「僕が僕であるために」彼のしたこと・・・ | あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

あなたは「幸せ」ですか それとも「不幸せ」ですか...  ニコラスの呟き...

いつの間にか前期高齢者になっていました。65年以上生きてみると 色んな事を経験しました。「達成」「失望」「離別」「病気」...
それぞれの経験に意味があると最近思います。お会いすることのない、どなた様かのお役にたてば幸いです。      

再来週の水曜25日で尾崎豊が鬼籍に入って20年になる


生きていれば47歳か・・・  どのような中年の男になっていたのだろう、想像もできない



彼の曲をカラオケで歌い失笑を買っていたのを思い出す


ナイフのような感性と比類なき個性を持ち「10代のカリスマ」と呼ばれていた



尾崎 豊 (1965年11月29日 - 1992年4月25日)



1983年「15の夜」でデビュー   1985年「卒業」の大ヒットでカリスマ的存在となる



26歳での急死はファンに大きな衝撃を与えた



彼の生き様・・・


「高校停学処分」 「留年」 「自主退学」 「歌手デビュー」 「オリコン1位」 「無期限活動休止」

 

「完全復活」「再度無期限活動休止」  「単身渡米」  「結婚」  「長男誕生」  「個人事務所設立」

  

「完全復活」 「覚醒剤での逮捕」  「突然死」 ・・・・・


若干26歳で名声と富を得た者でしか理解できない 彼だけの「苦悩」があったのか・・・


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1984年 秋田県ライブ 「街の風景」前MC 抜粋


「一人ぼっちになるといつも自分を見失いそうになる だけどそんな時自分が本当に何をどれくらいのをもっているだろうかってことが分かるような気がする・・・

みんなは街のなかで どんな物に出会うんだろう・・・ 」


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シェリー (歌詞・抜粋)



シェリー  俺は転がり続けて こんなところにたどりついた  俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも


シェリー  俺だけど おまえのいうとおり 金か夢か わからない暮らしさ


転がり続ける 俺の生きざまを    時には無様な格好でささえてる


シェリー  俺をしかってくれ そして強く抱きしめてくれ    おまえのが俺を包むから


シェリー いつになれば俺は這い上がれるだろう    どこに行けば 俺は たどりつけるだろう


あわれみなど受けたくない    俺は負け犬なんかじゃないから


俺は真実へと歩いていく     俺は うまく歌えているか


俺は うまく笑えているか     俺は 卑屈じゃないかい


俺は 誤解されてないかい    俺は まだ馬鹿と呼ばれているか


俺は まだ恨まれているか    俺は される資格はあるか


俺は 決してまちがっていないか  俺は 真実へと歩いているかい ・・・・・・・・・


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息子裕哉」は父「豊」から「優しい陽射し」の一節よりは育むものだと教えられたと語る・・・


裕哉は気付いていないかもしれないが「優しい陽射し」の歌詞には


尾崎豊の死を暗示させるフレーズが数ケ所ある



もちろん裕哉には父の記憶はない



あるのは尾崎豊の残した曲だけである



妻「繁美」の残した映像を観た


1989.7.25.   8.8. 10.21.  1991.12.25.

http://www.youtube.com/watch?v=sgRzCxdJR7k&feature=related




私の知る「尾崎豊」とはあまりにも落差がありすぎて違和感を覚えた


その姿には「悩み」「苦しむ」姿は微塵もない・・・


しかし急死する4か月前の1991.12.25.の少し太った彼の言葉と表情が深く印象に残った


豊  「ママに100万のピアスを買ってあげました」


繁美 「パパは今ブタさんになってます・・・」


豊の顔が微妙に引き攣った




時の経過は彼の死を「昇華」させた


1992年4月25日早朝、足立区の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、救急搬送されたが「日本医科大学付属病院」で死亡した


葬儀は東京都文京区の護国寺にてファン葬が行われ、参列者は4万人近く集まった


彼が転倒し暴れ「転げ回っていた」という奇行証言から向精神薬のODという説がある


また覚醒剤での逮捕歴があり、彼の遺体には暴行を受けたような傷や痣があったため


覚醒剤に纏わる「他殺」とする説もある

http://livedoor.blogimg.jp/bobnews/imgs/c/b/cbe63d01.jpg




しかし警察の検死・司法解剖の結果は、常用薬物中毒死ではなく致死量の2.6倍以上の覚醒剤(メタンフェタミン)服用による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付け「事件性なし」として調査を終結した


( 出典 : 尾崎豊物語 ・ 弟尾崎豊の愛と死と ・ 尾崎豊覚書  Youtube  他 )



彼は何故致死量の2.6倍の覚醒剤を打ったのだ


誰かに無理矢理打たれたのか・・・


彼の死は「逃避」だったのか



であるとすれば何からの逃避か・・・


もうこれ以上詮索は止めにする




尾崎の言う「」とは何だったのか・・・



解るはずはない 僅か26年では


彼の「問」は生きている間には「答」にたどりつけない




その答えを探すこと「生きる」ということなのに・・・


尾崎豊は1980年代「稲妻」のように表れ 「」のように去っていった



正直に告白する


20年前 私には彼の叫びは理解できなかった




しかし還暦を前にしてやっと彼の言葉が


私の心の琴線を孤高のギタリスト奏者のように激しく弾くのだった





その日は彼の歌声を聴き


過ぎし日、若き未熟な私の「30代」の思い出を懐かしむことにしよう・・・




合 掌

「15の夜」

http://www.youtube.com/watch?v=Xtsynpl_Uq4



「卒業」

http://www.youtube.com/watch?v=MBzoB8VsQps&feature=related



「僕が僕であるために」

http://www.youtube.com/watch?v=ObsN3WC0eMs&feature=related



「優しい陽射し」

http://www.youtube.com/watch?v=Xaue-bbuDhI&feature=related



「シェリー」

http://www.youtube.com/watch?v=LF0i7MJl1-M