二段ベッドの下段に有料のシーツとリュックをおいて受付で夜の食事を予約した後、ぶらりと再度バスに乗って市庁舎前迄戻って、町を散策した。

メインストリートを歩くと、次第に、映画でよく見たあの北欧特有の自由な透明感に包まれていいくのを感じ、ああ、これが五木寛之さんの短編集小田実さんの「何でも見てやろう」で描かれていた北欧の世界なんだなあと感慨にふけった。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記




暫く歩くと当時のブルーガイドブックの表紙になっていた大きな3メートル弱のイカリの前に来た。
何だろうね、教科書とかガイドブックで見たことのある光景に出くわすと凄く嬉しくなるのは!

その前で写真を撮ってもらった。そしてあの有名なマーメイドを見物してその日はユースに帰ることにした。



ユースに戻ってシャワーを浴び、スカッとした後、ベッドに横たわっていると、夕食の時間になった。かなりの人数だった。値段の割に美味しく量もたっぷりだったと記憶している。

食後大きなテーブルを囲んでみんなビールやコーラを飲みながら楽しそうに歓談している。国籍は様々だ。僕も缶ビールをを持って椅子に座った。

10人ほどの若者の中で会話をリードしているのはアメリカ人達だ。それにオーストラリアやフランス、ドイツ人といったヨーロッパ勢が活発に情報交換に加わる。



更に人数が増え熱気で暑く感じられた時、話題になっていたスエーデンに新鮮な情報をタイムリーにしかも流暢な英語で提供してみんなの注目を浴びた国籍不明のアジア人男性がいた。その人がこの後しばらくともに行動することになるS氏である。僕もこれは良い英会話の練習になると思い、勇気を出して会話に参加した。


(写真はストックホルム市内)



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 コペンに着いてまずせねばならぬことはユースホステルに行くことだった。幸い駅から徒歩で行ける所にあるとインフォメーションで教えもらった。チボリ公園 とは逆の方をしばらく歩くとユースホステルマーク発見!ところが、今日は満杯とのこと。しょうがない、もう一つの遠い方のユースホステルヘ行くことにした。その時だった、オーストラリアから来たキャシーに出会ったのは。



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彼女も僕と同様断られもう一つのユースに行くとのこと。

じゃ、一緒に行こうとなった。彼女の片方の手に包帯が巻かれていたので、どうしたのか訊いた。

彼女の話を要約すると、オーストラリアからまずギリシャに入国、ある日果物の皮を剥くとき指を傷つけてしまった。で、慌てず応急処置をした。自分は国では看護婦を職業としているので、消毒もしたし完璧だ。これから夏の休暇中にじっくりヨーロッパをユースホステルを利用しながら周遊する予定だとのこと。



薄い色の付いたサングラス、身長155センチ位、小顔の割にガッチリした体躯、(ガッチリした体躯て~~他に言い方ないんかいー。でもこの表現がぴったりの彼女であった)

栗色の髪、僕より年下のくせに自信たっぷりの話しぶり、チボリ公園の入口の前を通り市庁舎前のバス停に着くまで彼女と話しながら得た印象はそんな感じだった。

30分程で目的地に到着。緊張の面持ちでレセプションで空き具合いを尋ねると、余裕で空いていて、二人とも無事にベッドを確保出来た。


(写真はチボリ公園)




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その後車両に揺られながらコンパートメントを一人占めして寝た。夜が明けてもどんどん列車はコペンハーゲン目指して走り続ける。ハンブルグも過ぎ北方に向きを変えさらに進むと、デンマークに入国した。その前後の物凄く大きな橋を、海を見下ろしながら渡った。美しい海と空の青さに感嘆した。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



暫くすると終点になった。大きなフェリーが海岸にピタッと接岸されてフェリーの後ろの大きな扉が下りている。さて、どうするのかなと車窓から顔を出して見ていると、何と列車がフェリーの中に入っていくではないか!驚いたね!

実はフェリーの中にもレールが敷かれていて2車両ずつぐらいで3、4分割されてフェリーの中に見事に収まるようになっていたのである。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



客車から下り、フェリーのデッキに出た。もうすでに本船は重い車両を載せて静かにコペンハーゲンのある島に向かって航行していた。もう少しだと言って深呼吸した。
船内にはちゃんと免税店もあり、ウイスキー、煙草、チョコ等全部揃っている。あれよあれよという間に対岸に到着とのことで、列車内に戻って、今度は先ほどとは逆の順で陸の線路に無事乗ることが出来た。

ここから島の反対側に向かってもう一息だ。昼過ぎに太陽のきらめくコペンハーゲンのホームに生まれて初めて足をおろした。


(写真は'78年当時のコペンハーゲン)



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 1978年6月上旬、一人旅の僕は、その年の4月29日にパリ到着以来、スイス、ドイツを回って巴里に戻り、イギリスの旅に出かけ、今またこうしてリュクサンブール公園の椅子に腰掛けトーマスクックの時刻表を見ながら今夜からの北欧の旅のプランを立てている。

日本を離れて1ヶ月が過ぎていた。まだ日本に帰りたいというセンチメンタルな郷愁はなかったが、一人でいるとカフェでよくポストカードを書いた。きっと寂しいんだろうな。



コペンハーゲン行の夜行列車に乗ったのは夜9時頃、パリ北駅発だ。何かうきうきした気分で、何というか、青春の輝きの予感がする夜だった。

定刻通り発車した。乗車する前に僕の乗る車両がコペンハーゲン行きかどうか乗車口の横の行き先をしっかり確認したし、ユーレイルパスを今日から使用するので駅の窓口で日付を既に記入してもらっていた。



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最初僕の一等のコンパートメントは貸し切り状態だったが、途中11時頃だったか若者がノックして「空いているか?」と言って入ってきた。「空いてるよ」と答えて暫く話した。彼は金髪のアメリカンで、フランスを回って今度は西ドイツを旅する予定だということだった。で、大聖堂を見るためケルンで下車するとのこと。



僕のトーマスクックの出番で「ケルンには夜中の2:30頃に到着予定だよ」と教えてやると疲れたから少し寝ようと電気を消して二人とも寝た。 目を覚ます毎にここはどこだという騒ぎが起こって3度目がどうやらケルンだった。
窓から顔を出してここはケルンかとホームの駅員に確認してから、そうだと分かると挨拶もそこそこに彼は急いでリュックを担いでコンパートメントを出て行った。


(写真はケルン駅内から見た大聖堂)




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エジンバラから British Railway の「光」に乗って帰りはイギリス特有の丘陵地で草を食んでいる牛、羊、馬を見ながらあっという間にロンドンに着いた。その日アールズコートで蚤の市があるので寄って見た。そして立派なダートを後のことも熟慮せず買ってしまった。

(この時のことはこちらで詳しく書いてます。けど読みに行くのは面倒ですがな~~)

これが重いだけでなく持ちにくい。しまったと後悔したが、当時親父の店ではあるが、僕がマスターをしていたジャズ喫茶の常連達に何としても見てもらいたかったのである。

そのままヴィクトリア駅からドーバーまで行き、夜行船で来た時同様カレー迄、さらにパリの常宿の「プログレ」到着を目指すことにした。




パリ・マドリッド10日間家族旅行記



予定通り夕方には僕はホテルのベッドに横たわっていた。一眠りして夕食を食べてリモネードとエビアンを買ってホテルに帰り、明日からのプランをじっくり考え始めた。
いよいよ国を出る前どうしても行きたかった北欧の旅の開始だ!

とりあえずデンマークのコペンハーゲンを目指すことにしよう。そこで、エジンバラで経験済のユースホステルに宿泊して北欧の雰囲気に慣れよう、そしてそのとき次にどのルートを取るか考えよう。



それにしても荷物が多すぎる。何とかせねば・・・



そうだ!このホテルの主人に帰国まで預かってくれるよう頼もう。

我ながら名案!

早速レセプションに降りて行きその旨を依頼すると、いいよと快諾してくれた。「ところでいつ帰ってくるのか」僕はだいたいの日程を伝えた。実際は2週間以上遅れて帰って来たのだが。

何を思って持参したのか・・・紺のスーツ、でかいダート、等を主人に預けて、リュックをスッキリさせその夜は爆睡した。


(写真は1978年当時のパリ・コンコルド広場)




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