前回、こんな記事を書きました。
ここに書いた数ヶ月関わったASD疑いの方と元夫とで、共通点がありました。
それが、今回のタイトルです。
例えば電車の中。
混んできて、皆が乗れるように電車の奥に進むようなことがあると思います。
または、乗ってきた人が電車の奥へ進みたくて、その人に気付いてその人が奥に進みやすいように少し避けたりすることもあるかと思います。
街の中で歩いていて、狭い道路などで急いでいる人がいたら、通りやすく避けたりすることもあるかと思います。
これらは誰しも気付けたり気付けなかったりするし、気付いても避けない人もいます。
また避ける(もしくは避けてもらう)のが当たり前ではなく、通りたい人が通りたい場所にいる人に声を掛けて通ればいいだけの話ではあります。
そういった私の考えがある前提で、あえて今日の記事を書きますが、
こういったシチュエーションで、冒頭に出した二人は、避けることをしない人(できない人)でした。
何故なら、そういった人に気付けないからです。
元夫と一緒にいた時は、私は元夫が気付けないということを理解できていませんでした。
人が近づいてきているのに、しかも急いでそうなのに、何で避けないのか?と思っていました。
「空気読めよ!!」と思っていました。
私の職場は狭いので、同僚とすれ違う時は避け合ったりしなければならない場面が日常的に出てきます。
お互い仕事に集中していても何となく気配を察して避けたりもしますが、
時に集中し過ぎて声を掛けられて気付くことももちろんあります。
その職場で、前回の記事に書いた方は察して避けることはほとんどなく、これまたその振る舞いが元夫そっくりでした。
「後ろ通るね。」と声を掛ければ気付いて避けてくれるので仕事に大きな支障は出ませんが、
物事がスムーズに進みにくい側面はありました。
他の人だと阿吽の呼吸でいけるところが、この方とはいかない。
何でだろうなぁ?何が違うのかなぁ?と観察していると、
本当にこの方が「人が近づいてきても気付いていない」ことがわかりました。
その人の目線や動きなどを注意深く見てると、意外なほどに「気付いていないこと」がわかるものです。
この方の言動を通じて、最近になってようやく、
元夫が人が通りたそうにしていても避けなかった(避けれなかった)理由がわかりました。
「気付いていなかったら避けようもないよね。」
という何ともシンプルな理由でした。
その夫に私は「空気を読めよ!!」だなんて、なんて無理難題を突き詰めていたのでしょう…。
日常の些細なことですが、こういった些細な事でも「空気の読めなささ」というのは出てくるんだなぁ、と、
改めてASDグレーソーンの空気の読めない一つの事例に触れた気がします。
カサンドラになりやすい人というのは、こういった場面で、
「避けるのが当たり前でしょ!」ととかく思いがちです。(全員とは言いません。)
「空気を読めよ!」とも思いがちです。(全員とは言いません。)
だけど、気付けないことに対して何かアクションを求めることほど無茶なことはない気がします。
そんな無茶なことをするくらいなら、気付けることの何かで対応することの方がずっとずっと楽です。
「~~べき」「~~しなければならない」思考を手放して色んな選択肢を持てるようになることは、
カサンドラからの脱却に必要不可欠な事のように思います。
※余談ですが。
私はカサンドラ脱却をしてもなお、離婚の道を選びました。
私の性格上、気付く方が色々やっていくことをやりたくなかったからです。
それをし続けることで私が私でいれない感覚がありました。
元夫が気付いてやってくれること、助けてくれることももちろんありましたが、
私が気付いてやることの方が、客観的に見ても第三者から見ても多かった事実があります。
夫婦である以上、どうしてもギブ&テイクの関係は譲れませんでした。
色んな「~~べき」「~~しなければならない」思考を手放しても、自分の核になる価値観の部分まで手放す必要はなく、
私にとっての核になる価値観は「夫婦は助け合う」なので、これは今も大切にしている価値観です。
今後誰かと再婚するかどうかはわかりませんが、そういう関係を築けないのであれば、私は再婚はしないと思います。
元夫との関わりからASDのことを色々と知るようになり学ぶようになった私ですが、
離婚後もこうして、今まで意味不明で理解できなかった事柄がASDの特性だったのか!と気付かされる今日この頃。
離婚後でもこうして腑に落ちることがあるというのは当時の傷が癒されることに繋がっていて、
毎回のようにブログで書いていますが、知識を得ることの大切さをまた改めて実感しています。