特にイギリス人、アメリカ人、カナダ人に愛された戦前の軽井沢。

一方いくつかの理由からドイツ人は、軽井沢をあまり好まなかったというのが筆者の考えである。その一例が東京医学校(のちの東大医学部)教授として招かれたエルヴィン・フォン・ベルツである。

 

彼は1904年9月に軽井沢を訪問する。しかし軽井沢は、ベルツにとって異様に写ったようで、辛らつに日記に記している。

「軽井沢は、気候の乾燥した点で知られており、夏は外人が多数訪れる。 主として英米系の新教伝道者で、めんどうな仕事の労苦を、ここに3ヶ月滞在していやさねばならないそうだ。しかし信者たちは下界で汗を流して日ごろの精神的慰安で満足することを考えておればよいのだ。これだから自分は、かれら宣教師連には好意がもてないのであって、自身には何一つとして犠牲を課することなく、教えに従わずして 貧をいとい、高原に別荘を構えてスポーツにふけり……」

彼はプロテスタントの牧師たちが軽井沢に長く滞在する特徴自体を批判し、そうして保養地としては草津と逗子を勧めた。

 

書籍化されました。続きは『第二次世界大戦下の滞日外国人』 でお楽しみください。

 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら

『第二次世界大戦下の滞日外国人』 
(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)は こちら