先生は師走には走らない・・・ | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

うーーー   明日はもう12月 師走だ・・・



年末の「薀蓄ネタ」を一つ・・・



先月、博学の年長者と酒席を共にしていた時、年末の話題になり 

突然「師走は誰が走るのか知ってますか?」と尋ねられた。

私は「えーっと 教師が走る、お坊さんが走る、ですかね・・・」と適当に答えたのだが・・・



どうやら違うみたいです、語源辞典で調べても

≪ 語源は諸説あるが、師走の主な語源として師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する『師馳す(しはす)』がある ≫

みたいなのが一般的のようですが・・・



今の時代を見回してみても、それがわからないのも無理はありません。

なぜなら「この師」は明治以降に廃止されていました。



御師(おんし、おし)が走る。

これが「師走」の語源です。

それではこの「御師」とはどのような人たちだったのでしょうか。



博学の年長者の説明によると「八百屋さん」や「大工さん」と同じような職業の名まえということです。



その職業とは「旅行ガイド」とのことでした。



その日は、「へーっ そうなんですか」と話を終え、帰宅してからいろいろと調べてみました。



昔の人々は「一生に一度はお伊勢参り」というくらいに、伊勢神宮へ詣でることを憧れ、あの時代にあって年間500万人もの人々が伊勢参りをしたという記録さえ残っています。

しかしそれをなし得たのも、人々を伊勢神宮へガイドする職業があったからです。

それが「御師」です。



御師は日本最古の旅行業といわれています。

ただ人々を聖地へ先導するだけではなく、宿泊の手配や食事、土産の買い付けなど、至れり尽くせりのサービスでガイドをしたそうです。

今なら「コンシェルジュ」といったところでしょうか・・・



そういう意味では純粋な信仰心から「一生に一度はお伊勢参り」というだけではなく、伊勢参りには当時の人々にとってのバケーション旅行の意味合いもあったようです。ただ御師の呼称が「御祈祷師」の略とされているように、彼らはお祓いや神事なども行うことから、今風にいえばスピリチュアル・ガイドという位置づけがふさわしいといえるでしょう。



そして、そんな御師が1年で最も忙しいのが師走なのです。



新しい年を迎えると私たちは神社へ参り、そこで新しい御神札(おふだ)をいただき、それまで神棚に収めてあった古い御神札と入れ替えます。

そもそもこの神社の御神札を掲げたり、神棚に祀るという習慣も、実は伊勢神宮が始まりなのだそうです・・・



伊勢神宮が財政難に陥ったとき、それを打開するために、伊勢神宮の御神札を「神宮大麻」(じんぐうたいま)として配ることにしました。

それをやがて全国の神社でも同じように、自社のお神札を氏子に配布するようになったのです。

そのような経緯から、日本全国どこの神社の社務所へ行っても、そこの神社の御神札とともに、伊勢の「神宮大麻」は必ず手に入れることが出来るのです。

だから、各家庭で複数の御神札を掲げたり、神棚に祀る場合でも、天照大神の依代である「神宮大麻」は必ずその中心に据えることが習わしとなっています。



今では私たち自ら神社でいただく御神札も、その昔は御師が年末の慌ただしい中、各家庭に「神宮大麻」を配布していたのです。

そして、「師走」という暦の名称になるほどに、御師が各家庭に「神宮大麻」を配布することが、日本では当たり前のことだったのです。またこうしたことからも、昔の人々にとって伊勢神宮が憧れの聖地であると同時に、いかに身近なものであったかということが分かります。



ここ数年、神社の御神札いただいていないな、新年は心機一転するためにもお参りに行くとしようか・・・



Nicoでした



出典

いろんな 神道・神社解説サイト 語源サイト 伊勢神宮解説サイト・・・