中央線の高尾駅は、毎日何本もの中央線が東京方面、また甲府方面に向かって出発する。そんな訳で人の往来も多いホームであるが、支柱に第二次世界大戦時のアメリカ軍艦載機の機銃掃射の痕が残っている。

終戦直前の1945年7月8日に駅舎が米軍機の攻撃を受けた。痕はその際に出来たものとされる。この柱はその時から80年は使われていることになる。支柱にはそれを知らせる説明版がある。

 

説明版の上を見上げると錆も出ている鉄骨に、ふたつのえぐれた痕が見える。

 

もう一か所は少し小さめの痕が一つ。こちらの方が機銃の口径が小さいからであろうか。

 

今も山間の駅といえる高尾駅(当時浅川駅)であるが、アメリカ軍からは中央線は主要路線として執拗に攻撃を受けたようだ。次いで8月5日には高尾を出て長野に向かう列車が「湯の花(いのはな)トンネル」の手前で攻撃を受け52名が亡くなり、負傷者130名以上という国内最大の列車襲撃事件となった。

 

列車は1時間遅れで高尾駅を発車しているから、さすがの米軍でも待ち伏せしての攻撃ではなかった。他の目的地に向かった戦闘機がたまたま見つけて列車に襲い掛かったのだ。

 

筆者はこの悲劇の一端は戦闘機に搭載された「ガンカメラ」にあると考える。ガンカメラは機体に備え付けられた映像記録装置のことで、今の監視カメラの機能に近いかもしれない。アメリカは技術的に大分日本より進んでいた。

つまり戦闘機の行動は戻ってから分析され、果敢に行動すればするほど、米軍内では称賛されたはずだ。よってこの時も列車を見つけた戦闘機は目的を変え、執拗に襲い掛かったのではないか。

近代戦争の悲劇の一例だ。

 

日本赤十字社の副社長の島津忠承が東京に向かう途中、この事故に巻き込まれたことは筆者の「第二次世界大戦下の滞日外国人」で若干だが触れた。

 

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