仏教、特に「大乗仏教」を難解な宗教にしているのは、「信仰の対象」がいろいろと存在するのが原因の一つだと思います。
「大乗仏教」では、本来成仏を求め如来に成ろうとする修行者のことを指した「菩薩」まで信仰しているのです。
菩薩(ぼさつ)、は仏教において、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことです。
菩薩は、修行中ではあるが「人々と共に歩み、教えに導く」ということで、庶民の信仰の対象となっていったという説が一般的です。
例えば「弥勒菩薩」。
弥勒(みろく)はインドの波羅奈(パラナシー)国に生まれ、お釈迦さまの弟子となり「未来仏」になる事が予言された人物とされています。
「弥勒」はお釈迦さまの次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、お釈迦さまの入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、お釈迦さまの説法とその救済にあずかれなかった人々を救うとされています。
56億7千万年後、果たして「人類」は存在しているのでしょうか・・・?
「菩薩」の身近なものでは「お地蔵さん」と「観音さま」ではないでしょうか・・・
「お地蔵さん」や「観音さま」は、正しくは「地蔵菩薩」(1)、「観音菩薩」(2)といいます。
「地蔵菩薩」は大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされます。
一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられ、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれています。
「観音菩薩」も、仏教の菩薩の一つであり、北伝仏教、特に日本や中国において古代より広く信仰の対象とされています。
「観世音菩薩」または「観自在菩薩」ともいい、一般的には「観音さま」とも呼ばれています。
また「弁財天」等の元々はヒンドゥー教の神々が、仏教に取り込まれ、ますます混乱を招いていると感じます。
四天王と呼ばれる仏教における、持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)と呼ばれる4人の守護神もいます。
特に毘沙門天(3)は仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神です。
また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方があるそうです。
大乗仏教における諸仏の尊称である「如来」(4)の存在も大乗仏教が複雑化している原因ではないかと感じています・・・
如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称の一つです。
「如」が真実、「来」が来たるの意で、「真実の世界」から来た者の意味です。
お念仏の「南無阿弥陀仏」で有名な「阿弥陀仏」(5)。
正しくは「阿弥陀如来(あみだにょらい)」であり、これもまた大乗仏教の如来の一つです。
弁才天(6)は、仏教の守護神の一つ。
ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名です。
本来、仏教の尊格であるが、日本では神道の神とも見なされ「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっています。仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることがあるそうです。
つまり・・・
大乗仏教では諸仏、諸神、諸菩薩をみな尊び、例えば「弥勒菩薩」を讃える「弥勒三部経」と称される「お経」まであるのです・・・
この状態を「無理矢理」キリスト教に例えれば・・・
キリストの弟子だったマルコ、マタイ、ルカ、パウロを信仰の対象とし
その頃の神々ゼウス、ポセイドン、アポロン、ヘルメスも一つの宗教の「尊格」としたら、
キリスト教はどうなっていたのでしょうか・・・
お釈迦さまは一度も「私を信仰しなさい」とはおっしゃっていません。
私が知り得た「真理」を覚りなさい(8)と言われています。
つまり私の「弟子を信仰しなさい」とはどう考えてもおっしゃることはないでしょう・・・
ですから私は、仏教を「宗教」としてではなく
お釈迦さまの教えを「哲学的」な側面から見直すことが
今こそ現代仏教に必要とされていることだと思うのです。
Nico
参考 : 総図解よくわかる仏教、世界の三大宗教 他
(1)地蔵菩薩
仏教の信仰対象である菩薩の一尊。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言う。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。
三昧耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖。種子(種字)はカ (ha)。
(2)観音菩薩
観音菩薩という名称の由来は、サンスクリット(梵語)のアヴァローキテーシュヴァラの意訳から生じたとする説が有力である。
(3)毘沙門
毘沙門という表記は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したものである。
ヴァイシュラヴァナという称号は本来「ヴィシュラヴァス神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来するが、「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳された。
四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
(4)如来
元になったサンスクリット語のタタ-ガタは、「真如(tathā タタ-)から来るもの、真如へと去っていくもの」という意味である。これが漢訳されて如去如来や如来如去となり、さらに縮まって如来となった。音写である多陀阿伽陀(ただあがだ)も同じ意味である。
(5)阿弥陀仏
梵名は「アミターバ」、あるいは「アミターユス」といい、それを「阿弥陀」と音写する。「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。
梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、「アミターユス」は「無限の寿命をもつもの」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。無明の現世をあまねく照らす光の仏にして、空間と時間の制約を受けない仏であることをしめす。
(6)弥勒菩薩
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵名マイトレーヤ、パーリ名メッテイヤは仏教の菩薩の一尊である。弥勒は音写であり、「慈しみ」を語源とするため、慈氏菩薩(”慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。
(7)弁財天
経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い。弁天(べんてん)とも言われ、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、弁天堂・弁天社などと称されることが多い。
(8) お釈迦さまが知り得た「真理」
これを簡潔にいうと「法」といいます。
(Wikipedia抜粋)