【第7回選抜総選挙】誇示するオンリーワン | とある九州のAKB48ファン~神推しは小嶋陽菜~

とある九州のAKB48ファン~神推しは小嶋陽菜~

秋葉原から約900km離れた九州のとある地より。立場は在宅。されど、思いの丈なら負けない!

今や、その活躍ぶりは説明不要と言える。
そもそもだが、もうAKB48という肩書は背負っていない。
背負っているのはHKT48という肩書のみ。
それでも、AKB48のシングルの「選抜」常連であり、
HKT48では劇場支配人なる肩書も持つ。

個人としての活動も実に幅広く、
ドラマで主演もしていれば、バラエティでの冠番組も持つ。
ワイドショー番組のコメンテーターもすれば、
あらゆる業種のCMにも起用されている。
ついには、個人名義で単行本まで出してしまった。
それらのすべてが「アイドル」らしい活動なのかといえば、
決してそういうわけではない。
しかし今や、「アイドル」という概念はすでに超越し、
1人の「スター」として成立してしまっているともいえる。

そんな活躍の引き金になったといえるのは、
おそらく、あの衝撃的な出来事だったのであろう。
今でも批判が止まない大事ではあるのだが、
あの一件こそが、すべての流れをガラッと変え、
1人の怪物を生み出したと言っても差支えないはずだ。




sashiko1

「指原」という珍しい名字は、大分・豊後が起源と言われている。
この名字でこの世に生まれてきた時点で、
すでに指原莉乃は大分を背負う存在として、
その使命を託されていたのかもしれないし、
それまで芸能界にいなかった名字で生まれてきたことは、
ある意味で「持っている」ということなのかもしれない。

小学生から中学生にかけては「ハロプロ」に熱中していた。
いわば、生粋の「アイドルヲタク」である。
学校では決して目立つ存在ではなかったものの、
「ハロヲタ」としては九州で名が知られる存在となり、
その当時、同じくかなりの「ハロヲタ」であった柏木由紀とは、
ともにAKB48となる前から交流があったのだという。

当時から自分が可愛いとは思っていなかったものの、
モーニング娘。のメンバーがテレビでイジられているのを見て、
「アイドルはキャラも大事だ」ということを悟り、
いつしか「アイドル」への道を志すようになる。
すでにこの頃から、イジられることは意識していたようだ。



柏木由紀のAKB48加入から遅れること約1年、
指原もAKB48メンバーとなり、大分から上京する。
東京での家が決まるまでの間は、
北原里英や大家志津香といった他の「地方組」とともに、
一つ屋根の下での共同生活を行っていた。

加入当初は、同期の中ではそれなりに扱いもよく、
正規メンバーへの昇格も、シングルの「選抜」入りも、
割と早い段階で経験することとなる。
しかし、今ほどの存在感はそこにはなく、
あくまでも「選抜」の1人という感じに過ぎなかった。

初めて経験した選抜総選挙では、
同期の北原が13位、宮崎美穂が18位で「選抜」入りする中、
27位と「選抜」入りという結果を残せず、
その後、しばらく「選抜」から遠ざかることになる。
それでも、何かに事つけて、指原には目立つ機会があった。
番組の企画でただ1人バンジージャンプが飛べず、
いつしか「ヘタレ」という称号が与えられたかと思えば、
苦手だった水泳に挑戦したときは、
泳げはしたものの、なぜか挑戦する前から号泣し、
泣き虫というキャラまで足されることになった。



たとえ表立った活動はできずとも、
常に何かを呼び続ける、その指原のスター性は、
ついに、あらゆる大人たちを動かしていくことになる。
まず、その手始めとして、2010年3月に、
前田敦子や大島優子も所属していた、
大手芸能事務所・太田プロへと移籍する。
それは、指原の強力な後ろ盾として十分すぎるほどであった。
その翌月には、公式ブログをスタートさせ、
その文才で、世間からの注目も集め始める。
そして、第2回選抜総選挙で19位まで順位を上げ、
当時の「選抜」圏内へと飛び込んだことで、
いよいよ指原は、運営の推されコースに乗ることとなった。

さらに増えていく仕事、それにともない増していく注目度。
第3回選抜総選挙でも9位まで順位を上げ、
目に見える形での結果も示した。
2012年4月には、地元・大分市の観光大使にも任命される。
同年に行われた第4回選抜総選挙では4位にまで上り詰めた。
そのシンデレラストーリーは、まだまだ続くものと思われた。
そんな矢先に起こったのが、あの一大事件であった。



それまでも、自身の過去について、
何かと取り上げられていた「週刊文春」から、
とどめを刺すかのような記事が出てきた。
そういった記事に対しては、何かと沈黙を貫いてきた運営も、
さすがに見逃せない事態へと発展した。
それでも、運営はどうにか落としどころを模索し、
出した結論が、AKB48からの追放、
そして、HKT48への完全移籍であった。

当時のHKT48は発足してまだ間もない頃であり、
1期生が徐々にその地盤を作り上げていた最中であった。
そんなHKT48に突如として送り込まれたことに対し、
当初は否の方が強い賛否両論が繰り広げられていた。
当時のHKT48のファンたちも、指原が来ることに対して、
そこまで歓迎のムードがあったわけではなかった。

それまでの押せ押せムードから一転し、
突如として、腫物のような扱いへと変わっていった指原に、
シンデレラストーリーの終焉を予感した者も少なくなかった。
しかし、結果として、この出来事こそが、
指原自身のさらなるステップアップ、
そして、HKT48の急成長へとつながっていく、
壮大な「逆転力」ストーリーのスタートになったのであった。



まず、自らの注目度を最大限に利用する形で、
HKT48やそのメンバーに注目を集められるように努めていった。
48グループとしての活動の何たるかをわかっていなかった、
当時のHKT48メンバーたちに、しっかりとイロハを叩き込んだ。
そして何より、自らの失態をイジられることを拒まず、
自ずと矢面に立つ活動を続けていったのである。
当然、それに対する批判が止むこともなかったものの、
それでも、前に進むことを指原は選んだわけであり、
運営もまた、それに対して最大限のバックアップを続けた。
いつの日か、すべてがプラスに変わることを信じて。

HKT48移籍後、初めて迎えた選抜総選挙。
世間の大半が想定していなかった1位の座に、
指原は、選抜総選挙史上初となるAKB48の5期生として、
そして、HKT48所属メンバーとして就いた。
HKT48自体も、前回の1人から一気に議席数を伸ばし、
自身も含めた6人のメンバーがランクインを果たした。
それはまさに、指原莉乃が「アイドル」の概念をも超越し、
さらなる存在へと昇華した瞬間でもあった。

AKB48の「センター」として初めて与えられた曲、
「恋するフォーチュンクッキー」のMV撮影の地として、
指原に用意されたのは、自身の再起の原点・福岡。
自らを迎え入れ、支えてくれた地への最大の恩返しだった。



前回の第6回選抜総選挙では、
史上初の2連覇への期待も根強かったものの、
なおも残るアンチ層の後押しもあったのか、
渡辺麻友に1位の座はさらわれる形となった。
それでも、HKT48の中からは、前回の倍以上となる、
13人(「兼任」除く)ものメンバーがランクインを果たしている。
HKT48を、他のグループにも決して負けない、
戦える集団へと押し上げたその功績は、
決して色褪せることなどないはずである。



「恋するフォーチュンクッキー」のMV撮影から約2年。
第7回選抜総選挙の開票イベントが、
初めてヤフオク!ドームの地で行われる。
指原としてみれば、まさに凱旋と言ってもいい。
惜しむらくは、前回1位として凱旋できなかったことであるが、
それでも、速報発表では3年連続1位となり、
最も1位に近い立場として、運命の地へと乗り込むことになる。

様々な人たちの支えと応援により、
3年前のあの悪夢を見事に乗り越えて見せ、
今や、唯一無二のブランド力まで構築して見せた指原莉乃。
年齢のことを言えば、そろそろ卒業もありそうなものだが、
それでも、今の指原にはそんな思いは微塵もないはずだ。
何しろ、HKT48劇場支配人の立場として、
まだまだ出来ていないことは山ほどあるはずなのであり、
引き続き、自分が引っ張っていかなければという思いこそが、
今の指原をきっと支配しているはずなのであるから。



たとえ自分自身の順位が何位に終わろうと、
指原はきっと、何かしらのインパクトを残してくれることだろう。
そして、HKT48のさらなる可能性も、きっと示してくれるはずだ。
日々磨きがかかる「指原クオリティ」は、
ヤフオク!ドームの地で、再び覚醒の時を迎える。