33歳で亡くなった親友

 

彼女は25歳でお見合い結婚し

 

お姑さんと同居して

 

朝4時に起きなきゃならないと言っていた

 

農家でもないのに

どうして?

 

と聞くと

 

お義母さんがそう言うの と

 

 

彼女の実家は古くからの商売を営み

 

自宅は日本庭園を有した広大なお屋敷だった

 

たくさんの鯉が泳ぐ

大きな池をまたぐように渡り廊下があって

別棟に行くことができた

 

白い割烹着姿のお手伝いさんが何人かいて

 

お母さんは着物を粋に着こなし

きっぷのいいおかみさんという感じで

地域に貢献する愛情あふれる素敵な女性であった

 

彼女は

3姉妹の3番目で

やっと下に跡取りの男の子が生まれた

 

 

裕福にも関わらず

 

謙虚で

 

優しく

 

慈愛に満ちた女性だった

 

 

嫁ぎ先は

 

お義母さんが化粧品をセールスする

 

小さな住まいだった

 

 

結婚のお祝いで訪れた新居は

 

その2階にあるこじんまりした部屋ふたつ

 

 

ちょうどいらしたお義母さんに

 

ご挨拶すると

 

よそよそしく冷たい感じの方であった

 

 

彼女の生い立ちからすれば

 

なぜと思わざるを得ない日常を感じた

 

 

彼女は努力していた

 

すごく気を遣って生きていた

 

 

お義父さまもいらしたようだが‥

 

 

子供も生まれ

 

数年経った頃

 

転勤になったと連絡が来て

 

わあ良かったね

 

と言ってしまった

 

 

転勤先にも来てねと言われて間も無く

 

入院したと

 

 

腸閉塞だって

 

と彼女

 

手術に6時間かかったと

 

 

しばらくして

 

実家にも近い

お姉さんが経営するマンションに引っ越してきた

 

もう一度手術するんだ

 

カナリアになら

 

傷跡見せてもいいよって

 

ほら

 

・・

 

傷はとても大きく

 

腸閉塞ではないと気がついた

 

 

2回目の手術は名医のいる所で行い

 

経過は良好と聞いていた

 

 

そして

 

また入院したんだ と

 

連絡が来て

 

病院の近くに両親が引っ越して来てくれて

 

子ども達も見てもらってる って

 

この時は

いっぱい話せて

笑って

高校生の時みたいに‥

 

 

次に会ったのは

モルヒネの影響か

朦朧としていて

 

私のことはもう分からなかった

 

心臓が止まるほどショックを受けてしまった

 

 

 

居原田 麗 先生のブログを拝見していて

 

泣くほど痛いとあった

 

 

彼女も

 

痛みが凄かったんだと

 

今更ながら思い至り

 

 

 

 

意識低下の中でも

 

子ども達が駆けつけるまで

 

最後の力を振り絞って

 

最大の母親の愛を届けたんだなって

 

 

 

通夜の時

 

高校、大学の友人と待ち合わせて

 

嫁ぎ先を訪れ

 

お線香をあげて手を合わせた

 

 

遺影の彼女は

 

いつものように優しく微笑んでいて

 

とめどもなく涙が溢れて‥

 

 

ちょうどその時

 

寿司桶がたくさん配達されて

 

連れていた幼い息子が

 

お寿司食べたい

 

と言ったら

 

隠されてしまって

 

 

お茶も勧められることなく

 

私たち友人はそのまま新幹線で帰宅した

 

 

優しく

控えめで

慈しみ深く

お料理上手で

子ども達も素直に育てて

 

とても素敵な女性だった

 

 

 

今でも思う

 

 

ずいぶん

 

苦労したんだね  って‥