな・・・)うまく見つけ、そこでパン、チーズ、トマト、牛乳を買って、近くの公園のベンチに行った。何とカナダ人は袋から小型まな板とスイス製の五徳ナイフをとり出してトマト・キュウリ・チーズをスライスしてパンにはさんでくれた。素晴らしい朝食をエンジョイした。イギリスの若者もそうだが、僕もカナダ人の手際よい振る舞いを惚れ惚れした目で見ていた。

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食後、コロッセオ、フォロロマーノ界隈を一緒に歩いた後、彼らと夕方何処何処で会う約束をして僕はカラカラ浴場をバスで見学に行くことにした。彼らはバチカン、スペイン広場等を見学するらしい。行ってみたが、カラカラ浴場にはそれほど感動しなかった。夕方、約束の時間に二人と再会し、夕食をレストランで食べようとなって、例の如く金髪のカナダ人が独特の嗅覚で手頃なリストランテを見つけた。そこでワインを飲みながら食事を存分に満喫した。



その後近くの大きな広場の中心にある水の出ない噴水の淵に座ってネオンの美しい観光客でいっぱいの数軒の立派なレストランを眺めながら、明日はそれぞれ別の目的地に向かうこともあり、感傷的になっていると、聞いたことのある懐かしいメロディーが聞こえてきた。彼らも聞いたことがあると言う。

そうなんです!スキヤキソング、即ち、「上を向いて歩こう」だったのです。向こうのレストランの中でイタリアの女性シンガーが日本語で観光客相手に唄っているのが見える。何か長かった僕の旅もそろそろ終盤に来たなと学生時代に読んだ安岡章太郎の岩波新書の作品のタイトル「アメリカ感情旅行」を連想していた。


(写真は'78年当時のカナダの青年です)



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ブリンジシの駅で列車を待っていると金髪のカナダ人と黒っぽい髪のイギリス人の若者と親しくなった。彼らはギリシャ帰りで、カナダ人はミコノス島 、イギリス人はクレタ島 で早いバカンスを過ごしてきたそうだ。僕はユーレイルパスがあるので一等列車に乗れたが、同年代の彼らと一緒にいたいから、彼らに合わせて二等客車に乗った。混雑していたが、何とか8人掛けに座れた。イギリス人はローマ経由でロンドンまで直通国際列車で帰国するらしいが、リーダーシップを取るカナダ人の青年は、自分の親の生まれ故郷のスエーデンを訪問するつもりとのこと。二人ともローマは初めてで地理に疎いというので、「じゃ僕が先導して宿も含め、案内しましょう」と言うと彼らは「何もかも君に任せるよ」と答えた。



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夜も更けて僕たちの前の席の家族連れが紙袋を開けてサラミをはさんだイタリア、スペインの典型的なサンドイッチを食べ始めようとした時、それをじっと見ている僕たちにおばあちゃんが二人の孫息子に与える前に半分ちぎって、どうですか?と勧めてくれた。三人揃って「頂きます。グラッツェ」と同時に返事した。スエーデンのようなプロテスタントでは滅多にないが、カトリックの国ではこのような親切に出会うことが多い。



夜も更け室内の電気を消して、ガタンゴトン揺られながら、眠りについたが、昨日からのことが頭の中を巡ってなかなか眠れなかった。本当なら今頃はアテネについてるだろうに。

でも反面、ひょっとしたらあの赤いマニキュアのイギリス女性が示唆したように、今回はベネチアに行く運命だったのかもしれない、きっとそうだ、そうに違いないと持ち前の前向き思考が頭をもたげた。目覚めたら再度ローマが僕を待っている。永遠のローマが。
早速トレビの泉に投げたコインの効果が現れた訳だ!


(写真は'78年当時のローマ市内)




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