最近、人気の漫画家たちが声を上げクラウドファンディングなども使って、築135年の洋館を復活させたことが話題になっている。

 

復元されたのは旧尾崎テオドラ邸である。尾崎三良男爵は英国留学中に英国人女性と結婚し、生まれたのが尾崎テオドラ英子であった。そして父が娘テオドラのために港区にこの洋館を建てたのであった。それは1888年の事であったが、譲り受けた英文学者が1933年に小田急線の豪徳寺付近に移築した。

 

そして解体の危機にあった時、漫画家たち立ち上がり、この度一般公開となった。住宅街に青がひときわ際立つ建物だ。本当に称賛に値する活動である。

(訪問時、庭の整備はもう少し時間がかかるようだった。また入館には事前登録が必要)

 

筆者は早速訪問したが、筆者が特に興味を持ったのは元の持ち主の尾崎テオドラであったことだ。

彼女の両親は間もなく離婚し、テオドラは16歳で父の住む日本にひとりやって来る。その後駐日英国公使のヒュー・フレイザーの妻メアリーの個人秘書となる。

 

テオドラは奇しくも父親と同姓の尾崎行雄東京市長(当時)と結婚する。行雄と親しくなったのも同姓ゆえの郵便配達の誤配がきっかけであったという。

その後テオドラは夫に駐日英国公使館員ジョン・ガビンズから軽井沢の土地を購入することを勧める。ここはテオドラがかつて仕えたフレイザー公使の別荘の隣であった。

 

そして行雄は別荘に「莫哀山荘」(莫哀は『哀しみのない』という意味)という名を付け、そこには与謝野鉄幹・晶子夫妻を筆頭に多くの文化人が滞在した。このように軽井沢とはとても縁のある尾崎行雄、テオドラ夫妻である。

 

莫哀山荘は現存しないが、同じ場所にある現在の相馬家の別荘には当時の「莫哀山荘」の名前を浮き上がらせる銘版が残っている。筆者は縁あって訪問させていただいた。(右から左へ読む)

 

テオドラの次女が雪香で旧相馬藩・相馬家の当主である相馬恵胤と結婚した。相馬雪香はこよなく軽井沢を愛した。

終戦少し前に満州から日本に戻り軽井沢に疎開するが、その時のエピソードなどは筆者の『第二次世界大戦下の滞日外国人(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)』をお読みいただきたい。

 

今回新たに知ったことは日本がサンフランシスコ平和条約に調印して国際社会に復帰する前の1950年、中曽根康弘ら国会議員7名・広島市長・長崎市長、石坂泰三・本田親男ら経済人、労働組合代表など72名がMRA国際チームの招待で、スイス・コーを始め独・仏・英を歴訪した。

 

その際に日本人で初めて同時通訳ブースで国際会議の通訳を担当したのが雪香と同時通訳の先駆者とされる西山千であったという。(「戦後初の渡欧者を求めて」参照)

 

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本編に関連する『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら