自称イスラム国「ISIL」やシリア内戦など、「中東ニュース」が報じられない日はありません。
なぜ戦禍は治まらず、テロはなくならないのか… それは単純ではありません。
9.11の同時多発テロ後、2003年、当時のブッシュ大統領は「フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」と主張し、イラクを攻撃しました。これにより、フセイン政権は約1ヵ月で崩壊。拘束されたフセイン大統領は、イラク国内での裁判の結果、2006年12月に死刑となりました。
ある意味「箍(たが)がはずれた」状態のイラクは、その後「宗派間の対立」が激化しました。イラクでは人口の約6割をシーア派が占め、イスラム世界全体での多数派であるスンニ派は約2割と推測されます。(1)
イスラム教「スンニ派」と「シーア派」の対立などは、時折りニュース「解説」していますが、それ以外にも様々な要因が潜んでいます。
そのヒントとなる「キーワード」を探してみました。
Keyword-1
「アラブ」と「ペルシャ」
根深いイラク&サウジ(アラブ人・アラビア語・スンニ派) とイラン(ペルシャ人・ペルシャ語・シーア派)の対立 。(2)
Keyword-2
「クルド人(民族)」
自分たちの「国家」を持たない(持てない)最大の民族。人口は約3000万人と推測。(3)
Keyword-3
「サイクスピコ協定」
イギリス・ロシア・フランス間で結ばれた西アジア分割に関する秘密協定。この協定に基づき、現在の国境線の原形が生まれた。つまり大国の都合で線引きされた国境。 イギリス代表の「サイクス」さん、フランスの代表「ピコ」さん、あれほど真直ぐな「国境線」、おかしくないか?? (4)
Keyword-4
「オスマン帝国」
17世紀は「オスマントルコ」の勢力である意味「安定」していた。東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域。第1次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国は解体され、トルコ革命を経たのち、現在のトルコ共和国が樹立された。(5)
これらを少しでも理解してからニュースに接すれば、案外「目から鱗…」になるかもしれませんよ…
参考になれば幸いです。
nico
参 考
(1)フセイン政権崩壊10年
http://thepage.jp/detail/20131127-00000005-wordleaf
(2)「アラブ」と「ペルシャ」
中東を非難覚悟でザックと分けると、この地域にはイランのペルシャ人(ペルシャ語、シーア派)とイラク、サウジ、エジプト等のアラブ人、(アラビア語、スンニ派)の2つが暮らしています。
(3) クルド人(民族)
クルド人とは、トルコとイラク、イラン、シリアの国境地帯に跨って住む中東の先住民族で、人口は約3000万人と言われています。クルド人の間では、紀元前8世紀にイラン高原でメディア王国を建国したインドーヨーロッパ語族のメディア人が、自分たちの祖先だと伝えられています。しかしメディア王国は紀元前6世紀の半ばに、ペルシャ人によって滅ぼされ、以後クルド人はペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシア、そしてイギリスやフランスによる分割支配を受けてきました。現在、クルド人は世界最大の「独立した祖国を持たない民族」だと言われています。
クルド人&クルディスタンとは
http://www.geocities.jp/kuludojp/nyuumon/nyuumon.html
(4)サイクス=ピコ協定
第一次世界大戦中にイギリス・ロシア・フランス間で結ばれた西アジア分割に関する秘密協定。サイクスはイギリスの、ピコはフランスの代表。翌年、ロシアで革命が起こり脱落したので、英仏両代表の協定とされた。この協定に基づき、現在の国境線の原形が生まれたと云われている。
http://www.y-history.net/appendix/wh1501-053.html
(5)オスマン帝国
テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(やがてイスタンブルと通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域に及んだ。 第1次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国は解体され、トルコ革命を経たのち、現在のトルコ共和国が樹立された。
オスマン帝国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD