おはこんばんちは★―_―◆














今日は天気がとても良かったので、家族で花見にでかけることにした。





いい機会なので、予てからい訪れてみたかった奈良県の桜井市にある高名な長谷寺へいってみることに。



それからついでに長谷寺の近くにある「又兵衛桜」も見にいきました。











又兵衛桜とは、大阪の陣などで活躍した戦国武将後藤又兵衛の名に由来する桜の古木。

樹齢は三百年を超えるという。




ただ、残念なことに、今日の時点でこの桜は見頃どころか開花すらしていない。

訪れる前からまだ開花していないということは分かっていたのだが、後藤又兵衛の名前に惹きつけられたことと、この桜を写真でみたときのたたずまいがなんとも言えず素晴らしかったので、ついつい足を運んでみたくなってしまった。





今日は雲ひとつない快晴で春の陽気が清々しかったが、山手にいくとまだまだ上着は手放せなかった。
又兵衛桜は、やや肌寒い春風の中で開花間近の蕾を育んでいたが、その様子がいかにも母性的で、力強さと美しさをたたえていた。満開の姿はお目にかかれなかったが、その美しさは十分感じることができたように思う。









$C.W.Nicolsのブログ



$C.W.Nicolsのブログ













この巨木の枝々が花びらで埋めつくされる姿は、おそらく身震いするような美しさであろう。



























つづいて長谷寺。



長谷寺は、満開とは言わずともまずまず七分咲き程度には咲いていた。

流石に「花の御寺」という美称を与えられるだけあって境内は無数の花で彩られている。





生息している桜も、長谷寺に咲いている桜はそのあたりに咲いている桜とは美しさの質が違っているかのように思えてきて、なんとも名状しがたい気品を感じさせてくれる。






$C.W.Nicolsのブログ






$C.W.Nicolsのブログ






$C.W.Nicolsのブログ

























<おまけ・司馬遼太郎先生名文集>

ステファン・ツヴァイクは、運命ということばを愛し、その一瞬の火花にかぎりない文学的な、そして歴史的な感動をおぼえ、その一点にツヴァイクの真実への把握力を集中し、それのみを主題にしたいくつかの作品を書いた。少年のころのこの稿の筆者はそのツヴァイクの作品に感動し、できれば自分も運命の観察者のひとりになりたいとおもった。

                                  (花神 より)




おはこんばんちは★―_―◆
















「世界は言葉でできている」っていうテレビ番組御存知?





なかなかイイ番組ですよ。





近頃はおもしろいテレビ番組が本当に少ないように思います。
















というよりもむしろ、テレビのクオリティーは変わってないけど、

自分のテレビを見る目が変わっているのかもしれないです。


いや、おそらくそうだと思います。











妙に、年を重ねていることを実感します。













あらゆることについて考える時間が増えたような気がします。

























<おまけ・司馬遼太郎先生名文集>



元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。

なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。

うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、

丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。


                                 (花神 より)





































おはこんばんちは★―_―◆













しばちゃん、ご出産おめでとうございます。












赤ちゃん、いらっしゃい。

















いやぁ、やっぱり改めて何度でも思うことですが、人間が生まれるって、

すごいというか、神秘的というか、


筆舌には尽くしがたいですが、とりあえず荘厳なものですね。間違いなく。















いやぁ、


ため息がでるね。













非常によろこばしいです。

















C.W.Nicolsのブログ














<おまけ・司馬遼太郎先生名文集>


自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

                        (二十一世紀に生きる君たちへ より)