ローレン・モッシャーの悲劇と生物学的精神医学の勝利
下記の記事は2015年05月20日(水)掲載の
ローレン・モッシャーの悲劇 (生物学的精神医学の勝利)に修正加筆したものです。
前回、「石油会社」に雇われた学者たちに攻撃され、社会的迫害を受け、学会を追放された「クレア・パターソン」の話を書いた。
これと良く似たエピソードが推薦図書として何度も紹介している「心の病の流行と精神科治療薬の真実」(R.ウィタカー著)
の中にも記述されている。
以下はその抜粋です。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
▼ NIMH(アメリカ国立精神衛生研究所)(1)は、1970年代に、統合失調症患者を薬なしで治療できるかどうかを再検討する三つの研究に資金提供をした。(第6章 露呈した矛盾 147P)
▼三つ目の研究は、NIMHの統合失調症研究を統括する「ローレン・モッシャー」が実施した。
当時のアメリカにおける統合失調症の第一人者だったとはいえ、彼の病気に対する考え方は同僚の多くとは異なるものだった。
同僚らは、統合失調症は「壊れた脳」と考えていたのに対し、
モッシャーは、精神病は情緒的な内面のトラウマへの反応として生じるもので、独自の対処機能とも考えられるとみなしていた。
そのため彼は、患者が幻覚や妄想に立ち向かい、統合失調症発作を乗り越えて正気を取り戻せる可能性があると信じていた。
もしそうだとすれば、精神病新規症例の患者を保護施設に住まわせ、他者への強い共感を示し奇妙な行動に怯えないスタッフを配置すれば、
多くの患者は、たとえ抗精神病薬を使わなくても回復するだろうとモッシャーは考えた。(第6章 露呈した矛盾 149P)
▼ DSM-Ⅲではそれぞれ明確な特徴があるとされる265種類の障害が特定された。この500ページに及ぶ大冊に寄稿した精神科医は100人以上に及び、アメリカの精神医学の知恵の集大成であることを示していた。
― 中略 ―
だが当時から批判があったように、なぜこのマニュアルを偉大な科学的業績と見なすべきなのかは理解に苦しむ、診断の再編成を導くような科学的発見があったわけではない。
精神障害の生物学的根拠はいまだに解明されていないし、DSM-Ⅲの執筆者たちですら、そのことは認めていたのだ。
ほとんどの診断は「臨床経過、転帰、家族歴、治療反応などの重要な関連要因のデータによって、充分に検証されているわけではない」
― 中略 ―
アメリカ心理学協会会長のセオドア・ブラウは、DSM-Ⅲは「科学的根拠のある分類システムというよりAPA(アメリカ精神医学会)(2)の政策方針書」に近いと言った。
(第13章 イデオロギーの台頭 402P)
▼ DSM-Ⅲの刊行によって、晴れて精神科医は医師の証である白衣をまとったのだ。フロイト派(3)は破れ、神経症の概念はお払い箱になり、精神医学を生業とする物は皆、医学モデルを受け入れることが期待された。
― 中略 ―
テネシー大学の精神科医ベン・ハーステンは、医学モデルとDSM-Ⅲは「結束を固め……攻撃を阻み、内なる敵を一掃するために」使用されたと1981年に述べている。
実際、敗れたのはフロイト派だけではなかった。
ローレン・モッシャーをはじめとする社会精神科医(4)たちも完膚なきまで叩き潰され、放逐された。
モッシャーが1971年にソリティア・プロジェクトを開始すると、それが精神障害の「医学モデル」倫理の脅威になりうるのを誰もが察知した。
このプロジェクトでは、統合失調症と診断された患者を病院ではなく普通の家庭で治療し、スタッフも専門家ではなく、薬も投与しない。病院で薬物治療を受けた患者と転帰を比較することになっているが、もしソリティアの患者の転帰の方が良好だったら、精神医学とその治療法について何を語ることになるのか。モッシャーがプロジェクトを提案した当初から、アメリカ精神医学界の指導者たちはあの手この手でプロジェクトを挫折させようとした。
当時のモッシャーはNIMHの統合失調症センターの所長だったが、ソリティアの研究資金については、委託研究プロジェクトを監督する助成金委員会の承認を得なくてはならなかった。
主な医大の精神科医が名を連ねるこの委員会は、モッシャーの希望した5年間70万ドルの予算を2年間15万ドルに削ったので、プロジェクトは最初から財政面で苦戦した。1970年代半ばになって患者の転帰が良いことが報告されるようになると、委員会は猛然と反撃した。
― 中略 ―
その後まもなく委員会はソリティアへの援助を打ち切り、モッシャーはNIMHの職を追われた。
だがその委員会でさえプロジェクトの最終評価では、不承不承ながら次のことを認めざるを得なかった。
「柔軟で、地域を基盤とし、薬を使用しない、非専門家スタッフによる居住肩の心理社会的プログラムは、従来型の地域精神保健プログラムと同程度の効果があることを、このプロジェクトは実証したと思われる。」
NIHMはその後二度とこの種の実験的研究を援助しなかった。
さらにモッシャーの追放は生物医学的モデルを支持しない者に未来はないということを、精神医学の世界に生きる全ての者に思いしらせたのである。
(第13章 イデオロギーの台頭 403P)
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
これがアメリカ精神医療において「生物学的精神医学派」が「フロイト派」や「社会精神医学派」を叩き潰し、放逐した経緯である。
このNIMH委員会が下したソリティア・プロジェクトへの援助を打ち切るという判断が日本に影響を与えたことは疑う余地はない。
現代の「精神科治療薬がもたらす悲劇」は1970年代の「生物学的精神医学派」の勝利が発端であったことをこのエピソードは物語っている。
テネシー大学のベン・ハーステンが述べた言葉に、当時の「生物学的精神医学派」の境遇を読み取ることができる。
「医学モデルとDSM-Ⅲは、結束を固め……攻撃を阻み、内なる敵を一掃するために使用された」
つまり、「フロイト派」や「社会精神医学派」という内なる敵を一掃するために、また「反精神医学」からの攻撃を阻むために「生物学的精神医学派」は結束を固める必要に迫られていた。
モッシャーの「ソリティア・プロジェクト」の成功を一番怖れたのは製薬会社であったことは明白である。
「薬なしでの治療」が一般化してしまえば、精神疾患において「製薬会社」のビジネスモデルは崩壊してしまう。
そのため主な医大の精神科医が名を連ねるこの委員会を意のままにし「あの手この手でプロジェクトを挫折」させたのであった。
地域を基盤とし、薬を使用しない、非専門家スタッフによる居住肩の心理社会的プログラムの成功例は海外、
特にヨーロッパに多く見ることができる。
日本においても極稀ではあるが「集団農作業」という、「太陽の光を浴びながら、自然の中で作業をする」複数の治療プログラムが存在する。
「仮説崩壊」した精神科治療薬を飲み続けるより、日々の活動量を増やし、太陽の光の下で一定の作業をすれば自ずと脳内物質のセロトニンは増える。そしてそれは副産物として健康的な身体作りにも繋がるのだろう。
1970年代の「生物学的精神医学派」が倫理観のある科学者として製薬会社との「利益相反」を断ち切り、「フロイト派」や「社会精神医学派」と検証可能な医学的議論を戦わせ「切磋琢磨」していれば、
現在の「精神医学」は全く違った形態を成していたと考えるのは、私の妄想なのだろうか…
nico
(1)NIMH(National Institutes of Mental Health)アメリカ国立精神衛生研究所
NIH(National Institutes of Health・アメリカ国立衛生研究所)の「精神衛生」の専門分野を扱う研究所。
NIHは、アメリカ合衆国の保健福祉省公衆衛生局の下にあり、1887年に設立された合衆国で最も古い医学研究の拠点機関。
(2)APA (American Psychiatric Association) アメリカ精神医学会
アメリカ合衆国における医学者、精神科医および精神科領域をも専門とする内科医師の学会。会員(会員数:約36,000名)はアメリカ、カナダを中心に世界各国に及ぶ。アメリカ精神医学会は数多くの専門誌を編集、刊行しているほか、DSMとして知られる「精神障害の診断と統計の手引き」を発行、50万部以上を出版。
(3)フロイト派
精神分析学は、ジークムント・フロイトによって創始された人間心理の理論と治療技法の体系を指す。広義には、フロイト以後の分派を含めた理論体系全体も指す。
(4)社会精神医学
社会精神医学は、疫学的手法や社会科学的手法を用いて、社会的文脈からこころの健康問題の予防、疾患の診断・治療・リハビリテーション、社会保障制度のあり方等の研究を学際的に行う精神医学の一分野。