さよならの向う側 | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

さよならの向う側


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山口 百恵(1959年1月17日 - )は、日本の元歌手、女優。


東京都渋谷区恵比寿出身。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、横須賀市で過ごした。

配偶者は、俳優の三浦友和



1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝、20社から指名を受ける。


1973年4月、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。

これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。


年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。


同曲が大ヒットした1974年には青春映画の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した相手役の三浦友和とはグリコプリッツのCMでこの年の夏に共演済であった。

三浦とはその後もテレビドラマやCMでも共演し、共に絶大な人気を博し、二人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。百恵の主演映画13作のうち12作は三浦との共演である。


映画デビューした1974年10月からはTBSのテレビドラマ赤いシリーズでも好演、高い人気を集め、6年にも及ぶ人気ドラマとなる。

1976年 リリースされた「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を歌い、新境地を開く。結果として引退まで歌うことになる宇崎夫妻の作品の数々は、大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。この二人を作家として指名したのは、周囲のスタッフではなく百恵本人だった。


1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』では紅組のトリを務めた。ポップス系のトリは、同年白組のトリを務めた沢田研二と共に初めてのことであった。また、10代の歌手が紅白のトリと写真家篠山紀信は百恵のデビュー当時から被写体として何万枚も撮り続けて来たが、度々、印象的な写真を発表し、注目を集めた。

1970年代に篠山が最も多く撮影した女性は百恵であり、「それは時代が山口百恵を必要としていたから」とし、百恵を「時代と寝た女」と称した。


婚約発表・芸能界引退

1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルでその役柄のイメージのまま、「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する。その後三浦も記者会見で「結婚を前提にして付き合っています」と語った。

そして、翌1980年3月7日には三浦との婚約発表と同時に、「わがままな…生き方をわたしは選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させていただきます」と芸能界引退を公表する。


引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。

引退までにシングルは31作の累計で1630万枚、LPは45作の累計で434万枚を売り上げ、70年代最もレコードを売り上げた歌手だった。



結婚

結婚式は1980年11月19日に東京都港区赤坂の日本基督教団霊南坂教会、披露宴は東京プリンスホテル・鳳凰の間で招待客1800人が出席して行われた。

百恵の父親代わりはホリプロ社長・堀威夫。披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫であった。


引退後

引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めているが、一貫して芸能界とは距離を置いている。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

家庭に入ってからは2人の息子をもうけた。現在はキルト作家として活躍。作品が『東京国際キルトフェスティバル』等の展示会に出品されることも多い。


2011年、母の日にちなんで2011年度「母が選ぶ理想の母」のアンケートで1位となった。


(Wikipedia抜粋)



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山口百恵はある意味で「松田聖子」と双極に位置したアイドルである



松田聖子は結婚・離婚と私生活も波瀾万丈で50歳を過ぎた現在でも芸能界で生き残っている



対して「山口百恵」は妻・母として生き、何度も画策された芸能界復帰には決して首を縦に振ることはなかった・・・


旦那さんの三浦友和は最近「北野組」に入り「アウトレージ」で今までにない味のある「ヤクザ」を演じている



Youtube の映像は歌い終わった所で切れているが、この後「伝説のシーン」



「歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした百恵は、白いマイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩みながら去っていった・・・」に繋がるのである


(なおこのマイクは現在小樽にある石原裕次郎記念館に展示されているそうだ)



山口百恵~最後の言葉と「さよならの向う側」


http://www.youtube.com/watch?v=9dsCFcBiGBY&feature=related