タイトル見ると重そうな…
でも死って誰にでもくるし
身近に存在してるものでもあるかもしれない
今日はそんなことを最近"愛"について
語っていたメンバーで話していた
死を語れるほどの力量は私にはまだなく
死を意識して生きてるかと言われると
めちゃくちゃは意識してないかも…
でも家族に対しては
自分でも気づいてないところで
意識しているなぁと感じた
例えば
今朝は夫の出社が早かった
私はまだ寝ていた
「行ってくるね」と声をかけられ
その場で「いってらっしゃい」とは言ったけど
「ちゃんと顔を見て言ったほうがいいな」
と感じたので、玄関まで行って見送った
これって無意識だけど
"この人の顔を見られるのは最後かもしれない"
という意識が働いたからの行動だと思う
その中には"死"というものを
どこかで意識しているのかもしれない
死と考えると暗く聞こえるかもしれないけど
"その人との時間を悔いなく過ごす"
私は家族との時間を特にそう感じている
これが死を意識していることに繋がるのかも。
身近な相手ほど
感謝や気持ちを伝えてないことって
たくさんある
でもいつ、それが伝えられなくなるのか
誰もわからない
これからはもっと家族に
自分の気持ちを素直に伝えていきたいな
「おはよう」から「おやすみ」が言えることの
幸せを感じて生きていきたいですね♡
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