ありがとうPEP | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

リーガ最終戦である第34節エスパニオール戦 カンプノウはPEPの送別会の会場と化した・・・


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ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラJosep Guardiola , 1971118 - )は、スペイン・サントペドル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF

ジョゼップの愛称形であるペップ(Pep)や、ペップ・グアルディオラ(Pep Guardiola)として広く知られる。

ドリームチームを築いた1990年代のFCバルセロナの象徴である。



2008-2009シーズン

200858日、フランク・ライカールトに代わって2008-09シーズンからFCバルセロナのトップチームの監督に就任することが発表された。前日のエル・クラシコで1-4と屈辱的な敗戦を喫してからすぐの就任発表だった。契約期間は2年で、年俸は欧州のトップクラブの指揮官としてはかなりの低額の150万ユーロと言われている。就任会見でそれまでの中核であったロナウジーニョ、デコ、サミュエル・エトオの構想外を宣言し(エトオは後に残留)、遅刻1分につき500ユーロ(約65000円)の罰金を徴収するなど、2006-07シーズンから2シーズン連続で無冠と不振のクラブに改革を施した。クラブの下部組織出身の選手を重用し、レアル・マドリードとのエル・クラシコ2連勝するなど、リーグの最多勝ち点記録を上回るペースで勝ち点を積み重ね、36節終了後に優勝を決めた。決勝でアスレティック・ビルバオを倒したコパ・デル・レイ、マンチェスター・ユナイテッドFCを倒したUEFAチャンピオンズリーグと合わせ、就任1年目にして3冠達成を果たした。3冠達成後には「このチームがクラブ史上最強だとは思わないが、最高の成績は残せた」と語った。



2009-2010シーズン

2009年夏にはインテルとの間でサミュエル・エトオとズラタン・イブラヒモビッチをトレードし、さらに4900万ユーロを支払う大型移籍を取りまとめた。また、インテルからマクスウェルを獲得し、FCシャフタール・ドネツクからドミトロ・チグリンスキーを獲得した。エイドゥル・グジョンセンはASモナコに移籍し、シウヴィーニョとアルベルト・ジョルケラは契約満了により移籍し、アレクサンドル・フレブ(→VfBシュトゥットガルト)、マルティン・カセレス(→ユヴェントス)、アルベルト・ボティア(→スポルティング・ヒホン)、ビクトール・サンチェス(→シェレスCD)などはレンタルでチームを離れた。2009-10シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャでアスレティック・ビルバオを破り、UEFAスーパーカップでFCシャフタール・ドネツクを破る良好なスタートを切り、925日のマラガCF戦ではFCバルセロナの監督として50勝目を積み上げた。1219日にはクラブ初のFIFAクラブワールドカップ優勝を飾り、6つのタイトル(リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ)を獲得した2009年を締めくくった。6冠達成は史上初であった。


20101月に行われたコパ・デル・レイ、ラウンド16でセビージャFCに敗れたが、120日にはクラブとの契約を1年間延長し、2010-11シーズン終了まで指揮を執ることが決定した。2月には就任以来の公式戦試合数が100試合に達し、711910敗(242得点76失点)という好結果を樹立している。410日のエル・クラシコで勝利し、FCバルセロナの歴史の中で初めてこの対戦で4連勝を記録した監督となった。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝のインテル戦に2試合合計2-3で敗れた。リーグ戦では、ホームでレアル・バリャドリードを4-0で破り、ヨーロッパ新記録となる勝ち点9920回目のリーグ優勝を達成した。監督就任以来7つ目のタイトルとなり、11個のタイトルを獲得しているヨハン・クライフに次ぐ2位タイ(フェルディナンド・ダウシクと並ぶ)のタイトルホルダーとなった。68日には、36日のUDアルメリア戦中・戦後の言動によりスペインサッカー連盟に15000ユーロの罰金を言い渡された。



2010-2011シーズン

2010714日、クラブとの契約を20116月まで延長した。2010年夏には、1年前に加入したばかりのふたりの選手がクラブを去った。FCシャフタール・ドネツクに復帰したチグリンスキーACミランに移籍したイブラヒモビッチである。さらに、ラファエル・マルケスとティエリ・アンリのふたりはニューヨーク・レッドブルズに移籍し、トゥーレ・ヤヤはマンチェスター・シティFCに移籍した。新たにセビージャFCからアドリアーノ・コレイア、バレンシアCFからダビド・ビジャ、リヴァプールFCからハビエル・マスチェラーノが加わった。


821日、スーペルコパ・デ・エスパーニャでセビージャFC5-3で破り、2年連続2度目の優勝を果たした。1129日にはレアル・マドリードとのエル・クラシコで5-0の大勝を飾り、就任から同一カード5連勝となった。201128日にはクラブが提示した新契約を受け入れ、20126月まで契約延長した。511日、レバンテUD(1-1)に引き分け、3シーズン連続21回目のリーグ優勝を決めた。2008年夏の就任以来、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントのアウェー戦では7戦連続未勝利であったが、準々決勝のFCシャフタール・ドネツク戦セカンドレグに1-0で勝利し、初のアウェー戦勝利を掴んだ。同大会準決勝はレアル・マドリードと対戦することになった。時同じくしてコパ・デル・レイ決勝でも対戦することになった上、リーグ戦でも対戦が予定されていた為、3週間で4度のクラシコが行われることとなり、クアトロ・クラシコ(4度のクラシコの意)と呼ばれて白熱した。



2011-2012シーズン

シーズン前にはウディネーゼ・カルチョよりアレクシス・サンチェスを、アーセナルFCより元カンテラーノのセスクを獲得した。

リーガ開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャでレアル・マドリード相手にファーストレグは2-2と引き分けるも、セカンドレグで3-2と勝利を収め、2戦合計でスーペルコパ・デ・エスパーニャを獲得。826日のUEFAスーパーカップもFCポルトを4-0で破って獲得しているまた、12月に日本で行われたFIFAクラブワールドカップでは、ダビド・ビジャが脛骨骨折の重傷を負うも優勝を果たしている

2012427日、FCバルセロナの監督を退任することを発表した。後任はアシスタントコーチを務めたティト・ビラノバが就任する。



Wikipedia抜粋)


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メッシが4点目のゴールをPKで決めた後PEPに歩み寄り 二人は抱きしめ合った



選手全員が二人の周りに集った  感動的なシーンを観ることが出来た きっとサッカー界の歴史に刻まれるだろう



今シーズンはレアル・マドリッドに優勝を譲ったが昨年まではリーガ3連覇



日本で開催されたクラブ・ワールド・カップも勝ち取った



4年前PEOFC・バルセロナの監督に就任したとき まだ彼の頭のてっぺんには髪の毛が少し残っていた



今日のPEPの頭は禿げてしまいピカピカに光っていた



スペインでリーガの監督をするということはとてつもないストレスだろう


FC・バルセロナの監督ともなれば、勝ってあたりまえ 負ければ家族にまで腐ったトマトが投げつけられる・・・



ありがとうPEP  少し休んで 次のキャリアに進んでください


PEP 沢山の感動をありがとう・・・