「希死念慮」わたしの場合 | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

心の病の罹患者の方々のブログで「希死念慮」は様々な角度で語られています。


しかしまだ希死念慮に対する一般の人々の偏見も強く、向精神薬を肯定するサイトや「2チャンネル」などでは読むに耐えない表現が飛び交っているのが現状です・・・

一般的に「希死念慮」に至る原因の思考として「自分には何の価値もないと感じる」無価値感という表現がよく使われています。



Nicoの場合も「無価値観」は確かに感じた、しかしそれが「希死念慮」に直ぐに繋がると言われると、少し違うのでは・・・と感じてしまう


Nicoの体験を話すことが「偏見や誤解をなくせる」とも思わないが、わたしの「自死」しようとしたときの感情を呟こうと思った・・・





わたしの場合「死にたい」という表現は正しくなかった・・・


向精神薬の作用が継続すると、人間としての感情が無くなってくる、いわゆる「ゾンビ状態」である。

その頃なんとか書き残せたメモを今も残している・・・



≪とにかく何もする気が起きなかった。身体の細胞全てが動くことを拒否していた。 食欲もないし何を食べても味がしなく不味いと感じた。 睡眠薬を飲んでも眠れない、寝ても訳の解らない夢をみてうなされて起きてしまう。 朝起きて午前中が特に辛かった、モーニングデプレッションという症状らしい、何もかもが不安で布団の中でガクガク震えていた。 風呂も一週間以上入らない、脂汗が出るので身体がベトベトする、自分の体臭が臭いと初めて思った。 それでもシャワーすら入る気にならなかった。 抗欝剤の副作用で便秘が酷く、下腹が張るのでトイレに行くが出そうで出ない、不快で嫌になる。 ずっと寝たきりなので腰が痛い、それでも椅子に座る気にさえならずベッドに横たわっていた。 このまま身体が腐っていくんじゃないかと思ったが、腐るならそれでいいと思った。 ただ布団に包まっていた、生きていても辛いだけだと毎日思っていた。 心臓の奥の方から痺れるような不安感が広がりポロポロと涙が出て止まらなかった。≫


このときの「このまま身体が腐っていくんじゃないかと思った」の「腐る」とは死んでしまうことを意味していた。


つまり「生きたい」という意志の「倒錯した感情」だった・・・


SSRI・SNRIは服用し始めた頃は「薬の作用」として「怒りの感情の制御不能状態」に陥ることがあるのは製薬会社も認めている。


その制御不能の感情から「他傷願望」が強くなって「他傷行為」→「殺人」などの痛ましい事件を誘発する。


そして服用を継続していると、向精神薬の作用として「食欲減退」「睡眠障害」「気力喪失」などにより体力がなくなり私の場合は寝たきり状態になってしまった・・・


寝たきりの頃は「死にたい」と思っても気力・体力もないので布団の中で震えているだけだった

ただ注意しなければならないのは「OD (オーバードース)」に関しては体力の必要とする行為ではないので、家族の方が「向精神薬」の管理をするのが望ましいとNicoは思う。



「時間薬」や減薬・断薬の後のいわゆる「寛解期に入った頃」というのが「希死念慮」による「自死行為」の可能性が高くなると一般的には言われ、わたしの主治医も度々アドバイスをしてくれていた。

しかしその助言のかいもなく暑い夏が終わり秋を迎える季節の変わり目の頃ころに「自死未遂」をしてしまった・・・



現在のクリニックで私はSSRI・パキシルの完全断薬に成功していた、但しベンゾジアゼピン系安定剤・睡眠薬の服用は続けていた・・・


寛解期に入ったと言っても「うつ病」の回復過程は「振り子」の様に体調の「良い期間」と「悪い期間」を繰り返す・・・


つまり「悪い期間」には「ゾンビ」状態だったころの「気力喪失」「味覚障害」「睡眠障害」が現れ、このまま治らずまた「身体が腐る」ような辛い毎日がまたやってくる・・・   どうしよう  だったら「死んだ方が楽になる」という「倒錯」した感情(以前、『悪魔の囁き』と表現した)が急に湧き出す・・・


しかし寛解期は「楽になりたい」と思ったとき「行動」に移せる体力はある



これが「危険な時期」と言われる所以である。


Nicoの場合、ベランダの手すりを掴んでよじ登ろうとした瞬間「高所恐怖症」のため腰が抜けてしまい幸いにも未遂でおえることができた・・・



辛いことから逃げたいという「逃避願望」と言われるとそうなのかもしれないが、「希死念慮」は単純な思考パターンなどではない。

体験者しか理解のできない「楽になりたい」という逃避ではない「欲求願望」・・・



例えば「天国に行きたい・・・」とか「亡くなった母に会いたい・・・」というような一時的な倒錯した思考が向精神薬による「自死行為」の事実だと思う。


故にNicoは常々「向精神薬は危険だ」「パキシルは呑むな」と呟き続けるのである・・・



Nico