洗練されたものについて考えてみた。

 

 

当たり前だけど、内側から滲み出ていなければ

 

結局は洗練されたとは人は感じない。

 

 

 

アダルトチルドレンの私は、

 

そういう点も少々難あり。

 

 

 

でも、洗練されたいとは思う。

 

いつまでも無様な姿を曝け出した人などいない。

 

 

洗練された人と感じる人でさえ

 

洗練されていない時を経てそうなっているのだ。

 

 

 

哲学者で言えば、ラッセルやサルトルも

 

苦悩の時(洗練されていないとき)がある。

 

 

そうして、それを突き詰めて行った先に

 

洗練された彼らが我々に生きることへの

考え方を教えてくれている。

 

 

 

カッコつけていては成長しない。

 

無様なぐらいでいいのだ。