ー魂にふれたことがある。
錯覚だったのかもしれない。


3月11日を前に
図書館レンタル読書
個人的メモ。
・・・
◆病者、被災者と
支える者について。

病む者に
元気になってと声をかけることは残酷。
元気になりたいのは病者であり、
困難を知り抜いているのも本人。

「健康」な人間が、
病者に「元気になって」という。
元気になることが
関係を結び直す条件だと聞こえる。
現実世界に戻ってくるには
「元気」になるしかないと
暴力的に伝えている。

見舞いに行って、
どうして病者を
励まさねばならないのか。
被災者を鼓舞するところから
始めなければならないのか。
話さなければと
思い込んでいるのは見舞う者。
励まさねばならないと
思い込んでいるのは
自分を「支援者」と誤認している者。

苦しむ者は、多く与える者。
支える者は、恩恵を受ける者。

持てる者が与え、困窮する者が受ける、
それは表面上のこと。

被災地の外に暮らす者が
何ができるかを模索するだけでなく
被災者に何を与えられているかを
真剣に考えねばならない。

ふれるだけで十分である。
ふれ得ないなら、ただ思うだけで、
何の不足もない。

黙って横にいることは
非力な自分を痛感する
忍耐を要し、苦痛なこと。

彼らが望むのは、
日々新しく協同の関係を結ぶこと。

・・・
◆死者と生者について。

もっとも苛烈な試練に遭遇したとき
そばにいて欲しいと願う人はいない。
なぜなら、その人を喪うことが、
その試練にほかならない。

だが、
死者は悲しむ生者に寄り添っている。

死者はずっとあなたを思っている。
死者は随伴者である。
死者は耐えがたい孤独を
共に耐え抜こうとする。

誰も自分の悲しみを理解しない、
そう思ったとき、
あなたの傍にいて、共に悲しみ、
涙するのは死者である。

妻を喪い、悲しみは今も癒えない。
死者もまた
悲しみのうち生者を感じている。
非愛しとは、
こうした二者の間に生まれる
協同の営み。