今から3年ほど前、軽井沢の「旧アーガル別荘」が話題に上った。

作家の北杜夫が1964年から73年くらいまで夏の間利用したが、取り壊されることになり、何とか移築、保存出来ないか、という努力が別荘を愛する方々によってなされ、報道もされたが実現せずに解体となった。

 

筆者が2022年8月に訪問した際にはすでに更地となり、元建物あった部分は草がまだ生えず位置が確認できた。また以前の所有者が好んだという石像が2体残っていた。(下写真2枚)

 

 

 

取り壊されてしまうと、アーガル別荘も人口に膾炙することもぐっと減った。

ところが最近、いろいろ情報をいただいている軽井沢文化遺産保存会の伊藤光宏さんから、興味深い話を伺った。ご本人の許可を得て、ここで紹介させていただく。

 

伊藤さんは軽井沢に関する古書、古地図、絵葉書を情熱的に収集しているが、最近入手した、"Map of Karuizawa and Vicinity"という外国人向けの戦前の別荘地図の裏表紙の広告は出稿者が

The Hill Pharmacy(訳せば「丘の薬局」)で、住所が

654、Main Street (同「本道654番」)となっていた。

 

実はこの薬局のオーナが先のアーガルなのであった。別荘とは同じ通りに薬局はあった。彼はこれまで英語教師として一般に知られている。次は「軽井沢文化遺産保存会」の説明である。

「昭和10年(1935年)、アーガルが同別荘を取得したとみられる。英語教師として来日したアーガルは、神戸一中、岡山商業学校などで教える。神戸一中の蹴球部(サッカー)の指導にもかかわり、同部の発展に貢献したという。メアリー夫人は岡山商業学校や神戸の小学校で英語を教えたという」

 

このように薬局の話は全く出てこないが、1936年に発行された『日本・満州国イヤーブック』の人名録によれば、チャ―ルス・アーガルは英国人で、薬剤師で化学者であった。日本には1905年に来て、神戸の学校で教える傍ら1920年に、まず神戸にThe Hill Pharmacyを設立した。神戸時代のアーガルはいつもオートバイを飛ばして登校する、生き生きとした愉快な先生であった。

 

この支店が夏場のみ軽井沢に開かれたのである。アーガルにとっては避暑兼仕事と言えるかもしれない。住所は「654、Main Street」なっているが、ハウスナンバー654番は旧道に面してではなく、愛宕山の麓の貸別荘である。薬局が旧道に面した所にないのが不思議であるが、彼と同郷のイギリス人が愛宕山方面に大勢住んだことを考えると、メインの顧客にとっては良い立地と言えるのかもしれない。先述の広告は英語のみなので、この推測はあながち間違っていないであろう。(伊藤さんのさらなる調査では、この辺りには当時は他にも商店があったという)

 

そして日本と米英が戦争を開始する前にアーガルは本国に引き揚げたと考えるが、終戦後にまた戻ったかもしれない。横浜の元町に1927年にオープンしたThe Hill Pharmacyの支店は、1970年頃も日本人の経営者のものとで続いていた。

 

以上は多くが先述の伊藤の見つけた史料に基づく考察であることを重ねて申し上げ、ここに感謝します。

最近話題に上らないアーガルとその別荘について、軽井沢ファンの中で少しの間でも思い起こしていただけると幸いだ。

 

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