リーガ最終戦である第34節エスパニオール戦 カンプノウはPEPの送別会の会場と化した・・・
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ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラ(Josep Guardiola , 1971年1月18日 - )は、スペイン・サントペドル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
ジョゼップの愛称形であるペップ(Pep)や、ペップ・グアルディオラ(Pep Guardiola)として広く知られる。
ドリームチームを築いた1990年代のFCバルセロナの象徴である。
2008-2009シーズン
2008年5月8日、フランク・ライカールトに代わって2008-09シーズンからFCバルセロナのトップチームの監督に就任することが発表された。前日のエル・クラシコで1-4と屈辱的な敗戦を喫してからすぐの就任発表だった。契約期間は2年で、年俸は欧州のトップクラブの指揮官としてはかなりの低額の150万ユーロと言われている。就任会見でそれまでの中核であったロナウジーニョ、デコ、サミュエル・エトオの構想外を宣言し(エトオは後に残留)、遅刻1分につき500ユーロ(約6万5000円)の罰金を徴収するなど、2006-07シーズンから2シーズン連続で無冠と不振のクラブに改革を施した。クラブの下部組織出身の選手を重用し、レアル・マドリードとのエル・クラシコで2連勝するなど、リーグの最多勝ち点記録を上回るペースで勝ち点を積み重ね、36節終了後に優勝を決めた。決勝でアスレティック・ビルバオを倒したコパ・デル・レイ、マンチェスター・ユナイテッドFCを倒したUEFAチャンピオンズリーグと合わせ、就任1年目にして3冠達成を果たした。3冠達成後には「このチームがクラブ史上最強だとは思わないが、最高の成績は残せた」と語った。
2009-2010シーズン
2009年夏にはインテルとの間でサミュエル・エトオとズラタン・イブラヒモビッチをトレードし、さらに4900万ユーロを支払う大型移籍を取りまとめた。また、インテルからマクスウェルを獲得し、FCシャフタール・ドネツクからドミトロ・チグリンスキーを獲得した。エイドゥル・グジョンセンはASモナコに移籍し、シウヴィーニョとアルベルト・ジョルケラは契約満了により移籍し、アレクサンドル・フレブ(→VfBシュトゥットガルト)、マルティン・カセレス(→ユヴェントス)、アルベルト・ボティア(→スポルティング・ヒホン)、ビクトール・サンチェス(→シェレスCD)などはレンタルでチームを離れた。2009-10シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャでアスレティック・ビルバオを破り、UEFAスーパーカップでFCシャフタール・ドネツクを破る良好なスタートを切り、9月25日のマラガCF戦ではFCバルセロナの監督として50勝目を積み上げた。12月19日にはクラブ初のFIFAクラブワールドカップ優勝を飾り、6つのタイトル(リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ)を獲得した2009年を締めくくった。6冠達成は史上初であった。
2010年1月に行われたコパ・デル・レイ、ラウンド16でセビージャFCに敗れたが、1月20日にはクラブとの契約を1年間延長し、2010-11シーズン終了まで指揮を執ることが決定した。2月には就任以来の公式戦試合数が100試合に達し、71勝19分10敗(242得点76失点)という好結果を樹立している。4月10日のエル・クラシコで勝利し、FCバルセロナの歴史の中で初めてこの対戦で4連勝を記録した監督となった。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝のインテル戦に2試合合計2-3で敗れた。リーグ戦では、ホームでレアル・バリャドリードを4-0で破り、ヨーロッパ新記録となる勝ち点99で20回目のリーグ優勝を達成した。監督就任以来7つ目のタイトルとなり、11個のタイトルを獲得しているヨハン・クライフに次ぐ2位タイ(フェルディナンド・ダウシクと並ぶ)のタイトルホルダーとなった。6月8日には、3月6日のUDアルメリア戦中・戦後の言動によりスペインサッカー連盟に15000ユーロの罰金を言い渡された。
2010-2011シーズン
2010年7月14日、クラブとの契約を2011年6月まで延長した。2010年夏には、1年前に加入したばかりのふたりの選手がクラブを去った。FCシャフタール・ドネツクに復帰したチグリンスキーとACミランに移籍したイブラヒモビッチである。さらに、ラファエル・マルケスとティエリ・アンリのふたりはニューヨーク・レッドブルズに移籍し、トゥーレ・ヤヤはマンチェスター・シティFCに移籍した。新たにセビージャFCからアドリアーノ・コレイア、バレンシアCFからダビド・ビジャ、リヴァプールFCからハビエル・マスチェラーノが加わった。
8月21日、スーペルコパ・デ・エスパーニャでセビージャFCを5-3で破り、2年連続2度目の優勝を果たした。11月29日にはレアル・マドリードとのエル・クラシコで5-0の大勝を飾り、就任から同一カード5連勝となった。2011年2月8日にはクラブが提示した新契約を受け入れ、2012年6月まで契約延長した。5月11日、レバンテUD戦(1-1)に引き分け、3シーズン連続21回目のリーグ優勝を決めた。2008年夏の就任以来、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントのアウェー戦では7戦連続未勝利であったが、準々決勝のFCシャフタール・ドネツク戦セカンドレグに1-0で勝利し、初のアウェー戦勝利を掴んだ。同大会準決勝はレアル・マドリードと対戦することになった。時同じくしてコパ・デル・レイ決勝でも対戦することになった上、リーグ戦でも対戦が予定されていた為、3週間で4度のクラシコが行われることとなり、クアトロ・クラシコ(4度のクラシコの意)と呼ばれて白熱した。
2011-2012シーズン
シーズン前にはウディネーゼ・カルチョよりアレクシス・サンチェスを、アーセナルFCより元カンテラーノのセスクを獲得した。
リーガ開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャでレアル・マドリード相手にファーストレグは2-2と引き分けるも、セカンドレグで3-2と勝利を収め、2戦合計でスーペルコパ・デ・エスパーニャを獲得。8月26日のUEFAスーパーカップもFCポルトを4-0で破って獲得しているまた、12月に日本で行われたFIFAクラブワールドカップでは、ダビド・ビジャが脛骨骨折の重傷を負うも優勝を果たしている。
2012年4月27日、FCバルセロナの監督を退任することを発表した。後任はアシスタントコーチを務めたティト・ビラノバが就任する。
(Wikipedia抜粋)
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メッシが4点目のゴールをPKで決めた後PEPに歩み寄り 二人は抱きしめ合った
選手全員が二人の周りに集った 感動的なシーンを観ることが出来た きっとサッカー界の歴史に刻まれるだろう
今シーズンはレアル・マドリッドに優勝を譲ったが昨年まではリーガ3連覇
日本で開催されたクラブ・ワールド・カップも勝ち取った
4年前PEOがFC・バルセロナの監督に就任したとき まだ彼の頭のてっぺんには髪の毛が少し残っていた
今日のPEPの頭は禿げてしまいピカピカに光っていた
スペインでリーガの監督をするということはとてつもないストレスだろう
FC・バルセロナの監督ともなれば、勝ってあたりまえ 負ければ家族にまで腐ったトマトが投げつけられる・・・
ありがとうPEP 少し休んで 次のキャリアに進んでください
PEP 沢山の感動をありがとう・・・