曲目
第一部 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
東京交響楽団
ヴァイオリン 周防亮介(すほうりょうすけ)
第二部 ブラームス ドイツレクイエム Op.45
合唱 ミナトシティコーラス
ソプラノ 森麻季
バリトン 三原剛
指揮 大友直人
Kissポート財団というのは東京都港区の公益財団法人で、港区に関係なくても会員になれて公演チケットが割引で買えます。
今月はサントリーホール大ホール三回目です。不思議なもんです。
周防亮介君は初めて聴きましたが、文句無しの出来栄えです。高校生と聞いてまたびっくり。
終演後「まだ高校生ですって」の囁き声が会場中に聞こえました。
※客層は女性8対男性4でした。サントリーホール大ホールは一列が12席なのでだいたいそのように見当がつきます。
この子は又聴きに行きたいヴァイオリニストです。
ブラームスのドイツレクイエムは初めて聴きますが、私はレクイエムというのは日本人には「まったく分からない音楽」だという信念があります。バッハの宗教音楽も音楽として美しく聴こえても日本人には「まったく分からないもの」です。何故かと言うと「ゴッド」を信じていないからです。
ドイツ語の合唱(ミナトシティコーラスという名前からも想像できますが港区のボランティアでしょう)はよく揃っているけれどドイツ語の歌詞の意味する所はまったく伝わって来ない。それは「歌詞の内容を信じていない」からです。空疎なのです。ともだちのいない声楽家(※)が第九のソロで「そうだ、心を分かち合う魂が一人でもいる人は、歓喜せよ!」などと歌っても空々しくしか聞こえないのと同じ事です。
(※)澤村翔子のことです。
ほとんど森麻季さん目当てで行ったのに森さんの出番は一曲だけでがっかり。
バリトンの三原剛さんは力強い声でとても良かったです。森さんのがっかりを補ってくれました。
森さんのがっかりを差し引いてもこれだけの内容(周防亮介君は望外に良かったし、ミナトシティコーラスの合唱もこれだけ人数揃えるのはボランティアでないと無理でしょう)でS席3300円(Kissポート会員価格)というのはシアワセ価格です。
次回は森麻季さんのリサイタルを企画してください。
2013年9月17日のコンサートに行ってきました。
株式会社 NTTデータ主催のコンサート
今はすっかり下火になったメセナですね。
NTTデータが何をしている会社なのかまったく知りませんが
客層が違う!
ハイソな雰囲気漂う方々が大勢です。まだ暑いのにお着物をお召しのご婦人もたくさん。(当然、電車では来ないでしょう)
若い男女もたくさん。女性7男性5の割合ですが、子供連れもいて幅広い年齢層のお客さんでした。年寄りばっかりの二期会公演とは景色が違います。
公募抽選で当選した人だけが入場できるそうですが、多くは招待客でしょう。
しかし「只券もらったから来てみた」という客層とは明らかに違います。
リーフレットも上質な紙で丁寧な内容のものが配られており、資金力の圧倒的な格差を眼の当たりにしました。客層もそれを反映しています。
演奏については言うことなし。前から3列目でしたが、先週の公演ではホールの残響のせいで日本語の台詞が聞き取りにくかったですが、音楽の響きはとても良いホールです。
オーケストラはジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラという、聞いた事の無い名前ですが実は日本の各オーケストラからコンサートマスターや首席奏者といった演奏家を集結したという贅沢なものだそうです。そこにフルートの難波薫さんの名前を見つけたときは他人事ながら嬉しくなりました。
メセナだから良いのかも知れませんが、しかしこれでNTTデータの株が上がったかと言うと疑問です。なぜなら客層は上品なご婦人が半分以上。NTTデータに何かを注文する事は無いでしょう。私もありません。名前は知ってるけれど、、、
★メセナというのは、本来「誰がお金を出してるかを一切名前を出さない」もので、欧州には「有名だけれど誰がスポンサーなのかがどこにも書いてないコンサート」がいくつもあります。企業の名前を売る事を目的のひとつにしないところに本来の上品な姿があるのだと思う。しかるに今回はアンケートに「NTTデータという名前を知っていますか?」「今回のコンサートでNTTデータの印象は変わりましたか?」という露骨な質問があって、「会社から言われてやってるだけ」「メセナの意義は広告宣伝の一環」と思っている社員の姿が見えていました。
良いコンサートでした。有り難うございました。NTTデータ。何をしている会社か知りませんが。
株式会社 NTTデータ主催のコンサート
今はすっかり下火になったメセナですね。
NTTデータが何をしている会社なのかまったく知りませんが
客層が違う!
ハイソな雰囲気漂う方々が大勢です。まだ暑いのにお着物をお召しのご婦人もたくさん。(当然、電車では来ないでしょう)
若い男女もたくさん。女性7男性5の割合ですが、子供連れもいて幅広い年齢層のお客さんでした。年寄りばっかりの二期会公演とは景色が違います。
公募抽選で当選した人だけが入場できるそうですが、多くは招待客でしょう。
しかし「只券もらったから来てみた」という客層とは明らかに違います。
リーフレットも上質な紙で丁寧な内容のものが配られており、資金力の圧倒的な格差を眼の当たりにしました。客層もそれを反映しています。
演奏については言うことなし。前から3列目でしたが、先週の公演ではホールの残響のせいで日本語の台詞が聞き取りにくかったですが、音楽の響きはとても良いホールです。
オーケストラはジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラという、聞いた事の無い名前ですが実は日本の各オーケストラからコンサートマスターや首席奏者といった演奏家を集結したという贅沢なものだそうです。そこにフルートの難波薫さんの名前を見つけたときは他人事ながら嬉しくなりました。
メセナだから良いのかも知れませんが、しかしこれでNTTデータの株が上がったかと言うと疑問です。なぜなら客層は上品なご婦人が半分以上。NTTデータに何かを注文する事は無いでしょう。私もありません。名前は知ってるけれど、、、
★メセナというのは、本来「誰がお金を出してるかを一切名前を出さない」もので、欧州には「有名だけれど誰がスポンサーなのかがどこにも書いてないコンサート」がいくつもあります。企業の名前を売る事を目的のひとつにしないところに本来の上品な姿があるのだと思う。しかるに今回はアンケートに「NTTデータという名前を知っていますか?」「今回のコンサートでNTTデータの印象は変わりましたか?」という露骨な質問があって、「会社から言われてやってるだけ」「メセナの意義は広告宣伝の一環」と思っている社員の姿が見えていました。
良いコンサートでした。有り難うございました。NTTデータ。何をしている会社か知りませんが。
2013年11月21日(木曜日)神奈川県民ホール 小ホール
18:30開演です お知らせします
チケットかながわ 045-662-8866 (10:00~18:00)
★9月21日からePlusでも買えるそうです
【この公演は支払・受取方法をファミリーマートまたはセブン-イレブンにすると手数料が0円になります】
.........................................................
これまでの演奏会の感想はこちらとこちら。
大人の夕べを過ごしましょう。
(今回は神奈川県民ホールですのでお間違えの無いよう...)
18:30開演です お知らせします
チケットかながわ 045-662-8866 (10:00~18:00)
★9月21日からePlusでも買えるそうです
【この公演は支払・受取方法をファミリーマートまたはセブン-イレブンにすると手数料が0円になります】
これまでの演奏会の感想はこちらとこちら。
大人の夕べを過ごしましょう。
(今回は神奈川県民ホールですのでお間違えの無いよう...)
初めて聴く人ですが、ご幼少の頃から素晴らしい経歴をお持ちと聞き、ルックスも良いし、CDも何枚も出しているし、テレビ番組にも出演するなど大活躍な人のようなので出かけてきました。
写真通りキレイな人です。(10年前の写真を使っている女性が多いのに立派です)
全席4000円の聴衆は、推定85%が中年男性で女性同伴率はほぼゼロです。どうやら、二年振りのリサイタルのようで、長年のファンが心待ちしていた様子が感じられました。
幼少の頃から才能を発揮しても、歳を重ねるに連れてその才能の出方や出し方は変わっていくものだと思います。七歳で天才と言われても、17歳で同じ事はしないだろう、と思う。何故かと言うと感性も違うし、体格も違うし、できることとやりたいことはどんどん変わっていくものだから。
だから、小さい時から才能を発揮してきた人というのは、周囲が予想した道と自分が決める道と、いつもギャップがあるものであり、どちらの方へ進んだらいいのか、子供ながらにも決心を求められる経験数が飛び抜けて多いもののはずです。私がよく思うのは、「好きな音楽」と「自分に合った音楽」とは必ずしも一致しないものだ、と言う事です。多くの女性ピアニストはショパンが大好きです。ソナチネの頃からショパンのワルツは弾けてしまいますのでレパートリーにどんどん入れたくなる。
この方もそうでしょう。久しぶりのリサイタルはショパンのエチュードを15曲も弾きました。ニューアルバムが「ショパンエチュード全集」だからそのお披露目の目的もあったでしょう。
しかし、これは私の趣味嗜好なだけですがショパンはこの方には向いている音楽では無いと演奏を聴いて思いました。確かに素晴らしいテクニックです。自己主張もしっかりとしています。自分の演奏をなさっている。けれども、私には好きになれません。みなとみらいホールで聴く高橋光太郎さんのショパンとは同じショパンでも音色も音楽も違う。女性の弾くショパンは共通したある特徴があると思う。それはここに書くのはおこがましいので控えますが、そもそもはショパンは「女性をうっとりさせる音楽である」という所に根本原因があるのです。女性が「女性をうっとりさせる音楽」を演奏する事に違和感がある※。今回の演奏でもっとも似合っていた曲は、アンコールに弾いた二曲でした、私的には。
※ここが書き足りない、と指摘を戴いたので書き加えます(2013.10.9)
ショパンの音楽は取っ付きやすくて「サロン音楽」のように感じられるために多くの初学者がレパートリーに入れます。ピアノを弾くのは圧倒的に女性が多いから、女性の多くがショパンをこなします。女性の手によるショパンを聴く機会もとっても多くなる。しかし、ショパンの音楽は、ワルツは優雅で魅力的だが、ポロネーズは力であり、マズルカはポーランドの土臭いリズムであり、スケルツォやバラードは雄大な熱であり、これらはいずれも「男性性」を根源とした魅力に他ならない。その強さ、勢力、リズム、情熱、そういうものが「女性」をうっとりさせる。そういう音楽を女性が演奏するのは女性が相撲をとるような違和感がある、と私は思うのです。
更に言えば、ワルツだって踊ってうっとりしてしまうのは女性のほうです。
しかし、このピアニストにはもっと他にも可能性がある、と感じたのでラフマニノフの録音を買ってみました。というのは、エレーヌ・グリモーのショパンがとても女性的なのにラフマニノフのピアノ協奏曲二番は強烈に力強くて素敵だったからです。同じ事が蔵島由貴さんにもあるのではないか、と思ったからです。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番というのは、色んな人が録音していますが、ホロヴィッツとアルゲリッチが録音したのは第3番のほうです。その理由は何なのか不思議に思うのですが、蔵島由貴さんが2番を録音した理由は「この曲が好きだから」というのは感じられます。テクニックも申し分無く素晴らしいです。ちょっとそこで考えました。「この人は何を目指しているのだろう?」
曲名を覚えていませんが(望郷のアリア?だったかと)アンコールピースの二曲はとても良かった。心地よく聴けました。(シュルホフは好みでなかったしこの人に似合っていないと思いました)あの路線を進んだら良いのに、と思いました。私が助言する事ではありませんが、このピアニストは自分の方向性をどっちにしたらいいか、良い指導者が今いないのだと感じさせる演奏会でした。才能も美貌もあるのだから頑張れ!
写真通りキレイな人です。(10年前の写真を使っている女性が多いのに立派です)
全席4000円の聴衆は、推定85%が中年男性で女性同伴率はほぼゼロです。どうやら、二年振りのリサイタルのようで、長年のファンが心待ちしていた様子が感じられました。
幼少の頃から才能を発揮しても、歳を重ねるに連れてその才能の出方や出し方は変わっていくものだと思います。七歳で天才と言われても、17歳で同じ事はしないだろう、と思う。何故かと言うと感性も違うし、体格も違うし、できることとやりたいことはどんどん変わっていくものだから。
だから、小さい時から才能を発揮してきた人というのは、周囲が予想した道と自分が決める道と、いつもギャップがあるものであり、どちらの方へ進んだらいいのか、子供ながらにも決心を求められる経験数が飛び抜けて多いもののはずです。私がよく思うのは、「好きな音楽」と「自分に合った音楽」とは必ずしも一致しないものだ、と言う事です。多くの女性ピアニストはショパンが大好きです。ソナチネの頃からショパンのワルツは弾けてしまいますのでレパートリーにどんどん入れたくなる。
この方もそうでしょう。久しぶりのリサイタルはショパンのエチュードを15曲も弾きました。ニューアルバムが「ショパンエチュード全集」だからそのお披露目の目的もあったでしょう。
しかし、これは私の趣味嗜好なだけですがショパンはこの方には向いている音楽では無いと演奏を聴いて思いました。確かに素晴らしいテクニックです。自己主張もしっかりとしています。自分の演奏をなさっている。けれども、私には好きになれません。みなとみらいホールで聴く高橋光太郎さんのショパンとは同じショパンでも音色も音楽も違う。女性の弾くショパンは共通したある特徴があると思う。それはここに書くのはおこがましいので控えますが、そもそもはショパンは「女性をうっとりさせる音楽である」という所に根本原因があるのです。女性が「女性をうっとりさせる音楽」を演奏する事に違和感がある※。今回の演奏でもっとも似合っていた曲は、アンコールに弾いた二曲でした、私的には。
※ここが書き足りない、と指摘を戴いたので書き加えます(2013.10.9)
ショパンの音楽は取っ付きやすくて「サロン音楽」のように感じられるために多くの初学者がレパートリーに入れます。ピアノを弾くのは圧倒的に女性が多いから、女性の多くがショパンをこなします。女性の手によるショパンを聴く機会もとっても多くなる。しかし、ショパンの音楽は、ワルツは優雅で魅力的だが、ポロネーズは力であり、マズルカはポーランドの土臭いリズムであり、スケルツォやバラードは雄大な熱であり、これらはいずれも「男性性」を根源とした魅力に他ならない。その強さ、勢力、リズム、情熱、そういうものが「女性」をうっとりさせる。そういう音楽を女性が演奏するのは女性が相撲をとるような違和感がある、と私は思うのです。
更に言えば、ワルツだって踊ってうっとりしてしまうのは女性のほうです。
しかし、このピアニストにはもっと他にも可能性がある、と感じたのでラフマニノフの録音を買ってみました。というのは、エレーヌ・グリモーのショパンがとても女性的なのにラフマニノフのピアノ協奏曲二番は強烈に力強くて素敵だったからです。同じ事が蔵島由貴さんにもあるのではないか、と思ったからです。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番というのは、色んな人が録音していますが、ホロヴィッツとアルゲリッチが録音したのは第3番のほうです。その理由は何なのか不思議に思うのですが、蔵島由貴さんが2番を録音した理由は「この曲が好きだから」というのは感じられます。テクニックも申し分無く素晴らしいです。ちょっとそこで考えました。「この人は何を目指しているのだろう?」
曲名を覚えていませんが(望郷のアリア?だったかと)アンコールピースの二曲はとても良かった。心地よく聴けました。(シュルホフは好みでなかったしこの人に似合っていないと思いました)あの路線を進んだら良いのに、と思いました。私が助言する事ではありませんが、このピアニストは自分の方向性をどっちにしたらいいか、良い指導者が今いないのだと感じさせる演奏会でした。才能も美貌もあるのだから頑張れ!
池辺晋一郎氏の企画ものは今までハズレがなく、トム・ストッパード作、音楽がアンドレ・プレヴィンと聞いては行くしか無いだろう、と出かけました。
つまらなかった。
コンサートで寝たのは初めてです。
トム・ストッパード、アンドレ・プレヴィンが作ったと言っても、実は1970年代のソ連が舞台で1980年代から池辺先生が何度も日本で上演したかったけれど企画は数度挫折。ようやく今回実現した、ということで池辺先生は「決して過去の遺物とは言えないこの戯曲をいま上演することに、非常に重い意味があると信じています」とプログラムに書いていますが、旬を過ぎた作品、特に政治的な内容を持ったものは時代の空気が変わっている現代ではその内容を感得することは難しい。
と思いました。
あとは、台詞が日本語なのですが、これはサントリー大ホールの残響が大きい所為があると聞きましたが、とても聞き取りにくい。何を言っているのか、かなりの部分で分かりませんでした。
一緒に行った
も退屈したようでした。(寝てたかどうかは見てません)
池辺先生の思い入れが、予算と機会を得て実現した、そこにしか意味が無いように思いました。アフタートークも聞かずに退場するお客さんがゾロゾロいました。イタリアンを食べて帰りました。日本初演ですが、二度と上演される事は無いと思いました。
9月10日(火)19:00 大ホール
<演劇とオーケストラが出会うとき>
◇演目
『良い子にご褒美』―俳優とオーケストラのための作品(1976)日本初演
作:トム・ストッパード、音楽:アンドレ・プレヴィン
上演時間:約1時間(休憩なし)日本語上演
台本翻訳・演出=村田元史、制作=演劇企画JOKO
◇出演
指揮=飯森範親
俳優※2: アレクサンドル=鳥畑洋人、イワーノフ=牛山茂、サーシャ=堀川恭司、医者=北川勝博、教師=服部幸子、大佐=三輪学
※2 堀川恭司のみ劇団ひまわり、その他は劇団昴所属
管弦楽=東京交響楽団
つまらなかった。
コンサートで寝たのは初めてです。
トム・ストッパード、アンドレ・プレヴィンが作ったと言っても、実は1970年代のソ連が舞台で1980年代から池辺先生が何度も日本で上演したかったけれど企画は数度挫折。ようやく今回実現した、ということで池辺先生は「決して過去の遺物とは言えないこの戯曲をいま上演することに、非常に重い意味があると信じています」とプログラムに書いていますが、旬を過ぎた作品、特に政治的な内容を持ったものは時代の空気が変わっている現代ではその内容を感得することは難しい。
と思いました。
あとは、台詞が日本語なのですが、これはサントリー大ホールの残響が大きい所為があると聞きましたが、とても聞き取りにくい。何を言っているのか、かなりの部分で分かりませんでした。
一緒に行った
も退屈したようでした。(寝てたかどうかは見てません)池辺先生の思い入れが、予算と機会を得て実現した、そこにしか意味が無いように思いました。アフタートークも聞かずに退場するお客さんがゾロゾロいました。イタリアンを食べて帰りました。日本初演ですが、二度と上演される事は無いと思いました。
9月10日(火)19:00 大ホール
<演劇とオーケストラが出会うとき>
◇演目
『良い子にご褒美』―俳優とオーケストラのための作品(1976)日本初演
作:トム・ストッパード、音楽:アンドレ・プレヴィン
上演時間:約1時間(休憩なし)日本語上演
台本翻訳・演出=村田元史、制作=演劇企画JOKO
◇出演
指揮=飯森範親
俳優※2: アレクサンドル=鳥畑洋人、イワーノフ=牛山茂、サーシャ=堀川恭司、医者=北川勝博、教師=服部幸子、大佐=三輪学
※2 堀川恭司のみ劇団ひまわり、その他は劇団昴所属
管弦楽=東京交響楽団
えむの集いコンサート(2013.7.6)で初めて見てすっかり魅了された「独楽」のコンサートに行きました。これから始まる東日本大震災復興支援コンサートの初日だそうです。
すみだトリフォニーホールでは太鼓の持ち込みを断られた(←ひどい話しです)そうなので、太鼓は初めて見ました。素晴らしいです。和楽器の演奏がこんなに凄いものとは恥ずかしながら知りませんでした。
スケジュールとプロフィール
京極由加さんはえむの集いコンサートには出てなかったので初めて見ましたが唄も歌うんですね。次回は是非マイク無しでやって欲しいものです。あれだけ声量があるので十分いけるでしょう。
しかし、尺八の川崎貴久さんはカッコいいです。オリジナル曲の「戦」を今回も演奏してくれましたが尺八と三味線と箏の絡み合いの躍動感が素晴らしい。和楽器は大人しく拝聴するものと思っていましたが目が開きました。私もいずれサブ尺八で参加させて戴きたいです。2020年までにはなんとか...。(CD買ってサインもしてもらいました)
盛り上がって終わりかけた所、予定外の人が出てきました。まったく和楽器と関係ないシンガーソングライターだそうで、雰囲気をぶち壊してました。関西弁のダラダラしたおしゃべり、つまらない勘違いソング。なんでこんな人が出てきたんでしょう。松本ナントカという名前でした。昔、日比谷の野音でロックコンサートがあったときお呼びでない歌手が出てきたら「帰れ」コールが起こりましたが、そういう雰囲気でした。どういう事情があったのか知りませんが、あの松本ナントカをツアーに連れてったら「独楽」の評価は確実に下がります。考え直して下さい >> 植木陽史さん
※連れを含めて多くの人がそう思ってるので敢えて書きました。
すみだトリフォニーホールでは太鼓の持ち込みを断られた(←ひどい話しです)そうなので、太鼓は初めて見ました。素晴らしいです。和楽器の演奏がこんなに凄いものとは恥ずかしながら知りませんでした。
スケジュールとプロフィール
京極由加さんはえむの集いコンサートには出てなかったので初めて見ましたが唄も歌うんですね。次回は是非マイク無しでやって欲しいものです。あれだけ声量があるので十分いけるでしょう。
しかし、尺八の川崎貴久さんはカッコいいです。オリジナル曲の「戦」を今回も演奏してくれましたが尺八と三味線と箏の絡み合いの躍動感が素晴らしい。和楽器は大人しく拝聴するものと思っていましたが目が開きました。私もいずれサブ尺八で参加させて戴きたいです。2020年までにはなんとか...。(CD買ってサインもしてもらいました)
盛り上がって終わりかけた所、予定外の人が出てきました。まったく和楽器と関係ないシンガーソングライターだそうで、雰囲気をぶち壊してました。関西弁のダラダラしたおしゃべり、つまらない勘違いソング。なんでこんな人が出てきたんでしょう。松本ナントカという名前でした。昔、日比谷の野音でロックコンサートがあったときお呼びでない歌手が出てきたら「帰れ」コールが起こりましたが、そういう雰囲気でした。どういう事情があったのか知りませんが、あの松本ナントカをツアーに連れてったら「独楽」の評価は確実に下がります。考え直して下さい >> 植木陽史さん
※連れを含めて多くの人がそう思ってるので敢えて書きました。
「津軽三味線で日本一になった若い演奏家のライブがある」と
の友人に誘われて
私も
とともにMプロジェクト参加を目指して尺八を始めたこともあり(内輪話で済みません)
目黒まででかけました。
そうしたら、J-PROJECTというのは実はフュージョン・バンド(?)或は50歳代後半のメンバーによるオヤジ系ロックバンド(?)に、津軽三味線大会で日本一になったという大学四年生の三味線弾きが混ざっている、という非常に分かり難いバンドでした。
いきなりエレクトロリックな三味線のリードが演奏され、
「この音楽を三味線でやる意味がまったく無い」と
強い抵抗感を持ちました。
やっている音楽はこの若い三味線弾き(藤井黎元・ふじいれいげん)君がほとんど作曲しているそうです。
キライですね。時代遅れのフュージョン、まさに習作というブルース、なんで津軽三味線なんだ?
日本の楽器というのアタックの音が濁っていて減衰が激しい、ということに特徴と味があるのです。
お琴は桐だし、尺八は竹、三味線は動物の皮でできてるのもその所為です。
そういう音が津軽三味線の魅力なのに、なぜ減衰の無い音を電気的に作ってエレキギターに似せないとならないのか?エレキギターでやればいいじゃん?
観客は白髪の人が多く、みんな「津軽三味線」を聴きにきたのに、大音量のオヤジバンドライブを聴かされて呆気にとられていたようです。前半が終わった所で帰ろうかと思いましたが後半は伝統的な津軽三味線の曲をソロでやる、と
がどこからから聴いてきたので、残る事にしました。
このソロは良かった。インプロヴァイゼーションですね。これは「私にしかできない」という音楽をやっていた。拍手も多かった。これだけ最初からやれば良いのに、と強く思いました。
30分ほどやって、あとはまたまた自己満足のオヤジバンド。自分たちが一番楽しんでる様子。
やってる曲も古くさいです。ヤードバーズかクリームのコピーか、要するにエリック・クラプトン世代なんです。
大学四年生で日本一になったという才能は感じられるが、どれだけの奏者がその大会に出るものなのか、例えば独楽の植木陽史さんみたいな人がコンテストに出るか、というと、出ないだろう。そんなもの目指してないし、と思う。
この子(藤井黎元くん)は、三味線だけの世界に退屈してるんだと感じられた。
周りはお父さんの友人バンドで暖かく見守ってあげよう雰囲気はあるけど、世代的に合っていない。同じ量の熱エネルギーが感じられない。才能は認めているしなんとか育ててあげたいと考えているのは伝わって来るけど、MCの話しは噛み合っていないし面白くもないし、「君は進むべき道を誤っている」と言っておきます。
津軽三味線 日本一決定戦 第5代日本一 藤井黎元 「津軽じょんから節」
こんなに弾けてしまって、あと何したらいいのか分かんない時期なんだろうと思います
の友人に誘われて私も
とともにMプロジェクト参加を目指して尺八を始めたこともあり(内輪話で済みません)目黒まででかけました。
そうしたら、J-PROJECTというのは実はフュージョン・バンド(?)或は50歳代後半のメンバーによるオヤジ系ロックバンド(?)に、津軽三味線大会で日本一になったという大学四年生の三味線弾きが混ざっている、という非常に分かり難いバンドでした。
いきなりエレクトロリックな三味線のリードが演奏され、
「この音楽を三味線でやる意味がまったく無い」と
強い抵抗感を持ちました。
やっている音楽はこの若い三味線弾き(藤井黎元・ふじいれいげん)君がほとんど作曲しているそうです。
キライですね。時代遅れのフュージョン、まさに習作というブルース、なんで津軽三味線なんだ?
日本の楽器というのアタックの音が濁っていて減衰が激しい、ということに特徴と味があるのです。
お琴は桐だし、尺八は竹、三味線は動物の皮でできてるのもその所為です。
そういう音が津軽三味線の魅力なのに、なぜ減衰の無い音を電気的に作ってエレキギターに似せないとならないのか?エレキギターでやればいいじゃん?
観客は白髪の人が多く、みんな「津軽三味線」を聴きにきたのに、大音量のオヤジバンドライブを聴かされて呆気にとられていたようです。前半が終わった所で帰ろうかと思いましたが後半は伝統的な津軽三味線の曲をソロでやる、と
がどこからから聴いてきたので、残る事にしました。このソロは良かった。インプロヴァイゼーションですね。これは「私にしかできない」という音楽をやっていた。拍手も多かった。これだけ最初からやれば良いのに、と強く思いました。
30分ほどやって、あとはまたまた自己満足のオヤジバンド。自分たちが一番楽しんでる様子。
やってる曲も古くさいです。ヤードバーズかクリームのコピーか、要するにエリック・クラプトン世代なんです。
大学四年生で日本一になったという才能は感じられるが、どれだけの奏者がその大会に出るものなのか、例えば独楽の植木陽史さんみたいな人がコンテストに出るか、というと、出ないだろう。そんなもの目指してないし、と思う。
この子(藤井黎元くん)は、三味線だけの世界に退屈してるんだと感じられた。
周りはお父さんの友人バンドで暖かく見守ってあげよう雰囲気はあるけど、世代的に合っていない。同じ量の熱エネルギーが感じられない。才能は認めているしなんとか育ててあげたいと考えているのは伝わって来るけど、MCの話しは噛み合っていないし面白くもないし、「君は進むべき道を誤っている」と言っておきます。
津軽三味線 日本一決定戦 第5代日本一 藤井黎元 「津軽じょんから節」
こんなに弾けてしまって、あと何したらいいのか分かんない時期なんだろうと思います
横浜市都筑区の文化を育てるボランティア活動のひとつで
毎年8月の終わりに開催して今回で15回目とのこと。

無料です。
基本、横浜出身のアーティストが出演するそうです。

会場は野外広場。1000人は座れるでしょう。(椅子はありません)

(都筑クラブHPから拝借しました)
プログラムです。

こんなに充実して子ども連れで見られて楽しいコンサートを15年もやってるのは偉い!
さすがに国際都市横浜、文化の価値を知る都筑区民!
(因みに横浜市長【先月再選】も都筑区長も女性です)
コンサートの充実度は言わずもがな素晴らしかったですが、
このコンサートの雰囲気を盛り上げて大活躍したのはソプラノの中野亜維里(なかのあいり)さんです。
初めて見ましたが、大変な成績を残している人のようです。現在まだ藝大の院生。
当日は風が強かったんですが、細い身体が風に吹き飛ばされて息継ぎが途切れて歌は飛ぶし(珍しい見ものです)「乾杯の歌」では「皆さん一緒に乾杯のポーズをしましょう!」と(幼稚園の先生か?(笑))なんとドリンク剤の低カロリー版(←本人の説明に依る)【リポビタンフィールと思われる】を真っ白いドレスの裾から出して(ポケットでもあるのか?(笑))乾杯のポーズしました。
ドリンク剤で乾杯の歌を歌った歌手は初めて見ました。(笑)(そして二度と無いであろう)
歌も上手。喋りも明るい。典型的な『天然』の方です。横浜開港祭親善大使もしてたし雑誌のモデルもしてるそうですからグーグルすればお顔は見れるでしょう。
この子はスターになるでしょう。愛されるキャラです。(このブログのテーマを「歌手」にしました)
見かけたら応援してあげて下さい。(笑)
毎年8月の終わりに開催して今回で15回目とのこと。

無料です。
基本、横浜出身のアーティストが出演するそうです。

会場は野外広場。1000人は座れるでしょう。(椅子はありません)

(都筑クラブHPから拝借しました)
プログラムです。

こんなに充実して子ども連れで見られて楽しいコンサートを15年もやってるのは偉い!
さすがに国際都市横浜、文化の価値を知る都筑区民!
(因みに横浜市長【先月再選】も都筑区長も女性です)
コンサートの充実度は言わずもがな素晴らしかったですが、
このコンサートの雰囲気を盛り上げて大活躍したのはソプラノの中野亜維里(なかのあいり)さんです。
初めて見ましたが、大変な成績を残している人のようです。現在まだ藝大の院生。
当日は風が強かったんですが、細い身体が風に吹き飛ばされて息継ぎが途切れて歌は飛ぶし(珍しい見ものです)「乾杯の歌」では「皆さん一緒に乾杯のポーズをしましょう!」と(幼稚園の先生か?(笑))なんとドリンク剤の低カロリー版(←本人の説明に依る)【リポビタンフィールと思われる】を真っ白いドレスの裾から出して(ポケットでもあるのか?(笑))乾杯のポーズしました。
ドリンク剤で乾杯の歌を歌った歌手は初めて見ました。(笑)(そして二度と無いであろう)
歌も上手。喋りも明るい。典型的な『天然』の方です。横浜開港祭親善大使もしてたし雑誌のモデルもしてるそうですからグーグルすればお顔は見れるでしょう。
この子はスターになるでしょう。愛されるキャラです。(このブログのテーマを「歌手」にしました)
見かけたら応援してあげて下さい。(笑)
ミラマーレ・オペラ(主催団体)は、2011年のみなとみらいで観た「こうもり」が非常に面白かったので、以来注目しています。
特に主宰者の松山郁雄さんのコメディのセンスが抜群で、日本にはなかなかいないタイプなのが好きです。
今回は湯浅桃子さんが出演するということで楽しみにしていましたが、お二人とも役柄にぴったり嵌っていて感動しました。特に湯浅さんの最後まで衰えない素晴らしい声量と声のコントロール、この人は日本のソプラノのトップランナーの一人と思います。容姿も優れているし(写真参照下さい)、フィオルディリージという純真無垢な乙女が婚約者以外の男の誘惑に抵抗できずに純潔を汚してしまうという、演技も歌唱表現も要求される役柄を見事にやってのけて「こんなに奇麗な女性も人間なんだなぁ」という、モーツァルトのいつもの主張をとてもよく体現していました。その乙女心が揺れていく過程を見ながら、ドキドキしてしまいました。今まで、ガイジンの立派な体躯のソプラノがいくらこの役をやっても「そういうもんだろうな...」と思ったものですが、こんなに危ういフィオルディリージ(長い名前だ...)を演じた人を見た事がありません。
しかーし、初めて見ましたが山口佳子さん、この人が素晴らしかった。(デスピーナ役)
デスピーナというのは、私が説明するのもなんですが、ひとりで何役もやりますがそれは「人間の奥深い多様性」の象徴なんです。いろんな顔をもっているが、その奥底にあるのは「真に人生を生きている人間」であり、仮面を剥がされるような他の四人に比べてずっと人間を知っている人生の達人なのだろうと思います。それは、自身に奥深い多様な「引き出し」を持っていないと演じられるものではない。歌がうまくてその上コミカルな演技もこなす。「芸術の為にはすべてを捨てる覚悟」まで兼ね備えている声楽家は希少です。よっぽどアタマが良くないとできないと思います。プロフイールを見ると「東京藝術大学、大学院卒」とあります。納得しました。
ミラマーレ・オペラにはいつもそういう「歌も抜群だがコミカルな演技も素晴らしい」という声楽家がかならず出てきます。それは主宰者の松山郁雄さんの製作意図の中に大きな位置を占めている事なのだろうと思う。
素晴らしかったです。本日と明日(2013.8.31と9.1)もあります。当日券も少しだけあるようです。
お薦めします。
ミラマーレ・オペラ HP
特に主宰者の松山郁雄さんのコメディのセンスが抜群で、日本にはなかなかいないタイプなのが好きです。
今回は湯浅桃子さんが出演するということで楽しみにしていましたが、お二人とも役柄にぴったり嵌っていて感動しました。特に湯浅さんの最後まで衰えない素晴らしい声量と声のコントロール、この人は日本のソプラノのトップランナーの一人と思います。容姿も優れているし(写真参照下さい)、フィオルディリージという純真無垢な乙女が婚約者以外の男の誘惑に抵抗できずに純潔を汚してしまうという、演技も歌唱表現も要求される役柄を見事にやってのけて「こんなに奇麗な女性も人間なんだなぁ」という、モーツァルトのいつもの主張をとてもよく体現していました。その乙女心が揺れていく過程を見ながら、ドキドキしてしまいました。今まで、ガイジンの立派な体躯のソプラノがいくらこの役をやっても「そういうもんだろうな...」と思ったものですが、こんなに危ういフィオルディリージ(長い名前だ...)を演じた人を見た事がありません。
しかーし、初めて見ましたが山口佳子さん、この人が素晴らしかった。(デスピーナ役)
デスピーナというのは、私が説明するのもなんですが、ひとりで何役もやりますがそれは「人間の奥深い多様性」の象徴なんです。いろんな顔をもっているが、その奥底にあるのは「真に人生を生きている人間」であり、仮面を剥がされるような他の四人に比べてずっと人間を知っている人生の達人なのだろうと思います。それは、自身に奥深い多様な「引き出し」を持っていないと演じられるものではない。歌がうまくてその上コミカルな演技もこなす。「芸術の為にはすべてを捨てる覚悟」まで兼ね備えている声楽家は希少です。よっぽどアタマが良くないとできないと思います。プロフイールを見ると「東京藝術大学、大学院卒」とあります。納得しました。
ミラマーレ・オペラにはいつもそういう「歌も抜群だがコミカルな演技も素晴らしい」という声楽家がかならず出てきます。それは主宰者の松山郁雄さんの製作意図の中に大きな位置を占めている事なのだろうと思う。
素晴らしかったです。本日と明日(2013.8.31と9.1)もあります。当日券も少しだけあるようです。
お薦めします。
ミラマーレ・オペラ HP
OPERA NOVELLAという団体の第四回公演
主催は(交財)座間市スポーツ・文化振興財団
ハーモニーホール座間オペラワークショップメンバー参加、とありますから市民オペラなのかも知れません。
座間ってどこ?ですが、神奈川県の中央です。以前(2012.6.10)、市民オペラの「カルメン」をやった綾瀬市のそば。どちらも、駅から遠い市役所のそばにとても立派なホールが建てられていてびっくりするような場所です。
ローカルな、地域の催しですが、綾瀬市のカルメン同様、こちらの蝶々夫人も素晴らしかった。
日本のプロの団体のオペラがことごとく面白くないのと対照的です。
なぜかな、と思うに、プロの団体のオペラって、出演者たちから「これは仕事」という雰囲気が漂っているからだと感じる。出演者どうしはけっして仲が良い訳ではない、対抗意識もある、そのうえ「誰の為に演じ歌唱しているか」というのが「観客のために」ではなく「自分の稼ぎやキャリアのため」であり、「仲間と共に作り上げている」という情熱が感じられないのがプロ団体の公演の特徴と思います。(はっきり言うと東京二期会の事です)
市民オペラはそこが決定的に違う。作品への奉仕と情熱が違う。上演する喜び、というものが感じられる。
この公演は素晴らしかったです。招待券をたくさん配っているらしく、只同然で譲ってもらいました。申し訳ありません。
西本真子さんを初めて聴きました(蝶々夫人役)が、素晴らしいです。二期会の人じゃないんですね。最後まで豊かな声量と心を打つ演技で、最後の子どもと別れるときのアリア「名誉を守ることができない者は名誉のために死ぬ」は涙出ました。この人の歌唱は他の男性歌手の声量を圧倒しています。着物姿で一幕から汗びっしょりで、大変だろうに最後まで勢いが衰えませんでした。素晴らしいです。
蝶々夫人と二重唱をしたスズキ役の二瓶純子さんも声質が西本真子さんに似ている美しい声で二人のデュエットは特に良かった。この人も二期会の人ではないんですね。
合唱団はそれぞれ多分自前の素敵な着物を着ていて、これは自主参加の市民オペラならではだろうと思いました。(あんなに沢山の衣装を揃えるのはお金がかかります)着物姿も美しいですが、やはり「蝶々夫人」は日本人で演じてもらいたい演目だなぁ、と改めて思いました。
蝶々夫人で私が気になるのは「ケイト」の存在です。
ケイトは結婚三年未満の夫に隠し子がいたわけで、それは蝶々夫人に勝るとも劣らない悲劇のヒロインなはずです。しかし、どの演出を観てもケイトは端役扱いで歌も短い。その内面表現がなされないまま蝶々夫人の産んだ子どもを引き取って育てるという申し出をするのです。
この気持ちが理解できない。
日本人だったらそんなこと言うだろうか?
ピンカートンとは「即離婚」ではないだろうか?
ケート役の歌手はケートの気持ちを理解して舞台に立っている筈。
以前、ケート役のメゾソプラノの人にこのことを訊いてみた事があります。
こう答えました。
「役についてお話しする事は何もありません。」
「『私が何を考え解釈して舞台に立ったか』は聞いたり・読んだりすることではないと考えます。
私はそのために舞台に立つのですから必要ないと思います。分かる人もいるだろうし、分からない人は忘れるのです。」
・・・言葉を失いました(笑)
同じ事をマリア・カラスが言っていた事をのちになって知りました。
主催は(交財)座間市スポーツ・文化振興財団
ハーモニーホール座間オペラワークショップメンバー参加、とありますから市民オペラなのかも知れません。
座間ってどこ?ですが、神奈川県の中央です。以前(2012.6.10)、市民オペラの「カルメン」をやった綾瀬市のそば。どちらも、駅から遠い市役所のそばにとても立派なホールが建てられていてびっくりするような場所です。
ローカルな、地域の催しですが、綾瀬市のカルメン同様、こちらの蝶々夫人も素晴らしかった。
日本のプロの団体のオペラがことごとく面白くないのと対照的です。
なぜかな、と思うに、プロの団体のオペラって、出演者たちから「これは仕事」という雰囲気が漂っているからだと感じる。出演者どうしはけっして仲が良い訳ではない、対抗意識もある、そのうえ「誰の為に演じ歌唱しているか」というのが「観客のために」ではなく「自分の稼ぎやキャリアのため」であり、「仲間と共に作り上げている」という情熱が感じられないのがプロ団体の公演の特徴と思います。(はっきり言うと東京二期会の事です)
市民オペラはそこが決定的に違う。作品への奉仕と情熱が違う。上演する喜び、というものが感じられる。
この公演は素晴らしかったです。招待券をたくさん配っているらしく、只同然で譲ってもらいました。申し訳ありません。
西本真子さんを初めて聴きました(蝶々夫人役)が、素晴らしいです。二期会の人じゃないんですね。最後まで豊かな声量と心を打つ演技で、最後の子どもと別れるときのアリア「名誉を守ることができない者は名誉のために死ぬ」は涙出ました。この人の歌唱は他の男性歌手の声量を圧倒しています。着物姿で一幕から汗びっしょりで、大変だろうに最後まで勢いが衰えませんでした。素晴らしいです。
蝶々夫人と二重唱をしたスズキ役の二瓶純子さんも声質が西本真子さんに似ている美しい声で二人のデュエットは特に良かった。この人も二期会の人ではないんですね。
合唱団はそれぞれ多分自前の素敵な着物を着ていて、これは自主参加の市民オペラならではだろうと思いました。(あんなに沢山の衣装を揃えるのはお金がかかります)着物姿も美しいですが、やはり「蝶々夫人」は日本人で演じてもらいたい演目だなぁ、と改めて思いました。
蝶々夫人で私が気になるのは「ケイト」の存在です。
ケイトは結婚三年未満の夫に隠し子がいたわけで、それは蝶々夫人に勝るとも劣らない悲劇のヒロインなはずです。しかし、どの演出を観てもケイトは端役扱いで歌も短い。その内面表現がなされないまま蝶々夫人の産んだ子どもを引き取って育てるという申し出をするのです。
この気持ちが理解できない。
日本人だったらそんなこと言うだろうか?
ピンカートンとは「即離婚」ではないだろうか?
ケート役の歌手はケートの気持ちを理解して舞台に立っている筈。
以前、ケート役のメゾソプラノの人にこのことを訊いてみた事があります。
こう答えました。
「役についてお話しする事は何もありません。」
「『私が何を考え解釈して舞台に立ったか』は聞いたり・読んだりすることではないと考えます。
私はそのために舞台に立つのですから必要ないと思います。分かる人もいるだろうし、分からない人は忘れるのです。」
・・・言葉を失いました(笑)
同じ事をマリア・カラスが言っていた事をのちになって知りました。












