先の横浜のドイツ人資産に引き続き、GHQが作成した軽井沢の資産の紹介をする。初めての方は横浜編で見方の注意等参照下さい。こちら
やや見にくくて恐縮だが下の地図で軽井沢は管理番号12番から37番で26軒である。地図には主だった地名を赤字で書き足したので位置はほぼつかめると思う。
引き出し線の元を見ると多くが軽井沢本通りを挟んだ右側であることが分かる。比較的新しい別荘が多い地域だ。また英米の宣教師が戦争で引き揚げた後に買い取ったと思われる物件も多いようだ。
余談ながら軽井沢は本来の住所の他にハウスナンバーがあるので、GHQも箱根や神戸などに比べて仕事をしやすかったと思われる。
なお本編は拙著『続心の糧 戦時下の軽井沢』の中で述べた「ドイツ人資産」の続編でもある。合わせてお読みいただけると嬉しい。
以下ハウスナンバー毎に述べる。
管理番号 名前 ハウスナンバー
12 ヴェツェル( H.P. Wetzel ) 540番
13 パウル・シュトラウス( Paul Strauss ) 582番
終戦時も本人が住む。特許事務所副支配人
14 スプリットゲルバー(E. Splittgerber) 676番
『続心の糧』で紹介
15 ヴィクトー・ヘルマン( Victor Hermann) 871番
『続心の糧』で紹介
16 ハインツ・ティーディマン( Heinz Tiedemann) 881番
『続心の糧』で紹介
17 リヒャルト・ヘルム ( Richart Helm) 931番
『続心の糧』で紹介
18 アルトゥール ・キーフニック(Arthur Kievnick) 940番
『続心の糧』で紹介
19 ウィルヘルム・ヘルム (Wilhelm Helm) 1061番
20 ワルター ・タイス( Walther Theiss ) 1061番
21 エミリー・エッター (Emilie Etter) 1181番
『続心の糧』で紹介
22 ユリウス・エンゲル (Julius Engel) 1241番
日本の警察に逮捕され釈放されるが、その後軽井沢で自殺をしたようだ。GHQは故エンゲルス財産管財人にオット・ブルマイスターを指定している(終戦時居住)
23 ワルター・フリツケ (Walther Fritzke) 1290番
『続心の糧』で紹介
24 カール・ツェーンダー (Karl Zehnder) 1295番
25 エルヴィン・クルツ ( Erwin Kurz) 同上
26 フィリプセム (N.M. Phillipsem) 1330番
27 パウル・メッツィング (Paul Metzing) 1377番
28 ハンス・アルテンドルフ (Hans Altendorf) 1385番
2等書記官。ドイツ大使館では7番目に名前が載っている。そのため本人は大使館が疎開した河口湖で終戦を迎える。『続心の糧』で紹介
29 キューネル (M.O. Quennel ) 1393番
『続心の糧』で紹介
30 ウィルヘルム・レーデッカー(Wilhelm Redecker)1411番
ドイツ人保養所 ペンション・ハウス・ゾンネンシャイン。『続心の糧』で紹介
31 ルート・エッケルト (Ruth Eckert) 1414番
『続心の糧』で紹介
32 ケーテ・ランゲ (Kaethe Lange) 1415番
1941年頃はオイゲン・オット駐日大使が利用したようだ。
終戦時はマリア・ヘック夫人が8人の子供と住む。ナチス時代ゲルマン民族の子孫として子供を沢山持つ母親は勲章をもらえた。その褒美で一軒家が割り当てられた?
33 ケーテ・ランゲ (Kaethe Lange) 1649番
ランゲは2軒別荘を持つが職業「秘書、60歳」終戦時は1649番に住み、1415番は上記のドイツ人が住む。『続心の糧』で紹介
34 ウィルヘルム・ザイデル( Wilhelm Seidel ) 2314番
『続心の糧』で紹介 「終戦直後、軽井沢で逮捕されたドイツ人」で紹介。
35 ウィルヘルム・ザイデル( Wilhelm Seidel ) 2404番
36 トーマス・ボイアライン (Thomal Baeuerlein) 2404番
37 ペーター・メッツガー (Peter Metzger) 北軽井沢
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本編に関連する『続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら