私は東京駅のベンチから八重洲ミッドタウンをしばらく眺めていた。
通りゆく人は不思議そうに私をみながら歩き去っていく。
少し離れたところにいる青年は、スマートフォンを見つめている。
そんな青年はまるで風景の一部になったかのように素通りされていく。
若者がこんな時代にベンチに座って風景を眺めているというのは、どうやら不思議なようだ。
街は、スマートフォンを見つめている姿こそが人間というもののイデアであると言わんばかりの雰囲気を纏っている。
このままでは棺の中にスマートフォンを入れて死んでいく世界すら見えそうだ。
スマートフォンにはそれに見合うだけの重みがない。
YouTubeで見る人には絶対に感じられない、
人間から発せられる心の機微が、八重洲ミッドタウンのなかで賑わう人からは感じられた。
しかし、スケルトンでできた建物を大きなスクリーンとしてその中を眺めている様子が、
スマートフォンのスクリーンを通してその中を覗く青年と何が違うというのかはまだわからない。
風景をリアルでみている方がいいに決まっていると思いたいだけなのだ。