小雨の降る中、中型船は旗を激しくはためかせながら大洋から大河のようソグネフィヨルドに入って行った。氷河が峻険な山々を削って、そこにドッと海水が入り込んだのがこのフィヨルドとのことだが、最初は凄いと思って近接する山頂を見上げていたのが、慣れてくると流れのない大河を昇っているように感じ、飽きてきた。
寒いこともあり、僕は船室に入った。ドイツ留学帰りの彼はえらく興奮してずっとデッキにい続け、シャッターを押していた。



2、3時間で一番奥まった終点に到着。そこで何か食べ、近くの駅からオスロへ二人で向かった。オスロで彼と別れた。彼は帰国のためドイツへ向かい、僕はオスロ観光 してから、夜行列車で再度コペンハーゲンに戻るつもりだった。

ムンク美術館は瀟洒なところにポツンとあり、中は広々して自由な雰囲気で来訪者も三々五々だった。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



やはり「叫び」 の前でしばらく佇み、見入ってしまった。あの歪む曲線がね、そしてやはり色彩が他のものとは違う、この世でただ一つ感があるね。
(実際には何枚か色合いの違う物があるそうだが・・・)

街に戻りウインドウショッピングしながら時を過ごした。実にこじんまりしたキュートな街だなと感心した。



早い目にオスロ駅で列車を待っていると、見知らぬ男が僕に近づいて来て、日本人かどうか確かめた後、パンフレットを見せて「この電気製品を日本で買って、この住所に送ってくれ。お金は製品が届いてから送金する」とのたまう。

「ええ加減にせえよ、」と関西弁で即座に断った。彼は何のことか分からず、暫くしたら諦めて去って行った。
間もなく列車が入って来た。
またまた夜行だ!




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。




 

 寒さで目を覚ましたら、そこはベルゲンだった。残念ながら、曇っていた。駅のインフォメーションでホテルを紹介してもらった。一人5、6千円で予算オーバーだが、ここは奮発してトリプルの同部屋に仲良く宿泊することにした。行ってみると、駅の近くで外観も内装もとても良かった!

2つ星ってとこか。



身軽になって、カメラマンのガイドで小さな湾に沿って並んでいる、よくガイドブックで見かける古い木造の家々を見て歩いた。適当なレストランで昼食を済ませ、いったんホテルに戻って、シャワー浴びて休憩した。

夕方また曇った空の下をぶらついた。ここはドイツ人が干しタラで大儲けし、彼らの権益を守るためギルドを作ったので有名なのだが、その頃の建物 が観光客を喜ばせるわけで、まさにその典型とも言える店を見つけ、そこでビールを飲みながらゆっくりデイナーを楽しんだ。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



昔バイキングの隠れ家的拠点だったのは、フィヨルド内にあることと、頻繁に出る霧が追跡船から彼らを守ったとのこと。ドイツ留学の男性も物知りでいろいろ教えてくれる。二人のケペル先生 (動画を発見~!)に挟まれて、僕は一晩でベルゲン通になった。翌朝、まだ暫く滞在して晴れの日のベルゲンの写真を撮るというプロのカメラマンを残して、僕とドイツ留学の彼は午前の船で世界一長い、確か200キロメートルあるというソグネフィヨルド 観光に出かけた。終点から電車に乗り換えオスロに帰るプランだ。



少し寝坊したので、船着場まで必死で走った。それがまた思っていたより遠くて、ギリギリなんとか乗船出来た。

言い忘れたが、あのプロのカメラマン、今回を含めて数回ベルゲン訪問しているが、あの偶然の初回を除いてすべて曇りあるいは雨と言っていたのが印象的だった。

人生不思議なもんだね!


(写真は又しても本文と関係のない1978当時のフランクフルト市内です)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。




 ストックホルムからオスロまで列車で移動。オスロから夜行でベルゲンへとまたもや強行スケジュールだ。オスロで夜行列車の出発まで時間があるので街をぐるっと回った。世界で一番小さくて可愛い首都だと思った。ムンク美術館 はベルゲンから返ってきてから見に行くことにした。



愈々夜行列車の出発だ。車内はガラガラでポツンポツンとしか客がいない。出発して暫くすると、日本の若者と知り合い同じ4人席に座って、交歓した。彼はドイツでの留学を終えて北欧を周遊しているところだった。更にしばらくして、中年の小柄で痩せたベージュの薄手のレインコートを着た男性が僕たちの席に近づいてきて、ご一緒してもいいかと言ってきた。勿論いいですよと僕たちは同時に答えた。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記


その人はいいカメラを持っていた。それもそのはず、彼はプロのカメラマンなのであった。
「昔一人でヨーロッパを旅していた時何となくフィヨルドを見に行こうとベルゲンにやってきた。たまたまその滞在中は晴れていて、素晴らしい写真が撮れた。帰国後ある人を通じてある大手の出版社が晴れた空のベルゲンの写真を探しているのを聞いて、自分の持っている写真を見せたら、それが百科事典に採用されて、多額な報酬をもらったんだよ。それがきっかけでプロのカメラマンになったんだよ」
そんな楽しい話を聞きながら時を過ごしていると、途中の駅からまた一人日本の若者が乗ってきて僕らに加わった。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記




彼は旅慣れ、かなりすれている感じがあって、いろいろまくし立てたが、あまり面白くなく、しかも、途中靴を脱いだ時に放つ強烈な臭さに興ざめて僕たち3人黙っていると、流石に本人も気づいたらしく、別の車輌へ移動した。外の景色は雪の残った山肌が、増えてきた。明るい中寝たが、夏至なのにとても寒くリュックからジャンパーを出したが、それを着ても寒く感じられた。コンパートメントではない普通の座席はやはり乗客は少なく、あまり暖房の効かない列車はガタンゴトンと北海に向かって西進した。


(写真はこの辺りのものが見当たらず1978当時のブリュッセルです)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。



 部屋に戻っても僕たちの部屋にみんな集まりいろいろ語り合った。その中でS氏が語ったアメリカ留学時代の出来事、その時親しくなったガールフレンドが住むアムステルダムに行って久しぶりにその女性と会ってきたこと、と同時にその町のいかに魅力的であるかということ、また、ノルウェーの ベルゲンは是非訪れるべきだと進めてくれた。



僕の心の芯に火がつき出した。俄然闘志が湧いてきた。極めつけは情熱の国スペインと神々のいるイタリア!何としても行くべきだと説かれ、よーし、こうなったらどこでも行ってやるぞという闘志が腹の底から湧いてきた。僕は旅行中何人かの人から影響を受けたが、S氏はその最上位にくる。東京出身の二人とベルゲンに一緒に行こうと言い合って、解散した。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



翌日、S氏は北極圏へ向かって単独発って行った。残った僕たち3人はヘルシンキに戻ることにした。荷物を預け、 シベリウスのモニュメントやヘルシンキオリンピックの会場後を見て回った。時々出会うフィンランドの若者が「ヨコハマ、コーベ、グッド」と言って自分は船乗りで、そこへ行ったことがあると自慢げに話しかけてきた。その割にアルコールを昼から飲んでいて、何となく世捨人のように生きる意欲を失っているように見えた。日本はいい、それに対して、フィンランドは・・・・とボヤいているのであった。


ストックホルムに戻って、ベルゲン目指してとりあえずオスロへ行こうと思っていたら、東京の二人が悪いが僕たちはコペンハーゲンに戻ると突然言い出した。ええ?!何故?と少し驚いたが、仕方がない。しかし、僕はあくまでベルゲンへ行くと言って、そこで別れた。
良い旅をとお互い声を掛け合って!


(写真は1978 アムステルダム、ダム広場)




にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします

↑こちらにも登録してみました。



 2時間程北極圏に向かって北上すると、タンペレに着いた。駅から西の方向へバス1駅分位ドンドン歩いた。やたらトヨタとか日本車が目立った。僕以外の3人はちゃんとした旅行カバン(スーツケース)なのでコロコロ引っ張るのが大変だ。やっと目的のホテルに到着。幸運にも部屋は空いていた。二人部屋を二つ取って、自然と僕はS氏と同部屋になった。



そのホテルの1階で腹ごしらえして、お待ちかねのフィンランド式本格派サウナへ直行。と言っても、隣接のビル内にその設備が整っている。実はサウナを出ると立派な25メートルプールがどんと待ち構えている。

フロントでまたもや海水パンツのリース代込みの入場料を支払い、サウナへ直行。ここのサウナは丸裸で入ることになっていた!

聞くところによると、本来湖のそばに設置されるサウナはそうらしいね。裸で熱せられた身体をドボンと冷たい水に沈めるのが基本らしい。



パリ・マドリッド10日間家族旅行記



サウナの中はシリヤラインのそれとは違って広くて立派だ。十分汗をかいて、海パンはいてプールに飛び込んだ!
もう超最高!今もあの快感は忘れられない。

小さな飛び込み台もある。少年に戻って長い間遊んだ。

サウナ館を出て少し辺りを歩き、ホテルに戻って、みんな休憩した。僕は爆睡した。



起きるとまだ明るいが夕飯時なので、またもや同じ1階のレストランでみんなで食事した。ちょうど1978年のワールドカップが始まっていて、テレビではハンガリーとどこかが戦っていた。「フィンランドの人はハンガリーを応援するんですよ。フィン人はハンガリーから来たので」とS氏。

「ハンガリー人の先祖はアジア人のマジャール人ですよね」と世界史が好きな僕。「そう、そう。ですからフィンランドとハンガリーはパスポートなしで行き来できるんですよ」とS氏。みんななるほどと痛く納得した。


(写真はこの辺りのが見当たらないのでベルギー、ブリュッセルの小便小僧です)



にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村
↑ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします