離婚して約3年半になりますが、未だに続いている子供と元夫との面会交流の取り決めの調停。

 

調停が続きながらも、元夫の面会交流時での子供たちへの不適切言動が発覚して、一旦面会交流をストップさせたのがちょうど昨年の今頃でした。

 

 

その後、言動を改めるので以前のように宿泊付面会交流に戻してほしい。という元夫の主張と、

 

もう宿泊付面会交流はしない。日帰りの面会交流しか認めない。という私の主張との間で折り合い点が見つからず、

 

調停では家裁調査官も加わって話し合いが行われてきました。

 

 

 

 

 

 

その一環として、家裁調査官が親である私と元夫の調査、子供たちの意向調査を行うことになりました。

 

昨年の秋頃の話です。

 

内容は、

 

①私、元夫からそれぞれに話を聞く

 

②私宅への家庭訪問(子供たちがいる時間に)

 

③調査官と子供たちが直接話をする

 

この3つが行われました。

 

調査結果は調査官が報告書としてまとめ、私・元夫・双方の弁護士さんの元に届きました。

 

 

 

 

 

 

この報告書を読んで、改めて元夫と言う人の特性を見せつけられ、怒りやら悲しみやら辛さやらに打ちひしがれました。

 

報告書が上がってきたのがちょうど昨年のクリスマスの頃で、その時期は仕事が超多忙で、でもその忙しさがあったからこそ、なんとか打ちひしがれっぱなしにならずに済んだと思っています。

 

もしちょっとでも暇な時間があったら、気が狂っていたかもしれない…と思うほど、私には辛らつな内容でした。

 

報告書を読んでから2ヶ月弱の時間が幾分私の怒りを和らげてくれましたが、それでも読むと不快な思いになります。

 

(でもブログで書いてみよう、と思えるまでになったので、だいぶ冷静になれるようになったと思います。)

 

私がどうしても許せなくて怒り狂った文章は以下です。

 

 

 

 

父の主張 父子関係について

 

  ~一部省略~

 

(長男が4~5歳)当時、母は、家事ばかりをして長男と十分に関わることができていなかったため、父としては、なるべく長男に関わってあげたいと思っていた。

 

  ~一部省略~

 

同居当時、母が長男らとスキンシップを取ることが不十分だと感じたことがあったことから、父は、面会交流が終わるときには、必ず長男らをハグするようにしている。

 

  ~以下省略~

 

 

 

 

母は家事ばかりをして長男と十分にかかわることができていなかった。だと???

 

 

大量に夕食を作ることを要求し、少しでも量が減ったら文句を言い、メニューの種類も、一つのメニューに対する量も、とにかく多く作るように要求していたのはどこの誰だ?

 

元夫よ、お前だろうが!!!

 

(口が悪いです。悪しからず…。)

 

当時はパート勤務で夕方頃に帰ってきて今より多少は時間に余裕があったとはいえ、それでも、元夫の要求通りに作ろうとすると調理時間だけで1時間半近くかかっていたと思う。

 

何とか1時間以内に…と思ってはいても、食材を切って、焼いたり煮たりして、合間合間で調理器具類を洗って、次のメニューのものを作って、その途中途中で子供たちの要求も入り、それでもご飯だけは作らないと!と必死だったあの頃。

 

どうにかこうにか元夫が帰ってくるまでに何とか夕食が作り終え、帰ってきたらすぐに皆で夕食時間、

 

次はお風呂や子供の寝かしつけの時間があるからと、夕食を味わうというより喉に流し込むようにご飯を食べ、休憩する間もなくお風呂の準備や台所周辺の後片付けをしていた私。

 

朝は朝で、私がバタバタと家事をして、子供たちを起こしたり食べさせたりしている中で出勤していた元夫。

 

確かに元夫が”見えていた”元妻である私は、家事ばっかりかもしれないね。

 

 

だけど、食事作りの中には子供たちの食事作りも含まれているわけで、それは育児に該当しないのだろうか?

 

夕食→お風呂→寝かしつけ、と時間を逆算しながら生活を回すことは育児に該当しないのだろうか?

 

家事の合間で子供たちの要求に応じたり、子供たちを話したりするのは育児に該当しないのだろうか?

 

元夫の育児の定義って何なの??

 

 

 

 

 

 

スキンシップが不十分だと感じていた。だと???

 

 

子供たちが赤ちゃんの頃、泣いたら駆け寄って抱っこしたり、要求を想像して話しかけながら対応していたのは誰?

 

おんぶしながら色んな家事をこなしていたのは誰?

 

買い物に行けば抱っこ紐で抱っこしながら買い物をしていたのは誰?

 

子供たちを毎日お風呂に入れていたのは誰?

 

子供と手を繋いで歩き、危ないことがあれば全力で守り、そんなことをしていたのは誰?

 

誰でもない、私なんだよ!!

 

上記に書いたことは”スキンシップ”に該当するんじゃないの?

 

べったりと肌と肌を触れ合うだけがスキンシップなの?

 

面会交流が終わる時に子供たちをハグって、いきなりどうした?!

 

同居当時、元夫が子供たちをハグはおろか、抱っこすら自らすることなんかほとんどなかったくせに!

 

(私が子供を抱っこしたら、元夫が横取りして抱っこすることは多々あったけれど。

 

元夫は子供が何で泣いてるがが想像できないから、私が抱っこして泣き止んだら”抱っこしてほしいんだ”と理解して、よく横取りしてました。でもそうすると子供はまた泣くんだよね。そりゃそうだよね。全然子供の気持ちわかってないもん。)

 

元夫のスキンシップの定義って何なの??

 

 

 

 

 

 

 

私がこの報告書を読んですぐに思ったのは、

 

「誰のおかげで仕事できたと思ってんの?」

 

でした。

 

(見方によれば、モラハラ発言かもしれませんが。)

 

家事は決められた”洗濯物”だけして、育児もほとんとせず、頼れる実家が近くにあったわけでもなく、それでも元夫は毎日出勤し、残業もこなして、家に帰ってきたら要求通りのご飯が用意されていて、マイペースに食べることができ、見たいTVも見ることができ、寝たい時間に寝ることができて、帰りたくなったら週末に実家に帰って泊ってくることができて、

 

それは、やはり私のお陰なんだよ。

 

毎日仕事をすることも、残業をしてくることも、とても疲れることは私も理解しているつもりです。

 

でも残業だって、子供を見てくれている”誰か”がいるからできることなんだよ。

 

残業が発生するような勤務形態が悪い、と元夫はよく愚痴っていたけれど、それも確かかもしれないけれど、子供のお迎え時間があれば、残業すらできないことだって多々あるんだよ。

 

仕事として社会の中に入れば求められる責任もあり、それが時に重い時だってあることも理解しているつもりです。

 

正職員で勤務するってやっぱりそれなりの責務があって当然で、それと引き換えにお給料をもらっている。

 

だからこそ、私が元夫へ家事・育児をそんなに求めなかったのは事実としてあります。

 

一時期は求めていたこともあるけれど、求めても元夫は不機嫌になるし、言った時はやるけど全く継続しない、というのを何度も経験したので、求めることを諦めました。

 

ある時から、元夫には”馴染んだ場所(=実家)”が必要で、それがなければ元夫は精神的にしんどくなることがわかったので、定期的に実家に帰ることを咎めることをしませんでした。

 

(ぶっちゃけ、元夫が実家に帰って不在になる方が私も気が楽だったというのもあります。)

 

そこに甘え続け、横柄な態度を取り続けたのは元夫自身ではないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

怒りは上記に書いたことがメインで出てきたものだけど、悲しみや辛さと言うのはまた別のところにあります。

 

元夫は、本気で報告書に書いてあったように思っていたからこそ調査官に話したのだと思います。

 

元夫が自分の見えていないところで元妻がどんな動きをしていたかなんて本当に想像できないし、仮に想像できたとしても自分事として考えることができないから、「それが何?」なわけで、

 

また、元夫の思う”育児””スキンシップ”に私がマッチしていなかったからこそ、本気で”家事ばかりしていた””スキンシップが不十分だった”と思うわけで、それ以外の考え方・捉え方があるなんて思いもしない。

 

自分の価値観が最優先なわけです。

 

それ以外の価値観などないに等しい。

 

元夫にASDという特性がある以上、それは仕方のないことと頭ではわかっても、これまで私がやってきたことがまるで「無」になっていることが本当に悲しく、辛く感じます。

 

本当に辛い。

 

その一言に尽きます。

 

今更元夫に、わかって!とか理解して!とか言うつもりはありません。

 

(私も人間なので承認欲求もあり、そりゃあ、わかってくれたら嬉しいけれど、本当に元夫には無理な話です。)

 

でもやっぱり「無」ほど辛いものはない。

 

こうした感情の積み重ねこそが「カサンドラ」なんだと思います。

 

また、ASDの特性やカサンドラについて、学べば学ぶほど「あれは特性だったのか」と知ることができて、その時に感じた感情を緩和させることはできても「無かったこと」にはできない辛さ。

 

これも本当に辛く思います。

 

 

 

 

 

感じた辛さや怒りをどう発散させ、自分の中で昇華させていくのか?

 

改めて、自問自答することとなった報告書です。

 

 

 

 

 

 

ちなみに昇華させる方法は私の中で見つかっていません。

 

でも、幸いにして今現在の私には辛い思いを吐露したら聞いてくれる人がいる。

 

聞いてくれる人は一人じゃなく、沢山いる。

 

寄り添ってくれる人がいる。

 

もうそれだけで、本当に、本っ当~にありがたいことです。

 

このブログだってそう。

 

吐露させてもらえる場所があるということ。

 

本当にありがたいです。

 

 

 

ということで、ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

そしていつもいいね!を下さる方、いつもありがとうございます。