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リーベショコラーデ

thoughts about music and singers

東銀座の東劇でにゃーと観てきました。

ライブビューイング、というのはアメリカのメトロポリタン劇場のオペラ公演を映画にして日本語の字幕もつけて上映するものです。

生の声ではないし、大きな音は割れてしまうし、オペラの観劇とはまったく別体験ですが3,000円で観れるので良しでしょう。平日の昼間のせいもあって、客席は二割しか入っていません。



前売りのチケットを買うとどれでも好きなものを観れるのですが、リゴレットにしました。ポスターが魅力的だったからです。まるでミュージカル?

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METライブビューイングの目玉は私的にはRenée Flemingがするインタビューです。
Renée Flemingはもちろん高名なソプラノ歌手ですが、インタビューが上手!
口べたな多くの音楽家から話題を引き出してリードするのが素晴らしい。

主役はディアナ・ダムラウ(ソプラノ)でしたが、インタビューではまるでオペラ歌手のオーラの無い素の姿を見せていて、飾らない姿に共感を覚えました。「どのへんが大変だった?」というフレミングの質問に「私はそうでもないけど一番大変だったのは重たい私を運んだ人たちでしょう」などと笑わせます。(棺桶に入れられて誘拐されるシーンのこと)

たいていの音楽家は言語表現が苦手な人が多いけれど、必ず何かメッセージを内に持っている筈。そこを突くのがフレミングは上手なのです。

この演出について観客の興味は「ミュージカルとどこが違うと思うか」でしょう。期待通り、演出家(マイケル・メイヤー)にその事を質問してくれました。彼の答えがまた良かった。(彼はミュージカルの演出で有名な人らしいです)
「ミュージカルもオペラも、豪華な舞台セットがあって、華麗な衣装があって、舞台では歌手が歌を歌う、とっても似ていると思っていたが、やってみたらまったく違うものだと思った」「オペラ歌手は、練習に現れた時点で既に役についての自分の解釈を持ってきている」「演出家が一から指示したりする必要がまったくありません」「あとは歌手と共同作業のようなもの」

同じ事を歌手たちにも質問していました。「伝統的な演出とこの演出と何が違いましたか?」

リゴレット役のジェリコ・ルチッチは「衣装が違う」とまず言いました。更にフレミングが突っ込むと「どちらの演出も素晴らしいです」と言うので、私がフレミングのアタマの良さを持ち上げていたのを聞いていたにゃーは「答えられない質問じゃないのかしらね?どっちがアタマ良い?」などと私に突っ込んできました。

ディアナ・ダムラウにも同じ質問していました。答え「衣装が違います」ガーン


ま、いいか。

最後までお読み戴き有り難うございました。
昨日行ってきました
前売り全席2000円

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プログラム(☆印はソプラノ歌唱)

☆ドナウディ  ああ、愛する人の
☆モーツァルト『イドメネオ』より いとしい人よ
ショパン    即興曲第1番 変イ長調 作品29
        ノクターン 第13番 ハ短調 作品48-1
☆ヴィヴァルディ『バジャゼ』より 花嫁として侮辱され
☆ヘンデル   『サムソン』より イスラエルの女のアリア
シューマン   蝶々 作品2
☆モーツァルト『ドン・ジョバンニ』より 酷ですって?~私に語らないで

休憩

☆ベッリーニ 『カプレーティとモンテッキ』より 今、私は婚礼の衣装を着せられ~ああ、幾度か
ラヴェル   『鏡』より 悲しい鳥たち
ラヴェル   『鏡』より 道化師の朝の歌
☆ロッシーニ 『セミラーミデ』より 麗しい光が
ショパン    舟歌 嬰ヘ長調 作品60
☆プッチーニ 『蝶々夫人』より ある晴れた日に


このDuoを聴くのは二回目で、期待通りの内容!
もう、今後死ぬまで毎回通う事にしました。


塩谷裕子さんの声というのは独特の響きがあって、歌詞をメロディに載せているのではなく
声自体が音楽のような声をしていらっしゃる。歌詞なんか分からなくてもOK、その響きだけで魅了される声なのです。

前にも書いたけれど、人間性の深みが伝わってくる。「音大を出ました」とか「二期会研修所出ました」とか、そういう音楽教育以外の、人間の「経験」というものの裏付けが感じられる歌唱なのです。
※「声楽家」を名乗る人とはまったく異なる歌唱をする人です。
【職業は歯医者さんらしいです】

ソプラノ好きの方は是非、一度聴きに行かれる事をお薦めします。


全部の感想を書くのは長文になるので抜粋にさせて戴きます。

(1)ショパン 即興曲第1番 変イ長調 作品29

  ショパンは男の弾く音楽だ、と言うのが私の持論ですが高橋光太郎さんはそれです。
  男の弾くショパンというものを体現している。この曲の高橋さんの演奏は優美で情熱的で流麗で
  グランドピアノの開口部(蓋の持ち上がった部分)から清流がどんどん流れ出て
  舞台から降りてきてホールの床を後方部まで滔々と流れて行くという映像が見えるような
  気がしました。
  また、このホールのスタンウェイの調子が良いのかピアニストと相性が良いのか、
  声楽的な表現や音の響きがえらく美しくて、これぞショパン! これがショパン!と何度も心の中で言いました。
  ピアノの勉強をしている人は是非、一度聴きに行かれる事をお薦めします。
  「ショパンは男が弾くもの」信念を固くしました。


(2)シューマン 蝶々 作品2

  同上です。シューマンも男の弾く音楽だと思います。クララ・シューマンがどんな演奏を
  したのか聴いてみたいものですがそれは叶わぬことです。


(3)ラヴェル『鏡』より 道化師の朝の歌

  「のだめカンタービレ」をDVDで観た事があるのですが、のだめがパリでオクレール先生
   から初めて個人レッスンを受けて、こう言われるシーンがありました。
 
  「全然だめだねぇ」
  「君より技術の高い子はいくらでもいる」
  「君はパリに何をしに来たの?」
  「君はどんな音楽をしたいの?」
  「自分の音楽をしなさい」
  
  コテンパンです。

  日本の音大生というのはピアノに限らず「譜面の忠実な再生」ばかりを考えている。
  「自分の音楽」というものを考えていない、と私は常々思います。それは
  教える側がそういう視点を持っていないからという所為もあるでしょう。
  のだめは今まで「言われた通りの事を一生懸命やってきた」のがここで初めて否定されて
  落ち込む訳です。で、そのあと南フランスの貴族の演奏会に呼ばれて、今までの自分の殻を
  破って弾くのがラヴェル『鏡』より 道化師の朝の歌 だった。

  客席で聴いていた指揮者の千秋先輩はコンサートの後にのだめにこう言います。

  「おまえ、冒頭をffで始めた時は心臓が止まりそうになったぞ!」

  楽譜はmf指定なのに、のだめは「自分の音楽」をしたかった。
  これは、話しが長くなりますがショパンコンクールでショパンが弱音指定した部分を強打して弾いて
  審査員の評価が割れて、審査員だったアルヘリッチ【女性で初めてショパンコンクールで優勝した】が
  「この子は天才だ。この子を評価しないなら審査員を降りる」とかなんとか言って帰国してしまった
  というエピソードを元に作者が「音楽は自分の思う通りに弾いて良いんだ」という主張を描きたかった
  のだと思うのですが、さて高橋さんがどう弾き始めるか、やや興奮して待ちました。

  メゾフォルテで弾きました。(譜面通りです)

  やはり、と思った。

  ただ単純に出だしをフォルテッシモで弾いても意味ないもん。聴き進むと大きなデュナーミクで
  自在に音楽の彩りを与えている。これが「自分の解釈の表現」というものなのだと納得したわけです。
  のだめのあのシーンはそれを「冒頭の音の強弱」に単純化してみせただけなのだと。

  同時に結局「音楽の解釈」というのは譜面の忠実な再生の事ではなく
  弾き込んで行くと「結局のところ譜面が再生される事になる」というものではないのかな、と
  そういう事を考えた演奏でした。良かったです。勉強になりました。

  ピアノの勉強をしている人は是非、一度聴きに行かれる事をお薦めします。


(4)ショパン 舟歌 嬰ヘ長調 作品60

  本日の白眉だったと思います。(私的に)

  舟歌って、ポピュラーなだけに色んな人が弾くのを聴きますが
  これぞ「男の弾くショパン音楽の代表曲」のように日頃から思います。
  ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番をあんなに硬質に男性以上に固く弾いたエレーヌ・グリモーも
  舟歌を弾くと別人のように女性的な弾き方をしてしまう。それはそれで素晴らしい演奏なのですが
  私的には納得しきれません。有名な録音ではアルヘリッチが1960年のデビュー、19歳のときに
  したものがありますが、素晴らしい演奏ですが最後の風のように弾いたあとにした強音の
  打鍵はまさに「男性的なエンディング」を志したからだとおもうのですが、あれこそ
  「男性になれない事」の、何というか「壁」を鍵盤に叩き付けた、かのように聞こえるのです。

  偏見や女性蔑視のつもりはありません。そこで高橋さんの舟歌、それは私の求める理想的な演奏でした。
  「そう!これがショパンの舟歌!」だった。

  ピアノの勉強をしている人は是非、一度聴きに行かれる事をお薦めします。


(5)リスト 愛の夢(アンコール)

  愛の夢というのは私的には「女性の友達が披露宴で弾く定番」で(笑)
  暗譜できない人の為に本番で譜めくりもした事があるくらいよく聴いた曲ですが
  好きな曲ではありません。とくに女性が弾くときに(偏見はありませんが)
  あの上体を大袈裟に動かしてうねるような腕使いで弾くワザとらしさがキライなのです。
  
  そうしたら流石に高橋さん、曲にまったく阿(おも)ねっていない演奏をしました。
  ※ ネトレプコが「歌に情感は込めない」と言っていましたがこの曲は無用に情感を込めて弾く人が
   多い為に今まで不当に通俗的に聞こえていたんだ、という事に気がついた演奏でした。

  弾き終わった最後に両腕の「どうだ~!」のポーズがあったのにフライング拍手に襲われて 
  決めポーズがすぐに終わってしまったのが至極残念でした。あそこは「押さえ込み一本!」
  のコールを待って欲しかった→聴衆のみなさん。


もう、言うことなし!のコンサートでした。2000円、シアワセ過ぎます!有り難うございました。


★番外

おばさんというのはどうしてああ「おしゃべり」がウルサイんでしょうね。。。
おばさんの二人連れは並んで座ってはいけない、というルールを作って欲しいものだと思いました。
(おばさんは好きです)


■ 次回公演

2013年11月21日(木) 18:30 開演 神奈川県民ホール 小ホール
お問合せ ヴィーヴル・ワイ 042-576-6545

会場でお会いしましょう→ピアノや声楽の勉強をしている人

没後一年 追悼企画「ヘンツェを語り、奏でる夕べ」2013.7.17@ドイツ文化会館に行ってきました。

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10月10日に予定されている↓このコンサートのプレトーク+演奏会です。
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指揮者の沼尻さんは何度も聴いた事がありますが、喋るのを見た事が無いので興味を持って行きました。

ヘンツェ、というのはドイツの現代音楽家ですから、だいたいどんなもんか予想できましたが、(ドイツの現代物というのは文学もアートもまったく同じで苦手です)音楽は私には「雑音の連続」です。(困)

現代音楽、というのがそもそも大嫌いです。苦痛なくらい。何故かと言うと「自己主張自己満足のオンパレード」「オレの音楽だ好きにやってるんだ」演奏者が音程を外しても聴いていても気がつかない。それが現代音楽。キライです。初めて聴きましたがヘンツェもそうでした。

ただ、演奏自体は良かった。
しかし、また聴きに行きたい音楽ではない。
本番はピアノ協奏曲第一番と「合唱付き」の交響曲第九番ですが、
ピアニスト小菅優さんの解説を聞いて、出かける意欲が消えました。

「ピアノ譜が真っ黒なんです。」

概要を一言で言うとそれですか・・・。(沈没)


音楽については以上。


印象的だったのは二つ。

(1)客席は団塊世代の男女がほぼ九割。
  
アタマ真っ白です。二期会のオペラ公演と良い勝負。
これって、「現代音楽」の世代なんだろうなぁ、と思う。
陶酔して聴いている人もチラホラ。
大江健三郎の世代と私は名付けたいです。【読んでも私には日本語の意味が分からない】

悪口ではないです。本番の観客の世代がはっきり予想できる、という衝撃です。
残りの一割は若い女性です。音楽学校卒、でしょう。


(2)トークが面白かったのは沼尻さんだけ。

素敵な声をしています。話しが面白いです。筋が通っていて説明的でドイツで通用します。
他の二人の音楽学者と演出家の話しは、まったく面白くなく、エンターテインができてません。
行った事が無いけれど「大学の講義」を聞いているようでした。
一回だけ聴衆が沸いたのが
「○○さん(日本の作曲家)も今度交響曲の九番を発表するそうですが大丈夫でしょうか」
そこしか沸かない。。。

学者だから或はアーティストだから或は日本人だから話しが面白くない、のではない。
音楽家でも話しが論理的でよどみなく知的な話しをする人は日本人にもいます。
(敢えて名前を挙げれば声楽家で言えば鷲尾麻衣さんとか大隅智佳子さんは話しが上手)

音楽家が「舞台での演奏」によって「自己表現する」ものなのであれば、トークでそれを引き出すのがMCのプロとしての仕事なはずだ、と私は思うんだけど、(要するに言葉での表現が苦手な芸術家の場合に手助けするのが仕事)できてません。
ただの雑談レベル。
小菅優さんの話しなど、ヘンツェの音楽から物凄く何かを強く感じている、というのはとってもよく分かるんだけれど日本語が何を言っているのか分からない。
※「今の話しをそこにあるピアノで表現してみて下さい」と言いたくなりますがそれは即ち「あなたはピアノでしか表現できない」と言うのと同じで、わざわざ鼎談に呼ぶ意味がありません。

それをリードして聴衆を沸かせていたのが指揮者(沼尻さん)という構図が、なんだか「おしゃべりが上手な男」を軽薄と捕える日本の古い価値観の残滓が出ていたような気がしました。


本番には行かないと思います。
にゃーが行きたいと言えば、考えます。


全席自由3,000円

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このコンサートは志を同じくする音楽仲間「えむの集い」が開いている定期的コンサートで
今回がもう七回目です。観るのは三回目になります。

結論:素晴らしかった!感動しました。

音楽に境界は無い、と銘打っていろんなジャンルを混合して演奏する人たちはよくいますが、いつも違和感がありました。この音楽とその音楽は同じ舞台に載るのは似合わないだろう、、、と感じるので。

しかし、今回のは初めて『ジャンルを越えた音楽の醍醐味』を味わいました。
もう、今年行ったコンサートでは出色の出来でした。

まず、オペラのアリアと和楽器演奏が別の部で行なわれ、最後の部で混合演奏したわけですが、違和感全然ありません。甚平姿で「情熱大陸」を演奏しましたがこれがまた感動ものでした。ひとえに、プロデュースしてアレンジした人(廣瀬 充さん)の力量が大きく貢献していると思う。

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■ まず第一部 オペラ/クラシックステージ

美しきロスマリン
 ヴァイオリン(伊東佑樹さん)と(大谷雄一さん)の息がよく合っている。
 経歴を見ると大学も同じだし、きっと普段から仲のよい友達なんだと感じます。
 二人とも、「真面目」そうな好青年。と言うより、このコンサートの出演者は全員が『真面目』そうな雰囲気を持っていて、やはり人間、真面目な人の《姿勢》というものが音楽にも現れるものだと再確認しました。(人間的に好きになれない音楽家もいますから)

『シンデレラ』より やっとここに着いたわ
 堀万里絵さんです。舞台姿がまず日本人離れしていて凄い。この人は日本人離れした容姿をしているけれどとても日本的な「和」の雰囲気を感じさせる人です。この個性は欧州に行っても通用する(東洋の美として受けるだろう)と思います。そろそろそれを視野に入れて良い時期ではないでしょうか。

『友人フリッツ』より さくらんぼの二重唱
 守谷由香さんと村上公太さん。守谷由香さんは降板した澤村翔子の代わりに日生劇場で『フィガロの結婚』に出たと言う事で名前は覚えていましたが初めて観ました。イタリア語の発音が良いです。声量もあって、村上さんの声量とぴったり合っていた。このデュエットは素晴らしかったです。この二人は今後注目します。守谷さんはこれまた「真面目」の雰囲気の人です。尋常でない恋愛を経験して戴いて更に音楽に、人間性に奥深さを期待したい人です。村上さんはプロフィール写真が似ていません。。。何年前?(笑)
守谷由香さんはこの後『キャンディード』の 着飾って、きらびやかに を歌いましたが、声も良いし品がありました。キャラクタに合っていたと思います。

『天国と地獄』より ハエの二重唱
 天国と地獄と言ったらナタリー・デセイ、ミンコフスキのリヨン・オペラ[DVD]という傑作がありますが、この二重唱(前嶋のぞみさん、高田智士さん)は笑えました。呼吸がよく合っている。後で知りましたがこの二人は夫婦なんですね(ご本人が公開しています)。
世の中には結婚している事を隠したい舞台人の夫婦もいますが、共演していることでそれを感じさせる、というのは本当に息の合った関係なんだろうと思います。素晴らしい事です。
前嶋さんは美人です。色気もあってキャラによく合っていた。初めて見ましたが私が知らなかっただけで多方面に活躍されている方のようです。
高田さんも初めて見ましたが、奥さんぐらいにダンスを上達していただければ、立派な押し出しのある男性なのでクラシック界のトラボルタも夢ではありません。頑張れ。

ピアノ三重奏曲ト長調 ドビュッシー

 初めて聴きましたがこれも良かった。録音されたものがあるのかどうかも知りませんが良い曲です。この三人ならでは、の演奏がされていたと思います。珍しい曲を有り難うございました。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』より 祈りのシーン

 トリのコーラスです。歌手メンバー五人総出ですが、上手かった!
 人数では八人の「二期会マイスタージンガー」に負けますが、技量は互角です。特に、技量先行で組まれる二期会マイスタージンガーよりもコーラスに「友達ならではの一体感」が溢れている。声の若々しさもこの人たちにはあるし、あと三人友達を呼んでコーラスのレパートリーを今後増やして欲しいものだと思います。真ん中に堀万里絵さんがいましたが、迫力がありました。スター性がある人です。その押し出しが影響して「堀万里絵コーラス団」のように見えました。

■ 第二部 和楽器集団 独楽ステージ

 和楽器のコンサートというのは実はほとんど行った事が無く、雅楽をCDで聴いたり文楽とか能とか歌舞伎の演奏という「伴奏」でしか知らないのですが、これは刮目しました。感動しました。素晴らしいです。カッコいいです! 雅楽がロックンロールです。ロックンロールと言うのは私の上の団塊の世代が「不良の音楽」「反骨者の音楽」のイメージを作ってしまったように私は思うのですが、静かに聴いていても全身がロックンロールしてしまいました。和楽でロック!新体験です。素晴らしいです。音楽の垣根が取り払われた瞬間を体験しました。
尺八の人(川崎貴久さん)がまたカッコ良くて、私は明日から尺八を習う決心をしました。
連れがお琴と三味線をすると言うのを帰りに聞いて、それじゃ三ヶ月後にMの集いに入れて貰おう、と固く決意しました。(笑)
この和楽器集団 独楽は、2013年9月8日に亀戸文化センターで東日本大震災復興支援コンサートするそうです。聴きに行きます。お問い合わせはこちら

■ 第三部 スペシャルコラボレーションステージ

クラシック、和楽と十分感動したのに、まだ演し物があるのでしょうか。。。と思いつつ、出てきたのは日本の歌曲、井上陽水の「少年時代」、童謡、甚平姿での「情熱大陸」!
もう、涙出ました!素晴らしいコンサート、有り難うございました。
CD買って帰りました。まだ買える筈です。こちらに問い合わせてみて下さい。
堀さんのサイトで聞いてみても大丈夫の筈です。


とっても満足+感動しました。私も音楽演奏に余生をつぎ込む決心をさせられた一日でした。
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次回も楽しみにしていますよ!
プロジェクト・アイリスというのは女性七人のグループ。

メンバー
東伸美(Sop)
堀万里絵(Msop) Blog
遠藤晶子(Vn)
五味陽子(Vn)
畑真理(Pf)
向山彩(Pf)
村松映美(Pf) Blog

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ご覧のように、若くてキレイで上品なお嬢様たちです。
よくこれだけ上品な美人が揃ったもんだと思います。

実は、この人たちは私に
音楽とは聴くものではなく体験するもの。
音楽は奏者と聴衆が一緒につくる一回限りの芸術。

録音されたものを再生装置で(たとえどんなに高級なオーディオでも)
再生しても
それは音楽を体験する事とは
絶対的に
違う

と気づかせてくれた人たちなのです。

※アイリスのコンサートを観てその事に気づいてから私は過去何十年もかけて揃えたオーディオ装置を全部処分し、録音を買うのをやめ、持っていたCDをほとんど全部売り払って、コンサートチケットの原資にしました。
2012年の8月のことです。


それ以来、アイリスは全部観るようにしています。

今回の会場は東京の茗荷谷というところにある La Lyre(ラ・リール) という場所でした。
100席ほどのサロンです。演奏者は目の前2メートルの所にいます。
もともとクラシック音楽は貴族のお家のサロンで演奏されるようなものだったのですから、こういう場所で聴かせてもらうのも本来の姿かと思います。

規模が小さくても自分たちの音楽を発表して行こう、聴いてもらおう、というこの若い音楽家たちの姿勢はとっても好きです。そして、私の短い人生に音楽の彩りを与えてくれる人たちがこんなに身近にいてくれた事を感謝しています。

当日のプログラム。
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歌、ヴァイオリンとピアノのデュオ、オリジナル編曲のコーラス、一台のピアノで連弾、などなど。
このメンバーがどういう経緯で揃ったのかは知りませんが、個性の強い音楽家たちがこうして七人も(当日出演したのはそのうちの五人です)集まってプロジェクトをやる、というのは、個性の集まりだけによっぽど大変な事ではないかと想像しますが(芸術家同士がカンタンにまとまるとは思えません)、出てくる音楽はどれもこれも『これが私たちの音楽!』『これが私たちの本当にしたいこと!』という輝きに満ち溢れていて、まったく文句の付け用がありません。人に言われてやるんじゃない、人に雇われてするんじゃない、自分たちで自分たちのやりたいものを作る。そういう集団が輝いているのはどの世界も共通しています。一回限りのパフォーマンスを一緒に体験できて、素晴らしい時間の共有をさせてもらいました。長くこのブロジェクトを継続してもらえるよう期待しています。


終演後、メゾソプラノの堀万里絵さんにご挨拶しました。
ドレスを着ている姿をまさに目の前にしたのは初めてですが、背が高くて日本人離れした体型に圧倒されてしまいました。この人は人一倍華やかな雰囲気をお持ちです。イラレやフォトショも使えると聞いてるので今回の蝶が舞っているデザインのプログラムも自作ではないでしょうか。今回は編曲もしているし、色んな才能をこぼれるくらい持っている人です。息子の嫁に是非。息子はまだ15ですが。(笑)









18日の武蔵野市民文化会館に続けて20日の府中の森芸術劇場へにゃーと出かけてきました。

リーベショコラーデ


武蔵野では二階席のS席14,500円でしたが、今回は一階の前から七列目14,000円

同じ演目を同じキャストで観ましたが、声の聞こえ方がとっても違う事に気がつきました。

今回はもっと舞台に近いから直接音(というのかどうか知りませんけど)が強く聞こえてくる所為か、ヴィオレッタ役のイリーナ・ドブロフスカヤは一幕の最初から全開に感じました。素晴らしいです。エリカ・ミクローシャの代役ということでしたが、その三回の出番のうちの一回目と二回目を観た事になるそうです。府中公演は来日して二回目だから余裕が出ていたのかも知れません。

代役といえば府中の劇場でのお知らせで知りましたが、実はアルフレードも代役なんだそうです。
主役二人がどちらも代役!というのも珍しい事ですが、その代役が二人ともこんなに素晴らしいというのも驚き! あちらは本当に層が分厚いのだなと実感した公演でした。

イリーナ・ドブロフスカヤが美人で歌も演技も素晴らしかったのは前回書きましたので、前回書かなかった事だけ書こうと思います。


(1)日本人にできないと思う事

ヴィオレッタとアルフレードの二重唱の最後に二人がキスするシーンが二回あるのですが、二階席からは本当にキスしているように見えていましたが舞台から七列目から観たらそれはキスしている振りだというのが見えました。それがまた上手いのです。
キスというのは「お互いが求めてするもの」という表現がこの場合必要なんだけど、日本人女性はそれが上手い人がなかなか少ない。(東京二期会のオペラを昨年初めていくつか観ましたが、カヴァレリア・ルスティカーナではローラとアルフィオのキスシーンであまりにヘタクソな「振りだけ」を観てがっかりしたことを以前書きました)

映画俳優のように「本当にキスする」必要があると言いたいのではありません。

今回の二人は本当にキスしていないのに、ヴィオレッタは何度もキスを求めて喜びがいっぱいだ、という表現をしていました。日本人がキスが下手と言う訳ではない筈です。日本人でも普段していない歌手が上手なキスを演じられる筈はありませんが、或は、簡略化して観客に想像させる、というのが日本的な表現と考える日本人もいるかも知れませんが、舞台人ならその表現を舞台で見せないのは表現者として怠慢だと私は思います。キスばかりでなく、シャンペングラスの持ち方、女性の抱き方、男性の歩き方、そういう所作振る舞いが、実際の経験の少ない日本人キャストには表現できない壁がある、ということを、ほんの数秒の演技の事ですが、二人のキスシーンを観ながらとっても感じました。


(2)価値観

オペラの椿姫を観るたびに考える事ですが、私にはよく分からないシーンが二つ、あります。

それはアルフレードがフローラのパーティでヴィオレッタを侮辱するシーンと、その後にパーティの参加者が男も女も全員で「傷つきやすい女性を侮辱するような男はここから出て行け!」とアルフレードを批難するシーンです。

ヴィオレッタを侮辱するシーンというのは、プロダクションごとに表現がいろいろあって演出家も解釈と表現にバリエーションがあることが分かります。財布を投げつける(映画「ムーラン・ルージュ」)とか、札束をズボンのポケットから何回も出してヴィオレッタに直接投げつける(強い憎しみを感じさせます)とか、今回は少し穏やかでお札の雨を降らせていましたが(日本人向けにはまだ受け入れ易いか)、ネトレプコが椿姫を演じた2005年8月のザルツブルグ音楽祭ではひどい事にアルフレードはヴィオレッタの口にお札を突っ込むという暴挙!この演出をしたウィリー・デッカーが大嫌いになりましたが(二度とこの演出家のものは観ません)、もっとひどいのがあって、ピーター・コンヴィチュニーという有名らしい演出家は2011年のプロダクションで舞台上でアルフレードにヴィオレッタを強姦させていました。なんてえげつない!・・・好きだった人をここまで侮辱できるものなのか?、それが人間の真実なのか或はただこの演出家が下品なだけなのか・・・と悩みました。(コンヴィチュニーのオペラは二度と観ません)
※「アルフレードは本当はヴィオレッタに何をしたのだろう?」が第一の疑問です

フローラのパーティのメンバーはヴィオレッタがアルフレードに本当は何をしたのかは知りません。アルフレードが憎しみを覚えた理由は分かっています。(アルフレードがその場で説明しますから)「裏切り者の女」に対する「憎しみ」、それは共感できなくても理解はできるものだと私は思うけれど、金を投げつけたくらいで全員がアルフレードをあそこまで罵倒するだろうか?、というのがもう一つの疑問なわけですが、「侮辱」の方法があそこまで過激なら(デッカーやコンヴィチュニーが苦心?して表現した方法なら)、それは分かるけれども。。。。そういうことをアルフレードにさせたいのだろうか?


女性をどういう程度にせよ「侮辱」した男に対する反応、というのは19世紀の価値観では当たり前のことではないかとにゃーは言うのでそれはもっともかな、と思いましたが(現代のヨーロッパでは男と女は対等という価値観になってしまっているのでそういう事にはならない、というのもにゃー発言=同感)、この二つのシーンはオペラで観るたびにいつもよく分からないシーンなのです。



実は、このシーンは原作には無いのだそうです。(にゃーの解説による=私は読んでません(^^;)

小説ではアルフレードは賭けに買った大金でその場にいた別の美女を誘惑し、自分の女として別のパーティに連れ回してヴィオレッタに見せつけ、それを見かねてヴィオレッタは「私を苦しめないでください」と言いに行く、というだけなのです。こちらの筋書きの方がよっぽど悲しくて説得力があるが、短いオペラでは表現しきれないので台本で簡略化したものと思われます。


ラストも、オペラでは二人はとにかく再会する演出が多いですが、原作では二人は会えずにヴィオレッタは孤独の中で亡くなります。オペラのこのラストもなかなか不自然というか御都合主義に感じる(だから決して私的には感動的ではない)のですが、音楽的にはこのように終わらせるしか無かったのだろうと思うのです。

そんな話しをにゃーと幕間に長い事話し込みました。


しかし、イリーナ・ドブロフスカヤは良かった。1981年2月7日生まれだそうです。まだ32歳。
ロシアには奇麗で歌も演技も上手い人が五万といるんですね。素晴らしい公演でした。
※府中では「アリガトウゴザイマス」を少なくとも三回つぶやいていました。
リーベショコラーデ

Irina Dubrovskaya Soprano

エリカ・ミクローシャのファンです
実舞台を観た事無いので来日すると聞いたGFがチケットS席14,500円×二枚を買ってくれました。

有り難う>>にゃー

そうしたら、直前(2013.6.13)に体調不良で来日不可能と決定!
知らせのハガキが武蔵野文化事業団から届いたのが15日。。。

悪い知らせはできるだけすぐに知らせないといけません!
私はエリカ・ミクローシャの降板を知らず、15日に別の日の公演チケットを購入した後でした。
「知ってたら買わなかった・・・」

自分の降板を自分のブログで公開するのをためらった澤村翔子のような人もいますが
悪い知らせはできるだけすぐに知らせないといけません!

★あなた目当てで切符を買う人が世の中にはたくさんいるんです!>> 歌手の皆さん!


グチはそのくらいにして(笑)

結論から言うと、交替して登場したイリーナ・ドブロフスカヤも、舞台の演出も、予想以上の出来でした。素晴らしい公演でした。エリカ・ミクローシャを死ぬまでに見れなくなったのは心残りですが、この公演自体はとても満足しました。

イリーナ・ドブロフスカヤは声質の細いソプラノ、専門用語でなんと言うのか知りませんが嫋やかでキレイでよく伸びる声です。ナタリー・デセイと良い勝負だな、と歌いだしにまず思いましたが、なんのなんの、舞台が進むに連れてどんどん調子があがり、一幕最後の高音もきちんと出し、デッセイがメトロポリタンであの音を外したのと好対照。デセイでさえ(もともと細いキレイな声質の所為も有るかもしれないし体調が良くなかった事もあるでしょうが)三幕の最後には声がヨレヨレになった椿姫、イリーナ・ドブロフスカヤは強い声が最後まで切れませんでした。素晴らしい歌手です。

椿姫と言えば私の世代ではなんと言ってもアンジェラ・ゲオルギューとショルティの衝撃を忘れる事がありません。何しろアンジェラ・ゲオルギューの美しさと言ったら「こんなに美しい椿姫は空前絶後」とか宣伝文句に使われて、実際それくらい美しい人で、「オペラ歌手=デブで似合わない派手なドレスを着て脳天から声を出す人」と子供心に思っていた観念を木っ端みじんに砕かれたものです。

イリーナ・ドブロフスカヤは更にそれを上回る美人だと思います。髪色がダークブロンドだから目立たないだけで、あの肌の白さでアンジェラ・ゲオルギューと同じように黒髪にしたらもっと注目されて当然という気がします。一幕のドレスも純白の織りが入ったドレスで、アンジェラの椿姫を意識しているように(私が意識しただけかも知れませんが(笑))思いました。

舞台最後の挨拶では「ありがとうございました」と口が動いたのを見逃しませんでした。可愛い人です。オペラ歌手、舞台人は一般人と違うなどという驕りを持たず、礼儀もわきまえた人だけが世界に通用する人になっていく、と改めて思いました。


演出はパンフレットに「ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団/バレエ団」と書いてあったのでフランスオペラみたいにバレエが付くのか?と予想していましたら二幕のフローラのパーティにバレリーナが登場したのです!これがまたキレイ!(笑)「椿姫」のこういう演出は初めて見ましたが、流石に本物のバレリーナの踊りは雰囲気が華やかで素晴らしい。歌手とは別物の美しさがそこにはありました。タンバリンを手足に打ち付ける踊りはチャルダーシュ(ハンガリーの舞踊)でしょう。マタドールの踊りも登場して、まるでバレエ「白鳥の湖」の舞踏会シーンのようです。この場面だけでももう一回見たいくらい良かった。
(実は明日もう一回観に行きます)

同行したにゃーは、テノールとバリトンの歌手が素敵、と私のオペラグラスを返してくれませんでした。見た目も大事です。日本人にはあれは真似できる人はおらんだろう。日本人のレベルが非常に高くなっている事はよく知っていますが、日本人だけで行なうオペラで西洋の模倣をするのは表現に限界があり過ぎる、と、にゃーが夢中になっている姿を見て改めて思いました。

あと、会場にイブニングドレスを着ている人がまったく見当たらないのも結構びっくりしました。
西洋のまねごとではなくて、「オシャレをして出かける場所」というのが日本にはいったいに少ないのかなぁ、或はオシャレ自体がなにか人目を憚ることなのかなぁ、などとイブニングを着ていて目立ちまくっていたにゃーを見ながら思いました。

椿姫の演出については劇場でにゃーと色々長い話しをしたのですが長くなるので明後日。
もう一回この演目を同じメンバーで府中の森で見てから書きます。

$リーベショコラーデ
[出演]青木 エマ(ソプラノ)/磯地 美樹(メゾソプラノ)/喜嶋 麻実(ピアノ)

■開催日 6月18日(火)
■時間 Aプログラム12:05~/Bプログラム12:35~
■会場 Lb階
[企画制作]ケイ・アーツ・オフィス

新宿三井ビルのロビー階で行なわれる無料のコンサート
ケイ・アーツ・オフィス企画制作だそうです(どういうオフィスだか知りません)

新宿三井ビルのロビー階というのは、初めて行きました。

青木エマさんがブログで

「平日ですが無料のコンサートですので、
 近くにお勤めの方は、ランチのついでに
 ぜひぜひ、足をお運びくださいませ。」


と書いていましたが、行ってみたらびっくり。
近くにお勤めの方は、ひとりもいませんでした。

どう見ても、「働いていないお年寄り」が九割、しかも男性が過半数。

Aプロ、Bプロと休憩を挟んで別プログラムでしたが、会場の椅子からは一人も動かず。
ランチタイムに立ち止まって鑑賞した、というビジネスマン(ウーマン)は皆無!


ロビーコンサートというものに日本で初めて来てみましたが
玉川高島屋SC以下のひどい環境なのにまたびっくり。。。というかがっかり。。。
なにしろ、ロビー階ですから、エレベーターホールな訳で、

「名もしら~ぬ~ ピンポーン 遠き島よピンポーンり な~がれーピンポーンる
 やし~の実 ピーンポーンつ」

防火ドアらしきものもあってときどきバシーンと開け閉めする音が!


よくまあ、こんな場所で歌わせるな、、、と歌手さんが気の毒になりかけたけれど
「発表する場が無いなら路上パフォーマンスでもしてみる根性があるか、オレが伴奏する」と二期会の歌手さんに言った事が有ることを思い出し、アレと同じか。。。いや、主催者がいるんだからアレと根性が同じと言えるものではない、むしろ「主催者」と呼べるものなのかが問題なんだけど。。。

このスペースを借りられるという握りの関係があるだけ素人の主催者とは違うか、、、
などと納得の行かない思いをしながら聴いていました。前半のAプログラムはそういう周囲の雑音が気になりほとんど音楽として聞こえず終わり。
$リーベショコラーデ


しかしBプログラムは歌手さんが持ち直しました。というか、Aプロが終わって余裕が生まれたのだと思うけれど(思うだけですが)、Bプロは歌としてよっぽと良かった。青木エマさんも磯地 美樹さんも初めて聴きますが、どちらも良い声をしている。キャラクタにあった歌を歌っていましたが、青木エマさんの「ミカエラのアリア」は予想を遥かに上回って良かった。これは色んな人の歌で聴いてますが、しかも不動の最高歌唱は大隅智佳子さんの歌唱、次点が(私の好みですが)アンナ・モッフォぐらいですが、青木エマさんは今まで聴いた誰とも違う歌い方をしました。

あれは、なんと言うのかなぁ、『神懸かり』というタイプです。上と繋がっている、と私はときどき表現するのですが、もう、そこにいるのは自分自身ではなくて上と繋がった人間が上の意思を伝達している、いわゆる「行っちゃってる」タイプに近い。近い、とお茶を濁してるのは、この人はまだそこまで行く一歩手前だからです。いわゆる『狂乱の場』ができるならば、歌手として大きくブレイクする素質を持っている、というような人だと、初めて聴きましたが、思った。それには「歌い手」として以外の人間的な経験がたくさん必要なことと思います。それがこの人に誰かが与える事ができるかどうか。美人系な歌手さんだけに、大事・大事にされて終わり、にならなければよいけどな、と、それは本人次第の事ですが、思いました。

磯地美樹さんは深いメゾの声が魅力的です。カルメンのハバネラはお得意のレパートリーらしい歌い方でした。なぜこの二人が本日ペアなのか、謎が残りました。ピアニストは割愛。練習が不十分と思いました。


さて、新宿まで出かけたのはこれから武蔵野文化会館まで行くから途中で寄ったのです。
エリカ・ミクローシャ、やっと観られる!!ガール・フレンドがS席二枚プレゼントしてくれました。
なのにおとといドタキャンの知らせが・・・・・。

代役はそーとーなプレッシャでしょう。
感想は明日。


ザ・ジェイドというのは二期会の男性アンサンブルユニット

「2008年結成のテノール2名+バリトン2名のユニットが前身。結成当時のメンバーはテノールの樋口達哉、高野二郎、バリトンの黒田 博、成田博之。2011年からテノールの高田正人、バスバリトンの北川辰彦が加入した」wikipedia 東京二期会から引用

出演
樋口達哉、高野二郎、高田正人、成田博之
ピアノ:金井信
全席指定:5,000円(税込)←結構高額。

$リーベショコラーデ


ご招待チケットを譲ってもらって、誘える人がいなくて一人で行きました。
初めて聴きます(偶然ですが高田正人さんは今年何回も観てます)

オープニング、マイクを使って四人でコーラス。。。
歌謡ショーという雰囲気で、テンション下がりました。

本日はメンバーの都合でテノール三人になったそうですが
声質の似ている三人がコーラスしても何も面白くありません。
二期会マイスタージンガーが素晴らしいのは男女混声で高い声から低い声までいるからで、
あれと比べたら「アンサンブルユニット」としての魅力は非常に低いです。

しかも、マイク持ち!
声楽というのは生の声をコントロールするところが魅力なのに
これじゃ「カラオケの上手い友人の歌」と大して変わるところがありません。
※素人でもカラオケのとても上手な友達というのはたくさんいます。


ひとりひとりオペラのアリアを歌う場面があったのは良かったですが(本領という感じ)
声質が似てる人たちなので目黒パーシモンで声質の全然違うソプラノ三人が同じアリアを歌い聞かせてくれたのと比較すると、面白さで劣ります。四人集まる意味が分かりません。ソロでお客を集められないから「束」にして売ってるAKB48とコンセプトがどう違うのか。。。。。


高田正人さんだけ、なにか浮いている印象を持った。
他の三人はこれを目指して意図してやってる(それは私の趣味嗜好とは合いませんが)が
高田正人さんは後から加わったそうですが、これを目指しているのか?
クエスチョンマークが浮かびました。


声楽家がマイク持ちで歌うのをがっかりして聴いたと言えばキャサリン・ジェンキンスのコンサート(2012.9.20)がありましたが、今回、「マイク越しの声がなぜ面白くないか」を会場でよくよく考えてみました。

マイク越しの声、というのは既に増幅されているわけです。「ボリューム」があがっている。

一方で、歌謡曲と違って声楽というのは「声をコントロールすること」そのものに魅力と技量が問われるものでしょう。大きく声を出すのは身体を使って、全身でするもの。
それを初めから増幅装置がついていたら「大きな声を出す技量」は出せません。マイク前提の歌い方になるのは必定。
そこが、求めているものと違うのですわたしが。

マイクを使ったらカラオケの上手な人はいくらでもいる。代替がきくものです。
マイクを使う声楽家、というのはもう声楽家ではないと思う。
ミュージカルでもやればいいのです。
(実際、高田正人さん以外のメンバーはそれらしいようです)


それから、なぜこのメンバーで集合しないとならないのか、という理由が今回は見えませんでした。
声質が似ているテノール三人が合唱しても、それは「ボリュームが大きくなるだけ」で、音質の異なる同じ楽器が合奏するときに出す「この組み合わせだけが奏でる音」というものが感じられません。その思いは最後のオペラのアリアを合唱したときに強くしました。四人で歌う必要性が無い。
もしかしたらテノール三人という構成がこのグループの本来の姿ではなかった、のかも知れません。


それから、(聴く事に集中できなかったので客席でいろいろ考えてしまいました(笑))
声楽家って、誰々に師事、って、プロフィールによく知らない人ばかりの名前が羅列されてますが、プロとして生きていたらもうそれは関係ないでしょう?もう生徒としての人生じゃないんだから、いちいち「私の演奏はどうでしたか」などとお伺いをたてる筈がありませんね?
とすると、自分の歌唱について、誰に意見を聞くのだろうか?
それは《聴衆》以外にはいないだろう。

聴衆の耳がヘタレていて演奏者に反省を促す(反省というのは悪い意味じゃありません)ような事が無いと、演奏者は育っていかないと思う。会場のお客さんは過半数が年配のご婦人で「故郷」を合唱したときは会場のコーラスが非常に上手だったのでびっくりしましたが(笑)【大田区アプリコホールの二期会マイスタージンガーの聴衆による「故郷」よりレベルが上でした(笑)】、
聴衆が満足しているならそれで良いのだけれど(私の趣味嗜好と合わないなら聴きにいかなければいいだけなのかも知れませんが)、オペラの魅力を舞台で語って聴衆に興味を持ってもらおうとする人たちが展開するステージとしては、その意図と実際のやっていることが一致していない、という印象を強く持っちゃったのです。悪口ではありません。

ザ・ジェイドって「二期会のスマップ」的存在だな、という気がしたコンサートでした。同世代なんだろうか。高田さんはメンバーから外れた方が良いように思います。




休憩時間にコワイヨでMacのメールをチェックしてたら(最近WiMaxを買って重宝してます)全詠玉さんの姿が見えました。遠くからでも目立つ人ですなぁ。話した事がありませんのでさっそく挨拶に行きました。

「ちょんさん。こんにちは、あなたのファンです、頑張って下さい」

『思いはたっぷり、挨拶はすっきり』を信条としてます(最近学びました)ので五秒で終わりました(笑)

※コワイヨではなくホワイエ
と言うらしいです。



$リーベショコラーデ
澤村翔子産休あけ半年振りの舞台を例によって女友達のネコを誘って観てきました。

$リーベショコラーデ

高輪区民センターという名前の定員250名のホールです。
HPはこちら。
高輪区という区は無いので実際には港区の施設です。港区在住の方は1000円引きになります。

そういう場所の所為もあるらしく観客は60%以上が港区のおばちゃん。
『区民ホールで何か面白そうなものやるから行ってみよう』という客層で、オペレッタ好きの人たちが集まったという感じではありません。昔「デブラ・ウィンガーを探せ」という超マニアックな映画を東急文化村の映画館に平日の昼に観に行ったら、およそデブラ・ウィンガーを知らないだろうというおばちゃんが沢山並んでいて、これは株主招待券でタダだから見てみようという人なんだなと思ったことがありますが、アレと同じではないかとまず思いました。それはそれで主催者側の狙い通り、観客からはけっこう笑いを取っていて企画の目的は満足したのかも知れません。区民の皆さんに楽しいひとときを過ごして戴いた。

オペレッタというのは大衆娯楽ですからオペラのように「感動する」とか「涙が出る」とかが無くても当然よろしいものであってオペラより格下のものという考えはありませんが、この公演は
「舞台に緊張感が無い」
「おばちゃん相手だからいいのでしょうけど台本がゆっくりしている」
ネコ発言)と友達も言うように、ずいぶん観客にあわせた作りになっている。現代風に読み替えてAKB47の名前が台詞にでてきたり「TPPも乗り越えられる」と言わせたり(観客にTPPの意味が分かっている人はまず一人もいないと思うが)して、まったく大衆芸能に徹しているのは感心しますが

それは東京オペレッタ劇場という団体の本旨なのだろうか?

澤村翔子の経歴を見るとこの演目を何度もやっています。
(もとご主人の団体なんですね)
毎回同じ役を同じ主催者でやる、それは声楽家として本当にしたい事なのか?

二期会に所属する人=オペラ歌手だと思っていた事がありますが
なかなかみなさん自分を「オペラ歌手」と言わない理由が分かるようになりました。
オペラに出演する機会がほとんど無いのにオペラ歌手とは名乗れないでしょう。

声楽家とはオペラ歌手を目指すものなのでは無いのだろうか?
年に数度しか舞台に立つ機会が無い歌手が緊張感の無いオペレッタで歌う
(というより澤村翔子は今回台詞が多くて歌の聴かせどころが全然無くてかなりがっかりしましたが)
そういうものは私には楽しめませんでした。

あの人はもっと延びる能力を持っていると思うのに、狭い範囲の人間関係でしか生きていないから飛躍するきっかけが生まれないように思います。この舞台をプロデューサー職の人が観て「この人を使いたい」と思うようなものだったかどうか、そういう事さえ、考えているとは思えない、「この人はこのことを本当にしたいと思ってしているのだろうか」と感じさせる、なぜか伸び伸びしていない舞台姿でした。

※本日もあります。間に合う方はどうぞ。