現在軽井沢で温泉というと星野温泉とか思い浮かべても、旧軽井沢方面を想像する人はいないであろう。しかし戦前の軽井沢の地図を見ていると、旧軽井沢のロータリーから三笠方面に向かう途中に「軽井沢温泉」と書いてある。(下の地図参照) 

この軽井沢温泉とはどのような施設だったのであろうか?

 

1 「軽井沢と付近の名所」(第4版)泉寅夫 には以下のような記述がある。

「三笠ホテルと町の中間にあり、前に精進場川の渓流、縷々として流れ、北に東に西に南とあるいは近く、あるいは遠く紅葉満山に茂を眺めながら入浴し得られる類白濁の単純温泉にして開場以来、町民の多数は勿論、避暑客及び遠く各地より療養の為に来たり浴する者多し」

→公衆浴場ではなく、まさに温泉で地元民及び避暑客らに利用された温泉であった。源泉もここだったのであろうか?

 

<追加>

記事を読んだ地元の方から次の情報をいただいた。ありがとうございます。

「軽井沢温泉は、三笠ホテルと同じく湯ノ澤温泉を引いていたようです。
今でも健在で、泉源名「三笠温泉」として付近(唐堀)の別荘にひかれています」

 

2 「全国旅館名簿」1941年版には「軽井沢温泉旅館」として載っている。温泉旅館であった。その後名前を見なくなるので、日本がアメリカと戦争を始めると時節柄もあり廃業になったと思われる。筆者も戦時中、こちらに近い別荘に住んだ人ふたり(当時は子供)に聞いたが、記憶にはないとの事であった。それにしても温泉が湧いていたとすれば、今もそうした名残りはあるのであろうか?今度調べてみよう。

またきっとどこかに写真も残っているのだろう。

 

なお同じ地図の左端には「半田別荘地」と書かれている。半田善四郎が経営していた貸別荘で、1939年頃でも2451番から2465番辺りはほとんどが彼の貸別荘であった。当時は「半田別荘地」として知られていたことが分かる。そしてこれらはドイツ人が多く借りたようで、そのあたりはまた別の機会に書きたい。

輕井澤別莊案内圖1935年6月 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら

『続続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら